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Page4 「自分を変えた大学サッカー」 加藤希夢

ココロノオト~season2~


まず初めに、日頃より中京大学体育会サッカー部を支えてくださるスポンサーの皆様、大学関係者、応援してくださっている皆様に感謝申し上げます。

 

 10/29ホーム最終節をもって引退してから数日ですが引退ブログを書くことになり、振り返ると大学サッカー4年間あっという間で寂しい気持ちが込み上げてきます。今年一年は自分に重圧をかけ、チームを勝たせなければならない責任の中で何一つ達成できなかったことにまだまだ自分は弱い人間であり、人の心を動かせるまでの実力がなかったと悔しい思いも滲み出てきます。その中でもこの経験ができたことに感謝し、想いを綴らせていただきます。

 

 4年間を振り返るといろんな出来事がありました。1年時はコロナウイルスが流行り始めた時期で大学サッカーがスタートしたのは6月下旬でした。練習が始まってからもなかなか大会は始まらず地獄の夏休みを過ごしたことを覚えています。毎日灼熱の太陽の中走りから始まり、そして対人で毎日2時間半の練習は耐える以外ありませんでした。無心でサッカーをやり続け、闘う、走るというベースが自然と身体に染み込んでいました。そこからIリーグが始まり東海大会を優勝して全国に出場することができました。あの経験があったからこそ今の自分にも活き、自身にも繋がっていると思うと、きついながらも充実した1年だったと思います。2年時は社会人リーグの上のカテゴリーに所属することができましたが膝の怪我や鼻骨の骨折などでプレーできる時間は少なくリハビリに励む期間が長かったです。今までのサッカー人生の中でこんなにもプレーできない時間は初めてで非常に悔しく、復帰してもうまくいかないことだらけで苦しい一年でもあったと思います。

 3シーズン目は大きな転機を迎えたシーズンでもあります。サッカーの向き合い方から何から変わり、あれだけ熱くなったシーズンは今までになく、勝ちにより貪欲になったシーズンだったと思います。4年生という先輩がいる中でもカテゴリーの監督からキャプテンをシーズン初めに打診されました。不安がありながらもキャプテンを引き受け、3年生ながらカテゴリーのキャプテンを務めました。4年生にも助けてもらいながらチームのリーダーとして先頭に立つ努力をしました。特別何か意識したわけではありませんが自然と責任感が生まれ、試合中には声をかけ続け、チームを鼓舞することができ、さらなる自信にもなっていきました。前期のリーグ戦は足首の怪我に悩まされ、なかなかピッチに立つことができず、全国社会人選手権東海予選の1週間前に完全復帰しました。前期はチームとしてもなかなかうまくいっていなかったためチームを立て直すためにも選手ミーティングを開いたりと自分のできることに全うしました。そして東海社会人選手権では劣勢の中大学生らしく闘い続け、ジャイアントキリングを起こし、全国出場の切符を勝ち取りました。復帰して1週間の中でも自分をスタメンで使ってくれた監督、そこまでにコンディションを戻す努力をしてくれたトレーナーには頭が上がりません。あの熱い2日間、あの終了のホイッスルと同時に全国切符を掴んだ瞬間は今でも忘れることなく、応援団と共に勝ちロコしたことを覚えています。キャプテンとして自覚と責任が芽生えたことでよりプレーも安定して、高校の同期が試合を見に来てくれたときには「あんなにも声をかけ続け、チームを鼓舞してる姿は初めて見た」と言われたときにはキャプテンをやってよかったと改めて思いました。高校時代からスタッフには喋ることなどは言われ続けていながらもなかなかその殻を破ることができず、苦しい結果に終わった高校サッカーだったからこそ、それを高校からできていたらもっと活躍していたり、試合に出続けることができていたのかもと悔やんだ瞬間でもありました。高校の監督には弱い部分をずっと言われ続けてきた中でそれに応えることができずに卒業した分、結果で変わった姿を見せたいと思うようになりました。

