1. ホーム
  2. ブログ
  3. ブログ詳細

ブログ

Page28 「休憩時間の得点」 鈴木大河

ーココロノオトー



私が最近読んだ本の中に「ナポレオン時代」という本がある。この本にはフランス革命の終盤以降で活躍し、皇帝の座にまで上り詰めた英雄の様々なエピソードが書かれているが、その中にナポレオンが残した「人生という試合で最も重要なのは、休憩時間の得点である」という言葉がある。プロサッカー選手を目指している人、他に何か目標を決めてそれに向かって懸命に取り組む人、どの人たちにとっても私はこの「休憩時間の得点」は極めて重要だと考えている。先日、大学サッカーを引退しこれまでのサッカー人生を振り返ることが増えたが、今回のブログでは改めて私のサッカー人生を振り返るとともに、私が考える「休憩時間の得点」について述べていきたいと思う。


さて、先程から述べている「休憩時間の得点」という言葉だが、一般的に得点=努力と解釈されることが多い。この解釈で「休憩時間の得点」を言い換えると、「自分又は他人が休んでいる時こそ努力して差をつける」といったニュアンスになり、「影での努力」の重要性を示している。これは私のようなプロサッカー選手を夢見て走り続けてきた選手ならある程度の「休憩時間の得点」を積み重ねてきたのではないだろうか。私は5歳の時からプロ選手を目指して毎日サッカーに打ち込んできた。小~中学生の時から走りのメニューを自分で作ってこなしたり、家の庭を有効に活用してトラップの練習をしたり工夫して様々なことに取り組んだ。しかし、このような私の積み重ねてきた「休憩時間の得点」は多くのライバルたちと出会うことで自慢できるものではないと気づかされた。特に大学時代は大人になって行動できる幅が広がり、さらには時間の余裕ができた。そんな環境の中で勉強やアルバイト、さらには趣味や娯楽を言い訳にし、夢のために「休憩時間の得点」を積み重ねることができなかった私とサッカーだけでなく食生活や睡眠まで気を使ったりするライバルたちとでは大きな差が生まれてしまった。そして私はプロサッカー選手になるという夢を自然と諦めてしまっていた。技術や身体能力に限界を感じたのももちろんだが、「休憩時間の得点」でライバルたちに劣っている私には、夢のためにあらゆることを犠牲にする覚悟と自信がなかった。その夢が叶うか叶わないかは別として、小さい時から大切にしてきた「休憩時間の得点」不足で夢を諦めてしまったことに悔しい気持ちでいっぱいである。


私は文頭にも述べたように「休憩時間の得点」を積み重ねていくことは、夢や目標を達成するために極めて重要だと考えている。私はプロサッカー選手になるためのレベルには達していないかもしれないが、より多くの「休憩時間の得点」を積み重ねることができれば、最後の最後まで夢のために犠牲を払う覚悟と自信を持つことができたのかもしれない。さらには、今日のようにサッカー人生を振り返った時、夢を【諦めてしまった】くすんだ色のような悔しさが、夢を【叶えることができなかった】鮮やかな色をした悔しさに変わっていたのかもしれない。


このように、私はサッカー人生を通して「休憩時間の得点」を積み重ねる難しさを知り、「休憩時間の得点」こそ、最後の最後まで夢を追いかけ続けるために必要不可欠なことであると確信した。


私にとって「休憩時間の得点」とは、夢に向かって走り続けるためのエネルギーだと言える。


しかし、悔しさいっぱいのサッカー人生ではあったものの、これまで私なりに多くの「休憩時間の得点」を積み重ねてきた自負がある。ここには書ききれないほど様々なことに取り組んできた。そして多くの時間をサッカーに費やし17年間継続できたこと、サッカーを愛し続けられたことは多くの「休憩時間の得点」を重ねてきた賜物であり、私の大きな財産だと言える。

この財産やサッカー人生で得た経験などを土台とし、社会に出てからも多くの「休憩時間の得点」を挙げ、さらなる夢に向かって走り続けたい。そして、人生という試合を最良なものにしていきたいと思う。