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Page13 「憧れることをやめる」 小池亮太

ココロノオト~season2~


豪快なシュートでゴールを決める、様々な種類のパスでチームの攻撃を組み立てる、多彩なフェイントを使って相手を交わす、これらのプレーはサッカーをプレーするうえで魅力的に感じるプレーの代表的なものであり、サッカーをプレーしたことがある人であれば一度は憧れを感じたことがあると思う。私自身も16年間サッカーを続けてくる中でこれらのプレーに憧れを感じていた。しかし私と一緒にサッカーをプレーした方なら分かると思うが、私のプレーは多くの人が憧れるものとは真逆のプレーをしている。今回のブログでは私がなぜ憧れとは真逆のプレースタイルでサッカーをプレーしているかについて書きたいと思う。

 

私は小学1年生の頃に地元のサッカークラブでサッカーを始めた。私の所属していたクラブは他のクラブとは異なり、試合中のどんな状況であってもドリブルすることが求められた。味方のペナルティーエリア内や逆サイドにフリーの味方がいても、ドリブルで相手ゴールまで進んでいくことが求められた。そういった中で小学生の頃の私は自己中心的なプレイヤーであった。先ほど述べたような憧れのプレーのゴールを決めることや、フェイントを使って相手を交わすことができれば満足し、味方がミスをすれば厳しいことを言うことも多かったように思う。今考えれば当時のチームメートには非常に申し訳ないことをしたと思っている。

中学校に進んでからは8人制から11人制に変わったこともあり、さすがにドリブルだけでなんとかしようとすることはなくなったが、ゴールを決めることやゴールにつながるアシストに憧れを感じ、自己中心的なプレーをすることは変わらなかった。

 

私が憧れることをやめるきっかけとなったのは高校生の時である。地元の高校に進学したが、周囲の中学から力のある選手が集まってきており、それまでとは少し変わった環境でサッカーをすることになった。そういった状況でプレーする中で中々試合に出場することができない状態が続いた。同学年の選手たちがグラウンドの上で戦う様子をベンチから眺める日が続き、どうしたら試合に出場できるか、そのことばかりを考えていた。

その状況が続いていた中、ある試合で監督からサイドバックで試合に出場するように言われた。今までディフェンスのポジションで試合に出たことはほとんどなかったため不安な気持ちになると同時に、ゴールやドリブルといった憧れのプレーから遠ざかるように感じ、あまり気が進まなかった。しかしどうしても試合に出場したかったため、割り切って試合に出場した。その試合に出場する中で、チームメートと協力してゴールを守ることや、チームのために走ることなど今まで全くやりがいを感じなかったことにやりがいや楽しさを感じることができた。その後も憧れのプレーを追い求めるより、チームのために泥臭く貢献することの方が私に合っていると感じ、プレーを続けた。

 

大学に進学後はその考えがより一層強まった。私の周りは全国から集まった能力の高い選手ばかりで、地元の進学校でプレーしていた私のような選手はほとんどいなかった。サッカー選手としての能力が足りていなかった私が憧れのプレーを追い求めていて通用するような甘い環境ではなかった。4年間で試合に1試合も出場することができないのではないかと考えることもあった。そういった状況で高校時代と同様にどうすれば試合に出場することができるかを考えた。技術的に他の選手より劣っていた私はゴールやドリブルなどの華やかなプレーではなく、チームのために走り身体を張ることなどの泥臭い部分でチームから必要とされる選手になろうと考えた。

そこからは毎回の練習に100%の力で取り組むことや、オフの日の筋トレやランニングなど自分にできると考えられることに対して全力で取り組んだ。2年生以降は試合に絡むことができるようになり、より一層高いモチベーションでトレーニングすることができるようになった。そのような日々を繰り返して4年間はあっという間に過ぎていった。

4年間を振り返ると、日頃の取り組みが全て報われたわけではなく、試合に出場できない悔しさや、サッカー選手としての能力の低い自分自身に対して苛立ちを感じることも多かった。しかし自分にできることは全てやり切ったと感じているため、後悔は全くない。

 

16年間のサッカー人生全体を振り返ってみても、ただ憧れを追い続けていた10年間よりも、憧れることをやめて自分の現実と向き合い、自分にできることをこつこつと積み上げた6年間の方がより充実していたと感じている。

今後もただ憧れを追うのではなく、自分にできることを積み上げて周囲の人から必要とされるような社会人になりたいと思う。