 そして人生2回目、大学サッカー2回目となる全国大会が鹿児島県でありました。ここに向けてチーム全員で士気を高めて調子も上げて、勝ち続ける準備もできていましたが結果1回戦で負けてしまいました。学生サッカーとは違い、社会人サッカーはJFLそしてJリーグへと繋がっているため全国大会は上を目指すチームばかりでした。対戦チームも宮崎のチームでしたが組み合わせが決まった次の週の東海リーグに偵察に来ていたりと「1シーズンでも早く上のカテゴリーへと上がるんだ」という強い想いがあったと思います。自分たちもYouTubeに上がっているハイライトを見て話したりはしていましたが実際に対戦した80分は思っていた以上の遥か上で想像していた以上の強度でした。もちろんサッカーは紙一重なため先制点を取れるチャンスがあった中で決めきれずその後点を取られたりと劣勢で試合が進んだ中であそこで決めきれていたらどうなっていたか分かりません。しかしそれもサッカーで相手の勝ちに対する貪欲が強かったのです。1回戦で負けはしてしまいましたがあの会場の雰囲気、高揚感は今までに感じることがなかったものであの舞台にもう1度戻りたいと強く決心した日でもありました。それと同時に4年生ともうサッカーができないと思うと自然と涙が溢れてきて号泣してしまいました。初めてキャプテンをやったこともあり、先輩たちと全国に行き、1日でも長くサッカーをしたいと思い、あれだけ熱くサッカーができたシーズンは初めてでした。一緒にCBを組んだ先輩には助けてもらうことばかりで常に声をかけてもらい、学ぶことばかりで、隣にいる姿は逞しかったです。こんな4年生になって後輩を引っ張っていきたいと思い、自分の中で4年生になってもキャプテンをやろうと決心しました。

 学生ラストシーズンを迎えた今年は最終学年としてより一層責任感が生まれました。シーズンが始まり数日経ったのちに「キャプテンをやりたい」と監督に打診しました。昨年以上のことをしなければならないと言われましたがそれをやりきる自信もありました。昨シーズンを活かし最高学年としてチームを支えることへ重きを置きました。目標を明確にしました。全社出場、昨シーズン降格してしまった東海一部リーグへ昇格することでした。結果は目標を1つも達成できずに終わってしまいました。キャプテンとして昨年以上に試行錯誤しましたが結果には表れず、自分の弱さを痛感しました。そして昇格を占うような試合に怪我でベンチ入りできなかったりと今年1年キャプテンとして失格でした。

 

 この4年間苦楽がありながらも楽しくサッカーできたことがまずはよかったです!仲間、スタッフそして環境に恵まれ、2回も全国出場を経験することができ、これ以上ないサッカー人生の中の4年間でした。自分は全社を経験し、あの舞台、あのピッチに戻りたいという想いが強かったため社会人になってもサッカーを続けます。さらなるビックな人間、プレイヤーになっていくためにもこの4年間積み上げてきたものを忘れず、謙虚にひたむきに何事にも驕ることなく精進していきたいと思います。

 そして、3年時からサッカーに対する向き合い方が変わり、生活も変わりました。試合に対する準備、試合に向けて筋トレなどをやったりしました。体重を維持し、身体つきも変わってきたりと大会に向けてコンディションを合わせたりもしました。そしてoffの日は他大学のJリーグを目指す子と時間を共にしてサッカーの話をしたりいろんな話をしました。そして共にJリーグを見に行ったりと今までにない生活を2年間過ごしました。こういったことは上を目指すうえで当たり前のことかもしれませんが大学生になると遊んでしまう時期があったりと迷走する選手もいます。その中でオンとオフがはっきりとさせた選手が上にいくと感じました。その子もオンとオフがしっかりしていて、サッカーの話になると熱いものがあります。そして譲れないものもあります。そして見に行った試合では結果を残したりと活躍しています。こういった選手と関わることができ、幸せ者だと感じました。中京のメンバーもサッカーにひたむきな選手が多く、刺激ある毎日でした。サッカーを続けようと思ったのも仲間に恵まれたからだと思っています。キャプテンは肩書きであり、みんなで勝ち取った全国出場などがあったからこそ素晴らしい景色を見ることができました。感謝しかありません。みんなの力がなかったら全国の舞台は経験できていなかったと思います。

 

 両親そして兄。1番のスポンサーであり、1番の応援者であったことに間違いありません。遠い鹿児島、ラストシーズンは毎試合足を運んで応援しに来てくれたりと頑張ろうと思った源でもありました。本当にありがとう。あの全社という素晴らしい舞台にまた連れていきたいという目標もできました。来シーズンからは仕事もしながらで今以上に過酷な日々ですが、さらに上を目指すためにも初心に返り、感動を届けたいと思います!

 

本当に4年間ありがとうございました!