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page21 「不安と自信」日比野祐季

ーココロノオトー


この2年間、不安しかなかった。

僕は、大学二年生の3月に入部した。


入部から2週間ほどでU20という一年生のみで構成されるチームを任された。現場に立ったことのなかった僕はどのようにリハビリを進めていけば良いか、トレーナーとしてどのように選手と関わっていけば良いか、どのように傷害を評価するのか、わからないままチームを任されてしまった。

テーピングは巻けない、リハビリについての知識もない、教科書の知識でしか様々なことを知らない僕は練習の1時間前から練習が終わるまで不安でいっぱいの日々を過ごしていた。

高校年代でトレーナーがいる学校は多くはない。大学に入学したてのU20の選手たちに学生トレーナーがいるということを知ってもらうところから始めなければいけない。選手たちとコミュニケーションをとり、痛みや違和感があるときに相談してもらえる存在にならなければいけないと思う一方、頼られたところで今の自分に何ができるのかと葛藤に苦しんでいた。


学生トレーナーは、選手が怪我をしたときに怪我の評価をし、応急処置などを行う。ただ僕は、練習中に選手が倒れた時に何をしたらいいのか、何をすることが正しいのか、自分の判断が正しいのかなど分からないことだらけだった。毎回同じ練習時間にいた他のトレーナーに怪我の評価をしてもらい、何を評価しているか見て聞き、応急処置があっているかの確認をし続けた。僕の対応が不適切であった場合、障害を残してしまったり、他の怪我につながってしまうと思い、怪我人が出たらどうしようと、気が気でなかった。

僕には、怪我した選手が練習に参加してよいかの判断ができないため、すぐに整形外科を受診してもらいたかった。しかし、カテゴリーが振分けられる時期で、選手たちからしたらU20に残れるかの大切な時期だ。選手たちは無理をしてでも続けたい。整形外科を受診すると、離脱させられるためすぐには受診してもらえなかった。自分の判断に自信がないため、強くこうしてほしいとも言えなかった。トレーナーに相談すると、離脱させられるのではないかと思っている選手は、怪我が悪化するまで続けてしまっていた。選手とのコミュニケーションのとり方や自身の知識と経験のなさを痛感させられた。


周りに支えてもらいながら何とか学生トレーナーとしてある程度できるようになった三年生の冬に新人戦が始まった。

新人戦は、勝ち進んでいくごとにTOPチームの二年生がメインで出るようになっていった。怪我気味の選手もおり、僕の判断でTOPチームの選手の怪我を悪化させてしまったらどうしようと思い怖かった。ほぼTOPチームの選手だったため、TOPチームのトレーナーがやった方がいいのではないかと相談したこともあった。選手たちに、TOPチームの学生トレーナーと比べられ、自分ができないことを知られるのが怖かった。怖くて不安で逃げたかったのだと思う。この新人戦の期間が2年間で一番きつかった。

 僕は上級生がいない環境で活動してきた。この新人戦では、理学療法士の方がおり、どうしたら良いかわからなかったし、何もできなかった。自分に何ができるか考えさせられた期間だった。試合の時間だけが救いだった。全国の舞台で躍動する選手たちの姿は最高だった。


新シーズンになり、僕はU22Aに所属することになった。学生トレーナーも実力順だと言われていたため悔しかった。U22Aの監督は、話をするときにいつもなぜそうなるのか、なぜその判断をしたのかを問われていた。僕は、リハビリの人数が増えたり、忙しくなっていくと、思考が停止し、正しい判断ができなくなることがある。そうなってしまう僕には合っていたと思うし有難かった。自分が発する意見や行動に対し、なぜそうなるのか、なぜその判断をするのかを考えるようになった。まだまだ足りない部分も多いが、考える習慣がついたと思う。

なぜそうなるのか考え、判断したことに関しては自信を持てる。

なぜ痛くて、なぜそうしたくて、なぜそうすべきだと考えたのか。

問い続けることの大切さを学ばさせてもらった。



自分の無力さが嫌になり、トレーナーは向いていないのではないかと思うことは何度もあった。何度も何度も考えた。けどそんな時“勉強し続けるしかない。”と同学年の学生トレーナーが教えてくれた。

無力さを感じた時、うまくいかない時に、そこで立ち止まっている人は僕の周りにはいなかった。みんな常に学び続けていた。彼らがいたからこの2年間を過ごせてきたのだと思う。トレーナーにとって知識や技術は自信になる。調べて、見て、実践して学んだことは自信になる。不安や怖いという感情からは逃げることはできない。僕は未だに怖いし不安である。けど、少しの自信はある。このサッカー部に飛び込んだ時期は人より遅かった。けど、この2年間やってきたことは間違いなく僕の自信になっていてこれからの僕のトレーナーとしての活動を支えてくれるだろう。

このサッカー部で続けることの価値を改めて教えてもらった。

だから僕は今後も続けることを忘れずにトレーナーとして成長していきたいと思う。




この2年間、関わってくれたすべての方々に感謝しています。

途中入部の僕を温かく迎え入れてくれた学生スタッフのみんなありがとう。

トレーナーという仕事は選手がいなければ成り立たない仕事だと思います。

僕のリハビリに付き合ってくれた選手たち、一緒に怪我を乗り越えられたことは僕にとってトレーナーとして活動をしていてよかったと思わせてくれるものでした。

そして、たくさんの素晴らしい景色を見させてくれたことを本当に感謝しています。


途中から何かの組織に飛び込むことは勇気のいることかもしれません。

大学4年間という時間は有限です。僕の唯一の後悔はこの組織にもっと早く飛び込めばよかったということです。だから、勇気が出なくて飛び込めないなら、一歩踏み出して欲しいと思います。飛び込んでみたらきっと見たことのない景色が待っていてなにかを得れると思います。


2年間という短い時間でしたがありがとうございました。