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Page48 「挫折と成功」 知花康士朗

ーココロノオトー



~これまでのサッカー人生を振り返って~

今回、引退するにあたって、ブログを書く機会を頂き、ありがとうございます。拙い文章ですが、自分のサッカー人生を振り返りながら精一杯書くので、読んでいただけると嬉しいです。

 私は、近くに住んでいた従兄弟の影響で、小学校1年生からサッカーを始めました。小学生の頃は自分が常に1番だと思ってプレーをしていて、攻撃になれば「俺にパスを出せ」「俺が決める」という気持ちでプレーをしていました。ナショナルトレセンに選出されたり、テレビで特集を組まれたりと、周りからもチヤホヤされすごく調子に乗っていました。中学はアビスパ福岡というJリーグチームの下部組織でプレーをしていました。当然、ここから先のサッカー人生もうまくいくと思っていましたが、中学からのサッカー人生は挫折のオンパレード。本当にきつかったし、何度もサッカーを辞めたいと思いました。1番最初の挫折は中学1年生の頃。入団してすぐはスタメンでプレーをしていましたが、徐々に出場機会を減らされ、途中出場が当たり前になっていきました。さらに全く試合に出られない事もありました。両親が応援に来てくれる事も多かったですが、正直見に来てほしくなかったし、そんな姿を見せたくなかった。悔しくて悔しくて、母に付き合ってもらって練習後に家でボールタッチの練習をしたり、朝早く健と自主練をしたりして、2年生の夏頃には上の学年に呼ばれたりと徐々に活躍できるようになりました。成長をすごく感じられたし、中学でもナショナルトレセンに選出されることができました。高校は、ユースではなく東福岡高校に進学しました。単純に選手権に憧れて、自分も全国大会で活躍してテレビで注目されたい。そんな思いで進学しましたが、この3年間が本当にきつかった。私が中学3年生の頃に東福岡が選手権で優勝したという事もあり、入部してからの練習は常に「日本一の練習量」を合言葉にとにかく練習しまくった。週1の走りの日は毎回走り終えた後、立てなくなるくらい追い込んだ。当時300人以上の部員数がいて練習から常に戦いは始まっていた。そんな3年間を乗り越えられたことは大きな財産になったかもしれないが、この3年間は人生で1番やり直したい期間でもある。私は1年生の9月からAチームでプレーしていて、国体や、選手権メンバーにも選出され、レベルの高い選手に揉まれながら1年生の頃はすごく成長を感じていた。しかし、2年生になると周りからの目を気にし過ぎるあまり、ミスをしない安パイなプレーを選択するようになった。その分チームの誰よりも走り、ハードワーカーとしてプレーをするようになった。上手くなりたいという向上心はなく、現状維持を選んでしまった。当然、同期にも後輩にも追い越され、3年次もメンバーに選出されながらも選手権のピッチに1回も立てずに高校サッカーが終わった。3年次は自分がどういう立ち位置にいるか十分理解していたはずなのに、それでも現状維持を選択して変われなかった。ミスをするのがどうしても怖かったし、最後まで周りの目を気にしてしまった。「変わりたい」そういった思いで大学でもサッカーをすることを選択し、中京大学に進学した。大学では多くの事を経験し、学び、成長できたと思う。入学当初はTOPチームでプレーをしていたが、実力不足で夏に1年生チームに。変わりたいと思って大学に来たのに全く変われていないことに気づいて、1年生の9月から日々の行動や思いを書き出して整理するための毎日ノートを始めた。大学2年生の頃には今まで中盤でプレーをしていたが、監督に言われて、サイドバックというポジションにコンバートされた。あまりやったことがないポジションですごく難しさを感じたし、どうしたらいいか分からなかった。チームのミーティングでも6割が自分のプレーについての話で練習でも自分ばっかり指摘される。試合も安定してずっと出続けることはできなかったし、3年次は後期リーグまでほぼ出場機会がなかった。この期間は今までのサッカー人生の中でも1番きつかった。そんな中でも頑張れたのは、自分を支えてくれる方々のおかげである。特にゆうりと春樹はよく自主練も一緒にしたし、一緒に過ごす時間が多かったと思う。ありがとう。大学でも多くの挫折を経験したが結果として、東海選抜に選出され、デンソーカップでは3位。インカレも全国ベスト8という結果を残すことができて良かった。


ここからは大学時代に学んだことを伝えたいと思います。

大学サッカーは高校までのサッカーとはレベルが段違いで、本当に自分は下手くそだなって何度も思わされました。上の学年も上手な先輩ばかりだったけど、毎年入学してくる後輩たちのレベルが高すぎて、自分にはない才能を持っていて羨ましかった。と同時に自分の武器では絶対負けたくないという気持ちもあり、一層自主練に励むことができた。今思えば、大学では変なプライドとか捨てて、「自分はまだまだ下手くそでもっとやらないといけない」と向上心を持ってやり続けることができたのが良かったのだと思います。

