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Page29 「私のサッカー人生」 知花健太郎

ーココロノオトー


 今回、引退するにあたって、ブログを書く機会を頂き、ありがとうございます。拙い文章ですが、自分のサッカー人生を振り返りながら精一杯書くので、読んでいただけると嬉しいです。

 私は、近くに住んでいた従兄弟の影響で、小学校1年生からサッカーを始めました。小学生の頃は、週末の試合が楽しみで、暇さえあれば双子の弟と一緒に、練習(ボール遊び)をしていました。今思えば、なんのプレッシャーも感じずに、純粋にサッカーを楽しめていたのは、小学生の時だけだったと思います。というのも、中学、高校、大学とサッカーを続けていく中で、楽しさよりも悔しい思いの方が圧倒的に多かったからです。

初めての挫折は中学生の頃でした。私は、もっとサッカーが上手くなりたいという思いから、アビスパ福岡U15に所属しました。ここでは、小学生の頃と違い、途中出場や途中交代がほとんどで、試合に出られない日もありました。当時の私は、「努力して皆を見返す」というようなマインドがなく、「レベルを落として、違うチームに所属したい」といった逃げの考えしかありませんでした。そのため、自主練習はほとんどせず、1日1時間半のチーム練習を火、水、金、土、日とこなすだけの日々が続きました。今思い返すと、中学生時代の3年間は、「人生で1番やり直したい」と思えるくらい、後悔しかありません。中学3年間で私自身に染み付いた「逃げのマインド」を変えてくれたのは母でした。高校の進学先を決める際に、母は、弟が決まっていた東福岡高校を勧めていました。しかし、当時の東福岡は、全国二冠していたので、私は「絶対に行きたくない、試合に出られないどころか、Aチームにも行けない」とネガティブな感情しか持っていませんでした。母は、そんな私に対して、「逃げてほしくない、挑戦してほしい」と繰り返し、何度も説得してくれました。この頃から、私の中で反骨心(私の中での解釈では、周りから思われている私自身の限界に反抗する力)が芽生え、本気で努力しようと決心するようになりました。東福岡高校に進学を決めた日から、毎日3時間の自主練習を行うようになりました。10キロ走、ラダートレーニング、体幹トレーニング、コーンドリブル…。今でもあの期間は鮮明に覚えています。こうした積み重ねもあり、高校2年生までは、自チームでの試合や、国体出場といった、充実した日々を過ごすことができました。しかし、高校3年生になると、ポジション争い、指導者や周りからの目といった、精神的なプレッシャーに負け、ボールを受けることも怖くなりました。ライバルだった選手と競うことをやめ、試合登録メンバーに入り続けることだけで満足していました。この経験で学んだことは、向上心がないと成長しないということです。実際にこの時期は、中学生時代に戻ったような、「逃げのマインド」が、自分を支配しているような感覚で、簡単なプレーをミスしてしまうシーンが多く、自分に憤りを感じ、初めてサッカーを辞めたいとさえ思うようになりました。ですが、中学生時代のような、努力をしないで、逃げ続けるような、かっこ悪い自分にだけはなりたくなかったので、やれることは精いっぱい続けました。その結果が、中京大学サッカー部という素晴らしい環境でサッカーができたことにつながっていると思います。

大学では、今までの自分のサッカー人生に意味をもたらせてくれるような成功体験や、上手くいかない時期になると、大きく膨れ上がってくる「逃げのマインド」との闘いも経験し、1人の人間として大きく成長することが出来ました。特に、後者の方は自分だけの力ではなく、指導してくれた監督(バブさん)のおかげで、乗り超えることが出来ました。

大学3年生の秋、半年間の怪我から復帰した私は、コンディションが全く戻らずに、ミスを恐れてバックパス→怒られる→委縮したプレーといった、負のループから、抜け出せずにいました。高校時代も似たような経験はしていましたが、毎日一番怒られていることに慣れている自分、試合に出られないことに対して少し安心している自分といった、これまで経験したことのないような、大きく膨れ上がった「逃げのマインド」はなかなか乗り切ることが出来ませんでした。そんな時、私を救ってくれた、もう一度闘う勇気をくれたのは監督でした。監督は、面談の際に「お前は、皆ができることは苦手だけれど、皆には無い武器を持っている。苦手な部分は、チームメイトを頼って、ストロングな部分でチームに貢献してほしい。ただ、ストロングな部分で違いが出せなかったら、試合に出られないと思う。でも、落ち着いてやれば、お前ならできると思う」と言ってくれました。とっくに見放されたと思っていた監督からこのメッセージを頂き、自分の中で、今までで一番大きく膨れ上がった「逃げのマインド」に勝ちたいと思うようになりました。それからは、苦手な部分でミスをしても消極的になるのではなく、体を張ること、対人で負けないことといった自分の武器でチームに貢献することだけを考えてプレーするようになりました。もちろん、その後も逃げたいと思うことは多々あったけれど、やれることを精いっぱいやること、反骨心を大切にすること、プラス思考で行動することを意識して取り組みました。その結果、サッカーを引退した今、自分のサッカー人生に自信と充実感を持てています。あの時、「逃げなくて良かった」と本気で思えています。

最後に、この機会に感謝を伝えたい人がいます。それは、康(双子の弟)に対してです。

康へ

まず言いたいのは、誰よりも感謝しとるってことやね。

常に一緒にいて、何でも話して、相談にも乗ってくれてありがとう。

大半は、お前の相談に乗ってあげとったけどね。

特に大学生になってからは、お互いのプレーを尊重するようになって、アドバイスもし合うようになったことで、今までとは比べ物にならないくらい成長できたね笑笑

小さい頃から、素直にアドバイスし合えば良かったなぁ

お前が頑固やなかったら、絶対小さいころから出来とった。笑

今では、よく周りの皆に「双子でうらやましい」とか言われるけど、小学生の頃は、何をやってもお前に負けて、周りから双子で比べられるのが嫌で、「なんで双子に生まれてきたっちゃろか」って思っとった。でも、それが中学校、高校となって、どっちも挫折経験して、その状況を打破するために二人で自主練してと、サッカー人生の良い時、悪い時を一緒に乗り越えてきたね。お前がおったから乗り越えてこられたわ。これは、間違いね。

お前と一緒に試合に出ることが本当に楽しかったし、まだまだ一緒に試合に出たかった。対戦相手として試合もしてみたかった。でも一緒に試合に出ると必ずといっていいくらい、試合中に喧嘩したね。これは、大学生までずっと変わらんかったなぁ。泣いとったのはお前やけどね。泣かせてごめん。笑

こんなくだらん話はどうでもよくて、一番伝えたいことは、

お前が、これからもサッカーを続けてくれて本当にうれしいし、ありがとうってこと。

小さいころから、身近でプレーしてきたけん自信もって言えるけど、

「お前の才能はすごいよ、自信もって羽ばたいてくれ」。

俺の分までしっかり活躍して、家族みんなを喜ばせてくれよな!家族みんなで応援しに行きます。

お前と双子で本当によかったわ。

 

私のサッカー人生は、終わりましたが、弟のサッカー人生はまだまだ続いていきます。皆さんも弟を応援してくれると嬉しいです。

 最後まで読んで頂きありがとうございました。これからも上手くいかないときは多いかと思いますが、そんな時に、逃げるのではなく、闘う自分であり続けます。