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Page38 「蹴了」 山﨑泰雅

ーココロノオトー



引退試合の後、涙が止まりませんでした。最後の試合で勝てなかった悔しさを滲ませると同時に、これまでのサッカー人生が走馬灯のように駆け巡りました。そして、当たり前にくる練習、本気になって闘える試合がもうこないと思うとまた涙が溢れました。


そんな自分の18年間のサッカー人生を振り返ると、楽しいことや嬉しいことよりも辛いことや悔しいことのほうが多かったです5歳の頃に父と兄の影響で自然と始めたサッカー。最初は、練習に行くのが嫌で、駄々をこねてよく休んでいたのを覚えています。でも、行けば本当に楽しくて誰よりもボールを触っていました。家では、ドイツW杯の日本対ブラジルの試合やストイコビッチのプレー集を何度も観て、魅了されました。気づけばサッカーの虜でした。しかし、10歳からグランパスの育成下部組織に入り、勝負の世界の厳しさを知りました。練習に行くのが怖いときもありました。それでも、プレーが上手くいけば嬉しく、全国3位という結果も残せました。中学時代、試合に出られないこともあり、何度も悔しい思いをしました。初めて大きな挫折をしました。ただ、弱音を吐くこともありましたが、常に全員見返してやると思いながらプレーしていました。今思うとこの期間は僕にとって必要な時間でした。高校時代は、走って、走って、走っても、全く結果を残せませんでした。しかし、仲間とひとつの目標に向かって戦ったことが、本当に楽しくて最高でした。大学時代は、1年生のときには多く決められたゴールも、2年3年はゴールを決められず、苦しみました。決定機が嫌なときもありました。4年生を前に、膝のけがもしました。カテゴリーも落ちました。最後の3年間はもがいて終わりました。でも、終わった今、やっぱサッカーが好きでもっとやりたかったと思います。


そんな僕の夢は、プロサッカー選手となり、海外やW杯で活躍することでした。しかし、それは高校、大学と年代が上がるにつれ、自然と自分の中から消えて夢のままで終わりました。引退した今、本気で叶えたかったなと悔しさが込み上がってきます。僕のこれまでのチームメイトには、プロの内定を決める選手、J1で活躍する選手、日本代表の選手がおり、僕の夢を叶えようとしています。嬉しいと思う反面、自分がそうでありたかったなと悔しさもあります。だから、自分の現在のカテゴリーと比べ、落胆することもありました。特に、大学時代は辞めたいと思うことも、何度もありました。しかし、すべてのチームメイトの活躍が刺激となり、最後自分の納得する形で終えることができました。だから、今はこれまでのチームメイトを素直に応援できます。

特に、ワシ、翔登、頑張れ‼


18年間のサッカーを通して、徐々に人間性ができていったように感じます。特に、最後の1年間、僕をU22Aのキャプテンに指名してくれた太智くんに感謝します。あまりキャプテンらしくはなく、実力不足であるにも関わらず、試合に出られず不満を見せたこともありました。ただ、太智君であったから本音で想いを話せました。そこからチームを勝たせたいと強く思うようになり、より人間的に成長できました。最後、気持ちを見せられたかなと思います。3年間ありがとうございました。


最後に、ここまでサッカーを続けてこられたのは間違いなく家族の支えがあったからです。この場を借りて感謝を伝えます。

父は僕が小さい頃、自分のサッカーの試合を観て、よくダメ出しをしてくれました。僕はそれを素直に受け止めず言い返して、機嫌悪くなっていました。ごめん。もうそのやり取りがなくなると思うと少し寂しいです。サッカーを教えてくれてありがとう。

母は、送迎やお弁当、そして試合が遠くてもよく観に来てくれて本当にありがとう。中学生のころ、試合に出られなかった帰りの車で、母に「来た意味なかった」と言ったこと、今でも申し訳なく思います。辛い思いをさせてごめん。ただ、その翌日に自分の机に置いてあった言葉に救われました。その言葉のおかげでサッカーを最後まで頑張れました。これからもその言葉を胸に頑張ります。本当にありがとう。

姉はたぶん陰ながら応援してくれただろうし、兄は常に自分を超える存在でいてくれてありがとう。

プロサッカー選手として恩返しすることは出来なかったけど、立派な社会人としてこれからたくさん恩返ししていきます。


そして、これまでのサッカー人生を通して、素晴らしい同期、先輩、後輩、指導者、スタッフに出逢えました。幸せでした。サッカーで関わったすべての方々に感謝します。本当にありがとうございました。


サッカーへの想いが溢れかえり、長く拙い文章になってしまいましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。