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Page50 「さらば、愛しき楽園」 川地功起

ーココロノオトー



どうも。中京大学トップチームの川地です。今年は背番号「4」でした。この番号を1年間つける事に覚悟と責任がどっと肩に乗った4年の春がつい最近のように感じるくらいに、ものすごいスピードで引退ブログを書く時期になっちゃいました。

さぁ。何を書こうか。

熱男。名言好き。バインパス男。ド正論男。ズレキャラ。様々な異名?を持つ私が、今こうして大学サッカー生活を終える寸前(ちなみに書いている日は12/13のインカレ期間中)に立たされて振り返ってみると、4年間の長く険しく暗い道のりや泥水を啜るくらいのどん底やそんな関わってない子のインスタのストーリーに無意識にいいね。を押すくらいサッカーで舞い上がった最高な瞬間・景色を見た日など。濃すぎるくらいに色んな経験をした。その1つ1つの宝物や私の思い出話をこの素晴らしい引退ブログの中で書き出し文字として残すのも悪くはないが、そんなことりも、もっと私にはやるべきことがあると思う。


そう。


もう書く内容は決まっている。後輩に向けてだ。私がこの4年間をもって積み上げてきたもの、その積み重ねている時の心情。そのすべてをこの引退ブログに記したい。そして、後輩達が何か壁にぶち当たった時、川地功起の引退ブログを見返して少しでも突破口が、サッカーに対する熱い思いが、湧き出てくれたら私のブログはより価値あるもになると心から思う。


多分長編の大作になります。まだわかんないけど、伝えたいことが多すぎてまとまりのない文になりそうな予感しかないです。だから、何個かに分けます。全部見たい人は何時間かかっても見てください。(トップのやつらは強制、そうし、たくし、しゅうた、たつは、かずやも全部ね)感想まで送ってください。

そんなに興味ない人は、1個のセクションだけでいいんで読んでやってください。

では。


・怪我を抱えている者へ

・プロを目指している者へ

・感謝感激雨嵐

・決意


怪我を抱えている者へ

「痛いなら抜けろ、やるなら弱音を吐くな、全力でやれ。」口では言えるが、私はこれができなかった。4年間で様々な怪我をした。手術もあればプレーをしながら治せる程度の怪我まで。本当にたくさんの怪我があった。だから、ある程度の怪我ならできる限り練習に入りたかった。この時点で「痛いなら抜けろ」は除外されていた。

では、「やるなら弱音を吐くな、全力でやれ」はどうだろうか。これも中途半端だった。練習に溶け込むことはできたがそこに成長はなかった。自分でプレーに制限をかけ1時間30分という練習をただ乗り越えていた。そんな日々が1か月、2か月と続けばどうなるかなんて、カタールワールドカップを機にサッカーを好きになった人でもわかるくらい簡単な事だった。それでも私は、この痛みを、怪我してる憂鬱感を、怪我を抱えながらサッカーやってる姿を、誰かに分かち合って欲しかった。 私はそんな小さい男だ。

同期に努力の天才がいた。彼は、常に100%でプレーをしているのが私の勝手なイメージだ。だが、そんな彼も怪我を抱えていた。6か月も痛みと共に生活している。なのに、それなのに、寒い日は1時間半前にシャワーで足を温め、1時間前にグランドに来て入念なストレッチをして30分前にはジョギングをしていた。1日も欠かさず。練習では痛みを抱えながら今出せる全力を常に出していた。自主練でもスプリントを何本もやっていた。痛いはずなのに。痛くて休みたいはずなのに。そこに彼と私の差が生まれた。それに気づかされたのがつい最近だった。手遅れ極まりない。


もう言うまでもないが、改めて言わして欲しい。怪我を抱えている者へ。

痛いし苦しいしいつ治るのか不安だしリハビリ地道すぎるし。治ったと思ったらまた痛くなる。ましてや、違う場所まで痛くなる。テーピングしても痛み止めを飲んでも痛みなんかなくならない。怪我さえなければって何百回も思う。

トレーナーも監督もコーチも仲間もみんな理解はするし同情もしてくれる。でも、それだけだ。同じ痛みを感じてくれないし、代わってなんかくれない。

「怪我を抱えている。」

だからどうした。怪我をしない選手の方がいいに決まってる。100%でプレーする選手の方が成長するに決まっている。痛いのなら抜けろ。グランドに立つと決めたならば痛みは関係ない。テーピングで足をガチガチにして痛み止め2錠飲んで、痛くても苦しくてもきつくても歯食いしばって成長に囚われろ。怪我が治った時、今の立ち位置より上に居たいなら。

怪我に、自分に、負けるな。頑張れ!



