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Page37 「挑戦」 立田翔一

ーココロノオトー



U22aに所属しており、引退試合に17年間のサッカー人生で初めて逆足のループシュートを決めた立田翔一です。笑

この4年間の大学サッカーはとても濃くすごく充実していた中で何を書こうかと非常に悩みました。考えた結果、自分自身にとってサッカーがどういうものだったのかについて書こうと思います。最後まで読んでいただけると幸いです。自分とサッカーとの出会いは小学生一年生の時でした。家の郵便に地元の少年団の体験会のチラシが入っていて興味本位で行き、すごく面白くなかったのは覚えています。そこからなぜか入団して、小学校6年間は試合にも出ることができ、毎日学校終わりに公園でボールを蹴りサッカーが楽しく自分の生活のほとんどでした。そして中学校に上がるタイミングでセレッソ和歌山のジュニアユースからスカウトがかかり非常に悩みました。悩んだ理由は中学校に上がる前から自分は中体連でやることを決めていたからです。けれど中学生ながらセレッソに行くことで自分自身成長できるなと感じてセレッソに入団しました。入団してからもほとんど毎日サッカーの生活で毎日学校が終わればすぐ家に帰り片道1時間半かけて練習場に行き、家に帰ってくるのは毎日23時半とかで母が仕事で疲れている中眠たいのに寝ずに自分が帰ってくるまで起きてごはんを作って待っていてくれ、サッカーに集中させてくれていた両親にはとても感謝しています。そして中学三年間はあまり試合に出ることができず初めての挫折で高校に入ったら絶対に1年から試合に絡んで選手権に出るという目標を立てて大阪でベスト16に入るくらいの高校に入学しました。しかしやはり甘くはありませんでした。先輩たちがとてもうまくて、同級生も強豪のチームからきている子たちばかりで試合に絡むことができたのも高校二年生からで高校三年生の選手権には出ることができずに、目標を達成することができずに高校サッカーは幕を閉じました。そして自分自身一浪してからこの中京大学に入学しました。サッカー部に入ることは決めていました。なぜなら高校サッカーは不完全燃焼に終わり、自分自身の夢であるプロサッカー選手になれる最後のチャンスと考えていたので迷う選択肢はありませんでした。しかしやはり現実は甘くなく一番下のチームからスタートして大学3年生の時には上から2番目のチームに入ることができ、そこで結果が残せずに4年生にはチームを落としてしまい、u22aに所属することになりました。最後の一年間は就活などあり、サッカーができる期間が短かったけど22aの四年生は仲が良くて最高の仲間で、後輩たちもすごくいいやつばかりでした。最高の思い出です。長々と自分の今までのサッカー人生を書いてきましたが自分のサッカー人生は挫折、失敗の連続でした、けどこんなに挫折、失敗をたくさん経験できたのも挑戦したからだと思っています。どんなに苦しくて、つらくてもこの17年間挑戦し続け、乗り越えてきたからこそ人間的に成長することができました。間違いなくサッカーがなければ自分自身人間的に成長することができなかったと思います。本当に自分にサッカーがあってよかったなと思います。最後に今まで自分のサッカー人生で関わってきてくれたスタッフ、同期、後輩すべての人々に感謝したいと思います。ありがとうございました。あとこの大学4年間一緒にサッカーをして、仲良くしてくれた仲間にはとても感謝しています。誰一人友達いない中愛知に来て、しかも一個上というのもあり友達出来るかすごく不安でほんとに今の四年生は仲間思いで、面白くていい仲間に出会えたなと思います。この17年間の挑戦し続けたサッカー人生で得たものを社会人になっても活かして頑張っていきたいと思います。

最後まで読んでいただきありがとうございました。