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Page46 「終幕」 児玉拓朗

ーココロノオトー



かけがえのない時間

TOPチームの児玉拓朗です。まず今回引退ブログを書くにあたって私は後輩達に伝えれることはありません。自信を持ってこれをやった方がいいとかも言えません。自分のやってきたことに満足できていないし、特別何をしたらよかったのかも最終的には全然分からずに大学四年間を終えたからです。ですが、大学四年間色々な思いはありますし、色々な経験もしました。普段はふざけてて真剣じゃないように思われることが多いですが、真剣な時もありますし、つらい思いをすることもあります。普段は口下手で自分の考えていることを人に伝えることは苦手ですし、間違って伝わってしまうことがありますが、ここではこの四年間私が経験したことについて精一杯考えて書きます。私の四年間はみんなとは大きく異なると思います。うまく伝えられないですが、後輩達はそれを読んで色々思ってくれたら嬉しいです。


私は高校から大学に入る頃にプロになると言う強い意志を持って入りました。一年生の頃はTOPチームにいさせてもらいましたが、大学サッカーに慣れるのがすごく大変だったと今は感じます。高校の頃とは違いスピード感だったり、一個一個のプレーの質が違い、ついていくことが必死でした。また、一年生ということで、先輩に気を遣ってしまうことが多くあり、自分の意思でプレーができずに何度も監督や先輩に怒られました。でも今思うと辛いと感じたことはなかったです。サッカーが楽しかったし、プロになること目指して必死にやっていたので毎日が充実してたと思います。結局一年生では公式戦に絡んだのは数試合だけで、全然試合に出れなかったですし、自分のプレーに悩んだり、迷ったりして結局成長せずに終わったと思います。


一年目のサッカーが終わり、一月から2年目のシーズンに入ります。正直ここからの一年間はブログに書こうか迷いました。ですが私の経験したことや思ってることを書きたいので伝えたいと思います。この一年間は後悔、辛苦、感謝、努力が当てはまると思います。一月のシーズンが始まる頃、大きな問題を起こしました。問題のことについては言えません。分かってる方もいると思います。そこから一年間公式戦には1試合も出れませんでした。まず問題を起こしてから半年間は実家で過ごしました。サッカー部を辞める可能性もあったし、いつ部に戻れるかもわからない状態が続く中で、その中でも戻れた時のために毎日走って、いつでも動ける身体を作っていました。何で辞めるのに動いてるんだろうとか、やってる意味あるのとか、何してんのとか色々な感情が込み上げました。毎日私がやったことに対しての反省文を書いて、問題起こしたことに対して毎日後悔して自分に対しての怒りだったり、悔しさと葛藤して生活したのを覚えてます。人生の中で1番苦しかったし、1番後悔したし、1番自分と向き合ったと思います。ここで一つ言いたいのですが、被害者みたいな感じで話していますが、全て自分が招いたことだし、自分が悪いということを分かってる上で話しています。半年以上経って8月に2ヶ月の全カテゴリーのサポートをするという条件でサッカー部に戻ることができました。絶対戻れないと思っていたし、戻ってはいけないレベルのことをしたにも関わらず、部長をはじめスタッフの方々が努力してくださってサッカー部に戻れたことに本当に感謝しました。ここからサッカーを本気で取り組むことが自分のやらなければいけないことだと思いましたし、就活をせずにサッカーにかけようと思いました。2ヶ月間のサポートは身体的にはきつかったですが、気持ちは全然きつくなかったです。毎朝6時にグランドに来て走ります。7時30分までに準備をしてCUのサポートをします。終わったらTOPチームのサポート、12時頃には22A、その次にはU-20、22B、終わるのは19時くらいでした。そこから最後までグランドに残って、帰るのは21時くらいという生活を2ヶ月しました。体重は7キロ落ちて、監督にも帽子を被れと心配されたのを覚えてます。正直身体的にはきつかったです。ここでもう一度いいますが、私は被害者ではありませんし、私が招いたことなので当然のことです。サッカー部に戻してもらうために2ヶ月というサポート期間をいただいてもらえたことに本当に感謝してます。そこから中島コーチ、けんとくんと読んでいるのでけんとくんでいかしてもらいます。けんとくんの練習は本当にきつかったです、多分サッカー人生の中で1番走ったんじゃないかと思います。公式戦の登録はされてなかったですが、練習ができてることに本当に喜びを感じていたので、つらいとかは何も思わなかったです。12月にIリーグの全国大会で1年ぶりの試合に出ることが出来ました。正直試合前に色々な気持ちが込み上げて泣きそうになったことを覚えてます。スタッフの方のサポートがありここまで戻ることができたことに本当感謝しかないです。


