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Page 9 「自分の弱さ」杉本遥平

ーココロノオトー


 


中京大学サッカー部U22Aの杉本遥平です


自分の感情を表現するのはとても苦手ですが、せっかくなので書いてみました。

少しだけ時間をいただけると幸いです。


私は保育園の頃からサッカーを始め、最初はただこのスポーツがかっこよかったからやっていたんだと思います。私は、パスを繋いで得点をするサッカーが好きです。最も好きなプレーはパスでした。今でもそれは変わらず、柔らかく弧を描くような軌道、地面を綺麗に走るようなパスはとても美しい。小学生のとき、ある指導者から「パスは相手へのメッセージだよ」といわれ、当時まだ純粋であった私は、その言葉に影響され、そして、それが今の自分の長所になっていると感じています。だからというわけではありませんが、「上手さ」に重点を置いて大学サッカーをしたいなと考えていました。


大学サッカーの始まりはTOPチーム。周りはほとんどがプロを目指す選手達。目標としたのは同じボランチの3人の上級生で、この人たちのいい所を全部盗んだらすごい選手になれるんじゃないか、そう思っていた。だが、もちろんそんな簡単なことではないし、理想の選手になるには、パスの質やキープ力、判断力、フィジカル、他にも多くのことが足りていなかった。それを求めてトレーニングをする毎日で、1年はあっという間に終わってしまった。2年生の始めもTOPチームであったが、ある時から指導者に言われることの多くが「覇気がない」というような類の言葉だった。正直、当時は意味が分からなかった。どうして覇気が必要なのか、技術に覇気って関係あるのか、そんな疑問が常に頭にあった。変わらなきゃいつかこのカテゴリーを落とされる。それはわかっていたがそれでも私は変われなかった。そして、夏前に所属カテゴリーがU20に変わった。様々な思いはあったが、それでもTOPに戻りたかった。なんの焦りか、結果を出せばと勝手に思ってしまっていた。センターバックとしてIリーグに出場し、全国出場を決めた。経験という面ではとてもいいことだったと思う。でも、理想とする選手に近づいたかと聞かれれば、それはNOだと思う。結果も大事だったとは思うが、TOPの指導者が求めていたものは内容だったと今は思っている。そんなことよく考えればわかるはずだったし、その時点で自分を見失っていたんだと思う。


3年では、中京大学FCに所属となった。この年がサッカー人生で最も辛い1年だった。チームが始動して最初の試合、その日からほぼ毎日怒られながらプレーをしていた。「必死さが足りない」そういわれた。なんとなく「覇気がない」より意味は分かったが、納得はあまりできなかった。試合でも正直意味が分からない理由で怒られることもあったが、それに混ざりながら自分に足りないプレーへの指摘もあったため、納得するしかなかった。当時の私は、どうすればプレーしやすくなるのかなんて意味の分からないことを考えてサッカーをしていた。試合に出るためには言われたことをやれるようにしないといけない。その考えが強かった。言われたことを必死にやるだけの練習や試合、ここでも私は自分を見失っていた。


4年ではU22Aに所属することとなった。

今までやってきたこと、それは確かに無駄ではないといえるし、このカテゴリーでそれは十分に感じられた。割り切ってプレーすることや守備の強度、一つのボールに対する必死さ、それらは1~3年で各指導者から教わったことで、自分になかったものだった。でも、1年の頃に理想としていた自分になれたか、自分の好きなサッカーはできたか、と聞かれれば、「はい」とは言えない。後悔は少しあるが、それよりも自分の意志の弱さ・考え方に腹が立つ。技術を求めていたのなら、どれだけ覇気といわれ続けても、技術を磨いて黙らせる。どうしてこれを考えることができなかったのか。大学サッカーを通じて、自分の弱さを知ることができました。


後輩に伝えたいこととしては、「明確に自分を持つこと」

各カテゴリー・指導者によって求められることは違う。それに答えないと試合に出られないのであれば、うまくやれ。でも、原点は忘れないように。



4年間で最もお世話になった健登くんへ

こんなに扱いづらい人間を1年の頃から面倒を見ていただきありがとうございました。

FIT、オフトレーニングの付き添い、結果で恩返しができず申し訳ありませんでした。

 

太智くんとU22Aの選手へ

何度も社長出勤ごめんなさい。あれが精一杯でした。

それでも温かく迎えてくれてありがとうございました。

最後まで結果にこだわり、熱く戦えたこと、とても幸せでした。

 

最後に、家族へ

18年間何不自由なくサッカーをさせてくれてありがとう。

朝早い日から夜遅い日までご迷惑をおかけいたしました。

これからは少しだけなんか手伝います。幸せなサッカー人生でした。

 

 

とても長くなってしまいましたが最後まで読んでいただきありがとうございました。