プロを目指している者へ

 J3、2チーム。JFL、2チーム。関東1部、1チーム。計5チーム。全て落ちた。

1年か2年前にブログで「最後に笑いたい」と威勢を張った。結果を見れば散々だ。特に今日までの4か月、何もかもが上手くいかなくて笑顔の下に、経験したことのないくらい不細工な顔があったんじゃないかと思う。(上手く隠せてただろうか。笑)

 私の親友の鈴木君が引退ブログで「夢を【諦めた】くすんだ色が夢を【叶えることができなかった】鮮やかな色に変わったかもしれない」と言っていた。そんな綺麗なものじゃないよ。最後の最後までいろんなもんを犠牲にしてプロという夢を追い続けて【叶えることができなかった】色は真っ黒だ。いや、真っ白か。練習会に参加して帰った次の日に冨さんから「駄目だったわ」って言われたその瞬間、電車で合否メールが届き【不合格】の文字を見た瞬間。一瞬にして思考が止まる。夢も目標も次のプランも、すべてが頭から削除される。音が入ってこない。(よくドラマであるやつ笑)


これは私が体験したリアルだ。プロサッカー選手という輝かしく名誉ある夢が叶わなかった者のリアル。本当に情けない。引退ブログで「私みたいに頑張れば下手くそでもプロサッカー選手になれるぞ」と書きたかった。その方がかっこいい。だが、現実はそんなに甘くはない。わかってはいたが、いざ現実を突きつけられたら想像の何十倍も苦しい。


こんな私みたいにならないように。プロを目指している者へ

技術を磨き、サッカーIQを高め、人間性を養え。この3つを人並以上身に付ければ、晴れて君はプロの仲間入りだ。だが、私はそんな簡単なアドバイスは出さない。

人間性は必ず養え。周りに目を配り視野を広げ細部にこだわる。物、人、環境に感謝し奉仕する。その心を持ちながらサッカーをして私の代わりにプロになってくれ。サッカーにおいて一番大切なのは「人間性だ」と言う同志が私の代わりにプロの道を進んでくれ。

そして、人間性を養った上で、特徴を1つ、2つ。足が速い。体が強い。キックの制度がズバ抜けて良い。アベレージが高いよりも突出したもの。これだけは誰にも負けないという何か。1週間や3日間で自分とはこういうプレーヤーだとインパクトを残し喉から手が出るほど必要とされないといけない。

Q自分の武器は何か。そして、何があってもその武器に絶大な自信を持てるか。

この質問に一切の迷いなく答えられれば間違いなくプロの夢は手の届く場所にある。そして、最後の最後まで諦めるな。何が起こるかわからないから。 頑張れ!


感謝感激雨嵐

・大学サッカーを走りきれたのは間違いなく、トレーナー陣のおかげです。上記でも話しましたが私は非常に怪我に苦しみました。だが、1度も地面にケツを着けず何度でも立ち上がり高い所にある夢に向かってジャンプをし続けてきました。加藤淳司、高野将伍、山根勇斗、彼らが居なければ、彼らと出会っていなければ、どこかで心が折れてケツを地面に付けていたかもしれない。怪我の治療期間が長引いてTOPチームに居なかったかもしれない。恩返しはこれです。という形に残る物や成績を出せなかったのが後悔しかない。短い間でしたがお世話になりすぎました。本当にありがとうございました。


・大学4年間を共に歩んでくれた同期。

トップの5人は、本当に最高だった。チームの顔という重圧を素晴らしいくらいに跳ねのけた。間違いなく俺らの力。色々試した1年だった。上手くいったり、行き詰ったり。チームのために削ったあの時間は1秒も無駄ではなかった。自信をもって言えるな。この先みんな離れるけど色んな場所で頑張ろう。

ゆうり。現社の友情はゆうりが1番あったよ。引退してからも見に来てくれてありがとう。その度に、熱い言葉くれて嬉しかった。

こう。努力の天才君に努力の仕方を学んだ。あんなに自分にベクトル向けれるやつはそういないよ。これからも見習います。痛み止め中毒にならないように。

たくろう。俺のこと下に見てたやろ。(笑)試合出る機会少なかったけど、分析とか率先してやってくれてありがとう。

はるき。めっちゃ悔しいです。2人で行ったのにはるきだけ受かるのは悔しすぎる。でも、はるきの方が絶対頑張ってたし活き活きしてた。今は心から応援してる。暴れてこい。

 ゆうと。頼れるCAPだったよ。1言でチームの行く先を決める決断をする重圧は君にしか感じれないものだろう。俺らの知らない責任や苦悩をいっぱい抱えてくれてありがとう。

副キャプとして上手く支えられたのでしょうか。いつかお金返すね。

みんな本当にありがとう。心から感謝してます。(焼肉は今でも恨んでます。)

