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Page31 「勝つこと、続けること、そしてありがとう。」 鬼頭巧

ーココロノオトー



先日、最後の全国大会を終え「引退」を迎えました。今年度7月に引退試合となる全国大会への切符を掴み取った時点で10月の半ばに大学サッカーに別れを告げることを理解し、相応の覚悟もしていたはずです。しかし、未だに“引退した“という事実のみが漠然と独りで歩き回り、そのことの意味もわからず、実感も湧かないままこの文章を書き始めています。

弱い自分を見せない、勝たなければいけない、と気を張り続けたこの1年。緊張や重圧から解放され、肩の荷が降りた今、私自身の思いをこうして綴らせていただける有り難さを噛みしめながら書かせていただきます。長く、拙い文章ではございますが、最後まで読んでいただけますと幸いです。(CFCのみんなにはもう最後に話しちゃったからあの日を思い出しながら読んでね。)


この4年間、もっと言えばサッカーを続けてきた10数年、喜怒哀楽では表しきれない感情を味わってきました。私が感じたことを大きく分けて2つ伝えたいと思います。


まず1つ目は勝つことの大切さです。

私のサッカー人生は圧倒的に負け越しです。小学校、中学校、高校と多くの試合に負けてきました。初の全国大会は青森山田に0-5の大敗。高校3年時は選手権に出られずに引退、今年もリーグ戦では思うように勝利を積み上げることができず、最終節で降格圏内に引き摺り込まれる結果となりました。ダービーでCUには0-1、0-6の完敗、最後の全国大会は初戦0-4で敗れる、そんな負け越しのサッカー人生です。勿論、どんな時でも勝つチームは1チームだけなので多くの人(チーム)が負け越します。それでも勝つこと、勝ちを目指すことこそがサッカーの本質であり、最も重要なことだと私は痛感しています。ほんの一部の人間、チームしか勝ち続けることができないサッカー、私が負け越していく中で「相手が強いから」「次頑張ればいいや」そんな風に負けに慣れている自分がいました。ダメ元で試合をしているような感覚に陥り、負けの悔しさや勝つことへの執念を鈍らせていました。

そして何より、夏の甲子園、冬の選手権で多くの人の心に残り、感情を動かすのは大多数である「敗者」となった人間の涙です。そんな姿をメディアはこぞって取り上げます。そして、いつからか“負けることは美しいこと、人に感動を与えること”だと錯覚していたのではないかと思います。

でも、今このサッカー人生を振り返ると「負けて良かったこと」なんてひとつもないのです。負ければ必ず、“勝ちたかったな”と後悔が残ります。あのシュートが決まっていれば、体を投げ出していれば、そんな後悔ばかりです。きっと皆さんにもあると思います。よく言うように“負けにも価値がある”とは思いますが、負けの価値は勝つことで初めて生まれるものだと思います。「負けたけどよかったね」は決してベストではありません。勝つに越したことはないのです。だからこそ、もっともっと勝ちに貪欲にならなければならないし、負けに慣れることがあってはならない、自分のサッカーへの取り組みにはそこが大きく欠けていた、そう思うのです。勝って初めて心の底から良かったと思うことができるのです。

サッカーというステージを降りたとしても人生は勝負の連続です。真に良い人生とするためにはやはり勝ち続ける必要があると思います。勿論、勝つことは簡単ではないですが勝利のために貪欲に、執念を持って取り組んで欲しい、そして勝って欲しい。たいへん烏滸がましいですが後輩たちへのメッセージであり、そして今後の自分が勝ち越していくためのメッセージとしてまとめます。


2つ目は、どうかサッカーを辞めずに最後まで頑張って欲しいです。

大学はこれまでとは打って変わって、全てを自分で選択、決断していく必要があります。学年が上がれば、人生の岐路に立たされることとなります。

これまでは当然のようにサッカーを続け、サッカーをやっているだけで半自動的に形成される人間関係や生活習慣のもと生きてきたと思います。そんな風にサッカーに甘えてきたのに、就活等、いざ自分で今後の人生を決めていくシーンになると「サッカーの“せいで”時間がない、サッカーの“せいで”疲れている」そんな風に考えてしまうのです。

私の周りには「サッカーの“おかげで”出会えた仲間、サッカーの“おかげで”学んだこと」がこんなにもたくさんいる(ある)のに。“これからはサッカーをしているだけではいけない”という、サッカーに縋って生きてきた私にとって到底理解することのできない不安に駆られ、サッカーを言い訳にしてしまう自分がいました。


