Page44 「走り続けて」 鷲野倖大
この様な貴重な機会をいただき、ありがとうございます。折角なので私のサッカー人生を振り返らせてください。
初めてボールを蹴ったのはいつだったか、覚えていません。気づいた時には肩に虫かごを下げ、左手に虫取り網、左足にサッカーボール、これが私のファッションであり、3つ上の兄の背中を追ってひたすら走り続けていました。真っ暗になりボールが見えなくなっても走り続けていました。小学2年生の時、愛西市のスポーツ少年団FC市江に入り、ナイターのないグラウンドで監督の車のヘッドライトの元、思いっきり走り続けていました。中学に上がり、周りの選手も環境もこれまでとは一変しました。初めて勝負の世界の厳しさを痛感しました。今となっては何に追い込まれていたのか分かりませんが、「試合に勝ちたい、試合に出たい、点を決めたい」ではなく「〜しなくてはいけない、〜しないと怒られる」と勝手に自分を追い込むようになり、初めて自分の足が止まってしまう感覚を覚えました。母と自分しか知らないことですが、本当に不思議なものでいつも食べている母の料理でさえ喉が通らない時もあった気がします。チームとして3度出場した全国大会にも唯一自分だけ出場することなく3年間を終えました。高校では全国高校サッカー選手権を大きな目標として新たに走り出しました。結果的にはその目標を果たせずに3年間を終えてしまいましたし、悔いがないと言ったら嘘になりますが、常に全力であっという間に走り抜けた充実した3年間でした。そして中京大学に進学し、大学になってまで競技を続けると自分で決めたからにはという想いでこれまで以上に競技と向き合う気持ちが強くなりました。その想いと4年間継続してきたルーティンがさらに自分を成長させ、自分よりもサッカーが上手い選手と切磋琢磨していくことができました。特に4年となったラストシーズンでは試合に出場させていただく時間が多かったです。その中でチームの目標をほとんど達成できず、申し訳なさと悔しさが残る結果となってしまいましたが、サッカーの難しさと奥深さ、そして楽しさを再認識できるシーズンとなりました。最後の大会である全国社会人選手権では自身初となる全国大会のグラウンドを踏むこともできました。自分みたいな選手を必要としてくれたチームには感謝しかありません。本当にありがとうございました。
こうして競技15年間を振り返ると、圧倒的に苦しいこと、辛いことが多かったように思います。それでもここまで続けてこれたのはただただサッカーが好きだから。何よりサッカーが好きな自分に多くの人が関わってくれて、支えてくれる人がいたからです。
これまで自分を指導してくださった監督、コーチの皆様、自分はまだまだ未熟者ですが、競技以外の部分でも多くのことを教えていただきました。本当にありがとうございました。
そして、学生スタッフの皆さん、自分達が知らないところでも支えられ、みんながいなければリーグ戦や大会、日々の練習もまともにできていなかったと思います。本当に感謝しています。
同期のみんな、4年間、長いやつだと10年以上、みんなが近くにいることが当たり前でした。ピッチ上ではライバルとして、時には対戦相手として戦えたこと、ピッチ外では家族よりも長い時間を共に過ごして何でも言い合える関係になれたこと、今となっては当たり前かもしれないけど出会えて本当に良かったって改めて感じます。出会いに感謝です。頼むから定期的に電話をしてください。
また、自分を弟のように可愛がってくれたり、筋トレにさらに沼らせてくれた先輩方にも本当に感謝しています。
最後に、私はこれからも競技を継続することを決意しました。正直ここからの競技人生はいつまで続けられるか分からない、そんな世界だと思います。まだ自分が知らない茨の道を走り続け、進んでいけるように今後も全力で競技と向き合います。その覚悟はできています。そして、競技以外の部分でも、まずは1人の人間として成長できるように努力していきます。この道に進むことを応援してくれている両親、本当にありがとうございます。これからもよろしくお願いします。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。