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Page47 「歩んできた道、歩む道」 大嶋春樹

ーココロノオトー



サッカーを続けるか引退か。


あと少しで大学4年、だが、就職活動はしていない。なぜならば、自分の夢を追うために時間や意識を向けるためだ。


大学4年の8月に入り、オファーも練習会もゼロ。現実的なその後者の未来が、頭をよぎる時が増えた。


それでも、最後まで前を向くことができた大学サッカー生活。


サッカーで得た経験やものは、次に繋がるから。よく聞く文言だ。でも、それは何だったのって、疑問に思った。学生という括りが終わるこの良い機会で、向き合って考えようと思う。



1.頑張る理由があるということが幸せということ


「このままどこも決まらんかったらどうするん?」


「んー、したいことあってもサッカーほど熱もってできることって今のところ思い浮かばないからとりあえず実家帰るかな」


引退が近づいてこんな会話を何回かした。両親を含めて仲間、いろんな人と。


朝起きて学校に行き、授業を受けて夕方から練習。バイトがあればバイト、なければ家で自炊をして寝る。週1日のオフはまだなのかと思いながら残りの6日間はサッカーに没頭する。そんなサッカーがなくなれば、俺は何をするのだろう。


全国各地のサウナに行きたい、海外に行きたい、バイトしてお金を貯めて旅行に行きたい。いつも地元にいないから、帰省したらご飯行こうよ詐欺をしている友達とも会いたい。上げるとキリがない無限の欲望。けど、欲望を持っているだけじゃ成立しないような、そんな気がする。何かに頑張っているからこそ、その衝動に駆られるだろうなと想像できる。


そっか、俺はサッカーという頑張る理由があるから自分の人生を歩んで来られた。何かに熱量を注ぎ、眠い、身体痛い、きついなど愚痴を吐きながらも、結局頑張ることを選ぶ自分が好きだなと。そうじゃないと今の自分は、存在しない気がする。


自ら何かを生み出さなくても、サッカーという頑張れる理由や場所があること。私は、恵まれていて幸せであるということに気づくことができた。



2.「大嶋春樹」という価値観を作ってくれたということ


5歳から始めたサッカー。兄と僕は、野球とサッカーのクラブに体験に行ったが、サッカーを選んだのが僕だった。


初めは、何もできなくてただボールを追って蹴れたら喜んでいた。今でも覚えているが、その頃のビデオを見るとボールを前に蹴ることに必死で、見ていておもしろい。


ただ、歳を重ねるにつれてできることの幅も増えて、楽しさを感じる部分が変わってくる。中学生のときは、主役の影(言わば黒子)で活躍したいなって思っていた。相手を剥がしてスルーパスが好きで、そればかりしていた。スルーパスを出しすぎて「そんなずっと狙うものじゃない、大事なときにその良さを出せばいい」と言われたこともあります。

この頃から主役のように自分を表に出すのは、すごく苦手だった。


高校に上がれば、ポジションがDFになり、自分の能力を出せたら楽しいと思っていた。人より高く飛べているな、人より両足が蹴れるのかだとか。

その能力を伸ばすために続けたことがある。

入学して左足のインパクトが足りないなと思っていた。だから、練習中の長いボールを蹴る時間は、必ず左足で色々な種類を蹴るようにしていたときもあった。

これは、周りから見たら変な自主練習だが、同じポジションにいた仲間と少年用ゴールのクロスバーとヘディング練習。ゴール後ろからボールを投げ、クロスバーより高い位置でヘディングする、これを繰り返す。この練習でヘディングに自信を持てた。

この時期から、上手さもないし、周りと同じ練習をしても同じ、違う角度で成長しないといけないと感じた。人と違うことをすることに興味を持ち、自分で考えることが増えた。


学年が変われば、環境も変わる。出会う人も増える。サッカーを通じて、様々な指導者やチームメイトに巡り合う。身体も心も大きくなっているはず…


下手すれば家族より長い時間を過ごす人もいる。自分という存在を理解してくれて、関わってくれている背中をたくさん見てきた。その中で、自分には持ってない良さに惹かれてそんな人間になりたいと思った。


いつも笑顔で誰にでも優しく接している人、熱量で人の心を掴んでいく人、その人の目線になって言葉を吐ける人など。憧れになる存在をたくさん見ているからそうなりたいと思う。さらに、そういう存在になりたいと感じた。


一生懸命で、残酷で、厳しいサッカーの世界でしか見ることができない、仲間や指導者の偉大な背中を追いかけてきた。その日々の積み重ねが、大嶋春樹を作り、大嶋春樹が良しとする価値観や軸を持たせてくれた。


サッカーを通じて見て、聞いて、感じたものは人それぞれ違うものであり、誰かに奪われるものではない。


サッカーを続けてきて良かったと改めて思いました。これからもよろしく。



最後に、感謝の気持ちがあるので伝えます。


両親へ。

今まで自分に相当なお金と時間を費やしてもらっているおかげで、色々な経験をさせてもらい、サッカーを続けられています。ありがとう。

大学4年間で、きっと2人が期待する結果なんか全然残すことができなかったと思う。片道約5〜6時間かけて試合見に来てもらったけど俺はベンチに座っている、そんな日がほとんどだった。

だけど、2人は、「会えるだけで嬉しいんやからね」「あんたのしたいことをできる限りの応援はするからね、頑張りや」と伝えてくれた。


そう伝えてくれているのに、俺は電話で、怪我で悩まされて思うように身体が動かず、サッカーから離れたいと言ってしまうこともあった。良い姿を見せることができなくて申し訳ないなと思い続けてきた。


それでも、2人がおそらく望んできた健康な身体で、「縁」に感謝し、サッカーを楽しむことができていたかという問いに俺は、Yesと言える。この大学生活を過ごせて幸せだと心から思います。本当に感謝しています。ありがとう。


夢だった舞台でサッカーができるのも、2人の支えがあって、何かの巡り合わせなのかなと感じています。夢が通過点となり、新たな目標、夢ができました。

さらに厳しい世界に飛び込んでご迷惑をおかけしますが、まだまだ挑戦させてください。


ごめんなさい、もう少し脛かじります。



以上。

4年間ありがとうございました。

これからも応援よろしくお願い致します‼️