page20 「完全燃焼」澤田勇人
毎年、先輩が引退ブログを書いてそれを読んでいた時期が自分にもきてしまいました。17年間続けたものがここで終わってしまう寂しさ、やり切った気持ちなど色々な感情が混ざっているのでまとめながら書いていきたいと思います。
私は小学校、中学校、高校と強豪と呼ばれるチームではやっていませんでした。中京大学に入って全国の強豪から集まったみんなとサッカーをするのが楽しみであり、その反面通用するかなどの心配もたくさんありました。ですがU20に所属して、色んな個性を持ったみんなと出会えたことで考え方やサッカーに対する意識がガラッと変わった1年でした。この1年があったから最後までサッカーに対して本気で打ち込めたのだと思います。
2.3年生は怪我の年でした。2年生の初めに第五中足骨を骨折して人生で初めて手術をしました。この頃ちょうどコロナが流行り出したときで、リハビリ期間も半年程かかると言われたので、このタイミングで辞めることも考えました。でも辞める辞めると何回も言っていたのに辞めなかったのは心のどこかでサッカーが好きだったり、出会った仲間と離れるのが寂しかったのだと思います。そんな長いリハビリ期間を終えて復帰した直後また同じ怪我をしました。これでもやめなかったので、その頃の自分にどんだけサッカー好きなんだよって言ってやりたいです。なので2.3年生はサッカーで活躍どころか、どんなプレーをしたかも覚えてないです。社会人に入れなくて悔しい思いをした事だけ覚えています。
4年生を一言で表すとしたら完全燃焼です。最初、就活で来れない時期が少しあり、体力やコンディションを戻すことがなかなかできなくて、最後の年も試合出ずに終わるのかと最初は思っていました。でもどこかで振り切って、U22A所詮5軍のチームだから失うものはなくて、ただひたすらがむしゃらにチャレンジするだけだと前を向いてやることにしました。これが良い考え方だったのかもしれません。U22Aの4年生は8人いて、みんなその考えを持って取り組んでいたと思います。俺だけだったらすいません。
やーまん、得点屋キャプテン。
ふじ、チームの安定剤。
たいが、盛り上げ隊長。
ゆうと、キレキレのドリブラー。
立田、いじられ5年生。
ようへい、たまに来て大活躍。
おと、熊本のおしゃれ番長。
このメンバーだったから上位で戦うことができた。みんながいたから最後までやりきることができた。ありがとう。。
そして後輩。学年関係なく絡んでガツガツきてくれて嬉しかった。みんなが4年生についてきてくれてそれを越すプレーを見してくれて最高に楽しかった。ありがとう。
最後に両親、小さい時から今まで17年間何不自由なく、サッカーをやらせてくれてありがとうございました。会場が遠くても足を運んで試合を見にきてくれて、今思えば、たくさんの試合を見てもらえてよかったです。ここでサッカーは終わるけど、また別の世界でチャレンジするので見守ってください。
こうやって振り返ると長いようであっという間な17年間で辛いことも沢山あったけど、やり切った気持ちが1番強いので燃え尽きたんだと思います。最高の気持ちを味わわせてくれたサッカーありがとう!そして待ってろ社会人!前を向いて挑戦していくことを忘れないように頑張ります!4年間ありがとうございました!