4年次は3月の半ばに右足腓骨を骨折し、4ヶ月間プレーをすることができなかった。人生初めての大怪我で、復帰後も痛み止めを飲まないとプレーができなかったり、少し無理したら肉離れや、怪我をしていない箇所が痛くなったりといった悪循環にも悩まされた。それでもやり続けられたのは絶対にこの経験が大きな財産になると過去の経験から確信があったからです。私は他の選手より挫折の多い選手だと思いますが、その度にどうやったら這い上がれるか模索し、成長につなげてきました。大学1年生の頃に始めた毎日ノートは現在では16冊になりました。私の尊敬する方の著書に、「1パーセントの成功のため、得意な分野でさえ99パーセントの躓きを経験した。」という1文があります。どんなに成功した方でも失敗ばかりの人生なのだと。だから私も何回も挑戦して成功につなげていきたいと思います。まだまだ課題は山積みだし納得のいくプレーなんて全くできていないけど、今後も1日1日を大切に自身の成長につなげていきたいと思います。


トミさん

4年間本当にお世話になりました。

正直2、3年生の頃はトミさんから逃げたかったですが、今では本当に感謝しています。トミさんと出会わなければ今の自分はいないし、トミさんのご指導のお陰で多くのことを学び成長できました。1個指摘してできるようになったら、今度は今までできていたことができなくなっていると、積み重ねがあまり出来なかった自分に対しても根気よく向き合ってくださり本当にありがとうございます。何度もトミさんから逃げたくなったけど、最後までトミさんについて行って本当に良かったです。今後の活躍も期待しています。自分も次のステージで結果を出せるように頑張ります!

吉井さん

練習メニューがとても面白いけど、自分にとっては難しいメニューが多かったです。

優しくもあるけど時にはすごく厳しい言葉も投げかけてくれて、その度に上に行くことがそんなに甘いことでは無いと、上に行くための覚悟などを吉井さんの言動から学びました。

練習中や試合後などに自分のプレーを1つ1つ解説してもらい、躓いた時には相談に乗ってくださって本当に感謝しています。ありがとうございました。

テツさん

常にチームのムードメーカーのような存在で、テツさんがいるからチームの士気も高まったし雰囲気も良く1年間過ごすことが出来たのだと思います。試合前の「康士朗、お前ならできる、大丈夫、自信もって」という言葉に勇気を貰い、とても救われました。本当にありがとうございました。

ここまでサッカーを続けられたのは健の存在が本当に大きい。この場を借りて感謝したいと思う。健とは生まれてから今までずっと同じ進路を歩んできて、バイト先も同じだし、どんだけ一緒におるんやってよく言われるくらいずっと一緒にいたな。サッカーでは常に健を意識して過ごしてきて、大学になるとお前の凄さをすごく感じた。今こうしてサッカーで進路を決めることができた俺がいるのは間違いなく健のおかげ。本当に双子で良かった!俺がサッカーで自信を無くした時、お前の姿を見て踏ん張れたし、プレー面では大学に入ってだけど、健のプレースタイルや、武器を吸収しようと頑張った。双子だったら俺にもできるんじゃないかって。そのおかげで武器も増えたし、多くの人に評価してもらえるようになった。本当にありがとう。

テレビ取材や、ナショトレに双子で同時に選ばれたこと、全国大会に一緒に立ったこと、国体に一緒に出場できたこと、そして小さい頃から今も時間ある時は一緒にトレーニングするあの時間、すごく宝物だよ。お互い進む進路は違うけど、俺ららしく何事にも全力で駆け抜けていこう!

後輩たちへ

どんな先輩だったかな。大半がもがいている姿でかっこいい先輩ではなかったけど、ポテンシャルの高い後輩たちに囲まれて負けじとここまで頑張ってこられたよ。何も無い自分がサッカーで進路決められたのは人一倍努力したからだと思うので、素晴らしい才能を持っている後輩たちには自分より上を目指してもらいたいし、そうならないといけないと思う。もちろん、自分も負けないようにもっともっと努力して上目指していきます。お互い頑張りましょう!

最後

次のステージでもありがたいことに、サッカーを続けることができます。現状に満足することなくさらに上を目指して今後も頑張っていきます。きつい時でも考え方を変え、自分への試練なのだと。成長できるチャンスだと。できるだけそう捉えて挑戦していきます。どんな時でも支えてくれた家族、友人、一緒に4年間過ごした同期のメンバー。本当にありがとう。本当にお世話になりました。次のステージでも頑張ります。