3年生になり、吉田さんのもとでプレーすることになりました。プレーヤーとして未熟だった私ですが、ほとんどの試合に使ってもらい本当に感謝しかないです。吉田さんからは怒られたことは少なかったです。多分、自分自身で変わってほしいという意図があったのかと自分では思いますが、プレーヤーとしては変わることはできなかったです。そこは自分の弱さだったり、深く物事を考えない性格が出たから成長がなかったのだと思います。3年生の途中で吉田さんのお願いもあってTOPにあげてもらいましたが、正直プレーヤーとしては全然だったし、TOPチームでできるレベルではなかったので、あがってからはすごく苦労しました。4年生になってTOPチームで再びプレーすることができました。シーズン最初は3年の頃と変わらないようなプレーを続けていました。2月くらいになって、監督からはカテゴリーを落とすとも言われてました。しかし、自分の中で考えて、サッカーでこれからもやっていくということをより考えはじめそこから自分の殻を少しずつ破り変わっていくことができたと思います。前期に関しては少し試合に出ることもできたし、そこは変わることができたから出れたのだと思います。私はこの四年目のチームが本当に好きです。試合に出ることは少なかったですが、練習も楽しかったし、学年関係なく良い意味で仲が良かったと思います。チームのみんなは自分のことをどう思ってるか分かりませんが、自分はポジティブな人間ではないです。確かにお調子ものでふざけることは好きですが、ネガティブになることも多いし、細かいことに気を使ったり、周りの目を気にして行動することが多くて、意外に繊細な性格です。ポジティブに見えるのはネガティブになっても自分から発する言葉をポジティブな言葉に変換して喋ってるだけだからです。でもそれは大事なことなんじゃないかなと思います。監督からのいじりを面白く返したりするのは、それでみんなが笑ってくれて雰囲気が良くなればいいなという思いでやってました。正直つらいと思うこともありますし、何も考えてないと思われがちですが、結構考えてます。考えすぎで悪くなることが多いと思います。私は最後の年でこのチームのメンバーとサッカーが出来たことを誇りに思います。今思うと大学四年間で成長したのかと言われると分かりません。でも本当に色々な経験をして、色々な思いもしました。成長しなかったかもしれませんが、この先この経験が自分を成長させてくれるものだと思いますじゃなくて、活かします。結局どの道にいっても自分自身だと思います。人は変えてくれないし、自分で変わるしかないと思います。目標を決めてブレずに諦めないという気持ちが結局は大事なのかなと思います。親には本当に感謝しかないですが、ここで書くと恥ずかしいので書かずに直接会って感謝の気持ちを伝えます。


私はプロになることだけを目指してサッカーをやってきました。しかし、私のサッカーはここで終わります。努力が足りなかったし、もっと真剣に考えてやるべきだったと後悔はしてます。プロになると目指していたのだからなれなかった時点で後悔はするんですよ。でもこのサッカー人生を通して良い経験はできました。これから先に活かしていきます。絶対に。今思うことは、ブログが書いてる日が引退間近なので寂しいしかありません。同学年の仲間、そして仲良い後輩達と会えなくなるのはすごつらいです。本当に良い仲間に恵まれたと思います。本当に本当にありがとう。自分と仲良いと思ってる人は連絡待ってます。この四年間の全ての時間は私にとってかけがえのない時間でした。本当にありがとう。