高校進学、大学進学共に推薦入試という出来レースを通ってきた私にとって、就活との両立は精神的にも体力的にも苦しい日々でしたが、サッカーをすることでどこか心が晴れるような、切羽詰まった毎日から唯一抜け出すようなそんな気持ちになれました。

そして何より、今年所属させていただいたCFCの新たなチームメイトとの出会いがありました。

これまでもサッカーが多くの仲間と出会わせてくれました。きっとこれを読んでいただいているあなた方もサッカーを通して私と出会った方だと思います。

大好きなサッカーを続けているだけで、こんなにも素敵な出会いが待っていました。

これからも苦しい時期がきっとあると思います。いえ、必ずあります。

でも、そんなときに自分を支え背中を押してくれるのがサッカーであり、歩幅を合わせ共に歩んでくれるのがサッカーを通して出会った仲間です。

だからどうかサッカーを続けて欲しい、“サッカーを続けた“その事実だけでも、きっと大きな力になると思います。これが私の2つ目の思いです。


こうして、振り返ると「引退」という2文字でまとめてしまうのは惜しいです。濃い日々でした。あっという間でした。そして、たくさんの方に支えられていた、気づかぬうちに助けられていた、そんな風に思います。わざわざ我らが僻地、豊田まで応援に来てくれる友達、鹿児島までも応援に来てくれる友達がいること、本気の自分を本気で応援してくれる人がいること、心から幸せに感じています。

本当に感謝の気持ちしか浮かんできません。


ここまで長くなってしまいましたが、最後にそんな幾つかの感謝を伝えて終わりにしたいと思います。


父母へ、

毎試合どこへでも楽しそうに足を運んでくれてありがとう。みんなから「いつも絶対2人で見に来てて仲良いね」そんな風に言われるのが僕のささやかな幸せでした。2人のおかげで毎日頑張れました。もっと勝ちたかったな。サッカーをやらせてくれてありがとう。まだまだ続く人生、末長くよろしくね。


姉へ

高校3年、外したら引退がきまるPKのキッカー、1000人を超える観客全員が静まり返った中で「たく、決めろー!」とスーパーKYを披露してくれたことは忘れません。なかなか会う機会も減ったけど「お姉ちゃんと仲良い?」と聞かれたら「めっちゃいいよ」って必ず答えています。大学でも、謎に「来て欲しいならいくわ」スタンスだったけど、なんやかんや応援に来てくれてありがとう。何か奢ります。


同期

みんなのことが本当に大好きです。どのカテゴリーの選手もどこへでも応援に行きたいくらい。みんなとボールを蹴ること、みんなのサッカーを見ることが1番の喜びでした。みんなが勝って喜んでいる姿が1番幸せな景色でした。何があろうとかけがえのない一生の同期!

みんなが同期で本当によかった。本当にありがとう。


先輩

これを見て「俺のことだろうな」くらいに思っているそこのあなた方を思い浮かべながら、改めて感謝を伝えておくよ。たくさんのことを教えてくれて、可愛がってくれてありがとう。1年あっという間だったわ。ほぼ同期!!これからもよろしく。


後輩

少し早く生まれただけなのに慕ってくれてありがとう。少し早く生まれたはずなのにタメ口で同期みたいに接してくれてありがとう。みんなの幸せが僕の幸せ。来年も頑張って。応援に行きます!


CFCのみんな

みんなのおかげで最高のサッカー人生の締めくくりになりました。もっとチームを勝たせられるような4年生でいたかったなというのが唯一の後悔です。でも感謝しても感謝しても、しきれません。ケントくん、信頼できる同期、可愛い可愛い後輩たち、最高のメンバーに囲まれて本当に楽しかった。最後に涙してくれる姿にこれまでの人生が報われた気がしました。


1つだけ。

4年間なんて本当にあっという間に終わってしまうから。嫌だ嫌だじゃなくて常

に自分と向き合って、前向きに全力でやって欲しい。きっとその方が楽しいから。未熟な自分なりに少しでもお手本になれるように頑張ったつもり、何かを感じてくれていると嬉しいな。


もう一緒にサッカーできないのは寂しいけど、みんなと一緒にサッカーができた、みんなに出会えた、それだけでひたすら幸せです。来年もどうか沢山の人に応援されるチーム、人間で。

本当にありがとうございました。


長くなりましたが終わりになります。

最後まで読んでいただきありがとうございました。