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Page12 「ゲームのように」 矢田祥真

ココロノオト~season2~


「将来の夢はプロサッカー選手になることです!」

 

と胸を張って言えたのはいつまでだっただろうか。ずいぶんと昔にそのようなことを言っていたような気がする。よく将来の夢を聞かれることがあったが、大人たちの欲しがる答えが“プロサッカー選手”であると確信して答えていた記憶ある。

 

 

小学生の頃は“プロサッカー選手”を志せていたか。おそらくしようとしていただろう。馬鹿みたいにボールを追いかけて無心でサッカーをできていた時代だ。プロサッカー選手になるイメージはできていなかったが、サッカーというもの自体に楽しさを見出し熱中していた記憶がある。一種の“ゲーム”のような感覚だ。周りの人たちより極めたかったし、トレセンに入るという称号のようなものに一喜一憂していたような気もする。本当の意味で“プロサッカー選手“を目指し、日々を送れていたかと言われれば違う気がする。ただ”ゲーム“を楽しんでいただけだ。小学生時代に身につけたこの感覚は今後のサッカー人生において、持ち続けることとなる。

 

 

では、中学生の頃はどうだったか。本当のサッカーの楽しみを知ったのはこの時期だ。チームとしては弱小であったが、ボールを扱う楽しさを知れた。勝ち負けを一切排除した価値観が心地よかった。味方のミスなんてどうでもよかった。自分のプレーが良ければ0-10で負けても楽しかった。今思い返せば、この時“相手の逆をとること”や“上手いドリブラーを完璧に止めること”という部分に面白さを感じるようになった。“ゲーム”の種類が変わった時期だった。変わったというか細分化された感じだ。サッカーという大きな枠組みのある特定の部分に楽しさを見出したということだ。

 

 

高校の頃は、サッカーというものにのめり込んだ時期だった。プロサッカー選手になっているイメージはどうしても湧かなかったが、ぼんやりと人生が好転していくような気がしていた。サッカーが常に横にいるような異常な環境。自分よりも上手いやつがその辺にうじゃうじゃいて、自分の下手さに痛感する毎日。だがそんな日々もなんだか新鮮で悪くなかったし、気に入っていた。この時代は自身のレベルを上げることに楽しさを見出していた覚えがある。まるでメタルキングを狩り続けるように自主練をしていた。日々の練習でどんどん上手くなっていく自分、そして自分以上に上手いチームメイトと共に戦っていく状況でなにか満たされていくような感覚があった。

集大成として選手権で優勝し、そこで確信することになった。サッカーを極めることは自分にはできないと。自分は高校3年時の1年間、公式戦にほとんど出場していない。もちろん選手権にも出場することができなかった。選手権で優勝した時、人生で初めて心の底から喜んだ瞬間だった。悔しさが一切湧かなかった。だってこれまで一緒にやってきた仲間が優勝すれば嬉しいものでしょう。だが客観的に見て、そこで“悔しい“という感情が少しでも出てこないということがサッカーを極めることができないと確信できる要因にもなった。自分にとってサッカーは良くも悪くも”ゲーム“だったのだ。ただ人生を豊かにするためのツールでしかないということにこの時点で気付いた。いや、気付いてしまったというべきだろう。

 

 

 “プロサッカー選手”を目指すことをやめたが、大学でもサッカーを続けることにした。というか当たり前のように続けていた。特定のコミュニティに属しているという安心感が欲しかったのかもしれない。自分にとって、サッカーは面白い“ゲーム”のままだったし。だが、1年の頃は地獄だったのを今でも鮮明に覚えている。毎日馬鹿みたいに走って筋トレして。面白くなかった。いや、走りと筋トレに面白さを見出すことができなかった。自分だけではなく、誰もが面白さを見出せていなかっただろう。“プロサッカー選手になりたい”という強い意志のあるやつがあの苦行を前向きに捉えられるだけだ。自分にはその強い意志とやらはなく、苦痛極まりない時間だった。

そして、強い相手や必死な相手にどれだけやれるかという部分に面白さを見出すことにした。“サッカー”をしている時が一番面白いと思ったからだ。だからたまにあるTOPとの紅白戦やIリーグの全国、全社のかかったトーナメントなどは楽しかった覚えがある。でも所詮、自分にとって“ゲーム”でしかなかったし、その“ゲーム”に飽き始めていた。飽きるというか“ゲーム”として認識してから面白さが無くなっていき、向上心が湧いてこなくなった。“ゲームのようにする”と“ゲームとしてする”の違いを理解する4年間になった。この違いに気づくことができなかった大学4年間の自分は、ゲームセンターによくいる海物語をしている老人のようだった。何の目的もなくただグラウンドにきて、良いプレイをすればそれなりに満足し、悪いプレイをしても「まあそういう日もあるか」と自己完結するような暇つぶしの延長線上に自分がいた。今後の人生のために、“ゲームのように”という絶妙な感覚がサッカーの実力を向上させてきたことを覚えておくことにしよう。あくまで“ゲームのように”だ。

 

 胸を張ってプロサッカー選手になると言えたことは一度もない。だが、サッカーがもたらしてくれたものは色々あった。自分のほとんどの交友関係はサッカーがくれたものだし、ゲームのような視点や様々なことに面白さを見出す能力だってサッカーがくれたものだ。だからサッカーをしていてよかったと胸を張って言える。サッカーをしていなかったらこんな面白い人生ではなかったと確信している。

サッカーをここまでさせてくれた家族には感謝しかない。母は自分のサッカー活動を全力でサポートしてくれたし、定期的に自分の試合を見にきてくれた。中学の頃は大阪まで送り迎えもしてもらっていた。母なしではここまでサッカーできていなかったと思う。父は俺のプレーを見たことないけど、何も言わずお金を出してくれた。薄情者って思うかも知れないけど個人的にはめちゃちょうど良い距離感だった。父のおかげでサッカーをできているってことを忘れたことはない。悠真はサッカーをするきっかけをくれた人だ。帰省してたまにするサッカーがおもしろかったのを覚えている。今度、本気の一対一しよう。プライドをかけて。

 

最後になりますが、これまでサッカー人生で関わったそれぞれの人たちに心からの尊敬と益々のご活躍をお祈り申し上げます。ありがとうございました。