忘れもしないU20達(未来も)。クソ楽しい1年を過ごせて良かった。サッカー真剣にやんない奴いたし、準備しない奴いたし、オールでサッカーくる奴いたし、大事故した奴もいたし、4年までサッカー続けなかった奴もいた。でも、どこで会ってもちょっと立ち止まって話したりあの時楽しかったよなーって思い返したり。濃い関係になれたと思う。最後の試合、応援いっぱい来てくれたの俺の応援やと勝手に思ってる。(笑)20の代表として出れなくてごめん。お前らの代表がこんなやつでごめん。でも、20で育ったからこそいっぱい後輩に伝えれるもんあったし姿で見せれたと思う。本当にありがとう。


・最後に地元の友達。

色んな会場に来てくれてありがとう。何かある度に連絡くれてありがとう。タオル買ってくれてありがとう。自慢できる友達じゃなくてごめん。あなた達を大きい会場に連れてくるのが目標の1つでした。インカレは申し訳なかった。本当に悪かった。まだまだこの先も友達であり川地功起のファンで居続けてください。頑張ります。本当にありがとう。


そうし、たくし。これからも電話しような。刺激し合ってもっと高い場所に行こう。



私のこれまでのサッカー人生は多くの方々に出会った。サッカーをやっている人ならば、誰もがこのような状況になるはず。この出会いに感謝しなければならない。心の底から手を合わせ頭を下げなければ。今日までのサッカー人生で出会った全ての人に感謝します。ありがとうございました。

最後のセッションは個人的な感謝の場となったことを許してもらいたい。1番支えてくれた親には文字ではなくちゃんとした言葉で感謝を伝えたい。


以上を持って私が4年間で身をもって経験したものを伝える文を終えることとする。



どうだったでしょうか。

私のこの文字が少しでも誰かの支えに励ましに活力になれば。

4年間の思いを込めたこの言葉が重みを持ちここまで読んでくれてるあなたに届けば。

本当に書いて良かったと強く思います。何かを感じたのなら次は行動あるのみです。読んでくれている全ての人がいつか報われますように。


最後に、決意を。

文中に「プロになってくれ」とあるが、私はプロサッカー選手を決して諦めない。何年経ってもプロサッカー選手になるまでは諦めない。待ってろ、ゆうと.はるき.そうし.

いつか自分が報われるまでボールをひたすらに追いかけ続けることを決意します。



追記 12/26

インカレベスト8。そのスターティングメンバ―に私の名前はありませんでした。2年間、色んなことがあったが守ってきたポジションを大学ラストの大会で明け渡してしまった。不甲斐ない。私の大学サッカーはやはりどん底がお似合いだったのでしょうか。少し時間が経った今でも悔しくて悔しくてたまりません。120分を戦ったボロボロの体にベスト8だと知らせる審判の笛を聞かせたらベンチの時より喜びが溢れ出てるに違いない。味わいたかった。最高の景色を瞬間をグランドの上から。

悔しいよな、そうた、ふみや。ずっと出てたり新たに抜擢されたりして勝ち取ったポジションを失うのは。でも、これが現実だから。これがサッカーだから。そんな状況でも、チームのために役割見つけて行動しないといけない。そこに自分の感情を持ち込んではいけない。インカレ期間中や1回戦、2回戦、3回戦、私の行動がどんなんだったか。ベンチで不貞腐れていたか。「俺だったらこうしていた」と嘆いてたか。期間中、バスから練習会場まで自分の荷物しか持っていなかったか。

上記にこそ、サッカー選手としてのあるべき姿が映し出せれると私は学んだ。今回ベンチだったメンバー、これからベンチに入るメンバーは意識してほしい。これが真のベンチワークだと考える。 なぁ、こさ。

ただ、1番左のディフェンス組んだツンデレそうた。俺のこと好きな熱男ふみや。ベンチにいるな。お前らはグランドの中を走りチームに貢献しろ。この経験で痛いほどに感じた悔しさやどこか心の底から喜べないあの感情を忘れずに泥臭く必死に努力しろ。あと、働きアリふかつも(笑)

今年のTOPが本当に大好きでした。みんなに頑張ってほしい。進藤もかんつもひでもドリもおしもたいせいも。他の奴らも。全員で今回のこの結果を超えてほしい。心からそう思います。30人くらい一気に出れればいいのになぁ。離れた土地から熱く応援してます。頑張れ。                                                                                                                                                                                                                                                                                                     

中京大学サッカー部が私にとって楽園でした。何をしても何を言っても手を貸してくれて共に挑戦してくれて共に笑ってくれて。1年生から4年生までがこんなにも近い距離でいじり合ったり言い合ったり笑いあったり喜怒哀楽を感じれたこの場所この空間は私にとって楽園そのものでした。心からありがとう。(今本当にパーティーの終わりの名残惜しい感じだ。)

お世話になりました。TOP最高。中京大学サッカー部最高。



さらば、愛しき楽園。



本当に長くなってしましいました。まだまだまだ書きたいですが、終わります。最後まで読んでくれた方本当にありがとうございます。

以上、川地功起の引退ブログでした。