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Page17 「万里一空」 吉田翔哉

ココロノオト~season2~


こんにちは。

CFCの吉田翔哉です。引退ブログを書く機会を頂きありがとうございます。

自分自身の思いや経験を書き綴っていくので拙い文章にはなると思いますが最後まで読んでいただけると幸いです。

 

 まず初めにタイトルにもあるように「万里一空」という言葉について少し書いていこうと思います。この言葉の意味は、「一つの目標に向かって努力し続けること」「目標、目的を見失わずに励み、継続すること」という意味があります。この言葉と出会ったのは私自身が高校1年生の頃でした。どこで見つけたのか記憶はあいまいですがそこからこの言葉は私の座右の銘となりました。

 

 大学生活を振り返ると、大学1年生はコロナの関係で思うようにシーズンが開始できず、いつ練習が始まるのか全く分からない状況でした。そして、ようやく始まった練習でU20に所属しました。しかし、自分自身が思い描いていた大学サッカーの練習とは180度違い、正直驚きました。走り、走り、対人、対人、対人で負けたらまた走り、終わったかと思えばまた走り。今までのサッカー人生の中で考えてもなかなか厳しい日々でした。途中から陸上部か軍隊とかじゃないかとも思いました。でも今振り返ってみるとこの経験がこの4年間サッカーをするうえで大切だったのではないかと思います。

 

そして、ここからIリーグが始まるといったときに私は右膝を怪我してしまいました。人生で初めての大怪我でした。チームは、トーナメントを勝ち抜き全国大会出場を決める中で私はいったい何をしているのだろうと悔しい気持ちと情けなさでいっぱいでした。けが人として外から見た全国大会の景色はきれいなものではなかった気がします。どこか悔しさともどかしさが邪魔をして純粋にまっすぐ応援することはできてなかったと思います。

 

 そこから3年から私はCFCに所属しました。先発として出場した愛知選手権では終わってみれば0-5の完敗でした。ここまで失点した試合は今までの人生でもほとんどなかったと思います。無力さを痛感しました。何がだめで何が足りなかったのかを自分なりに分析してここから切り替えて頑張ろうとしたその矢先に右膝前十字靭帯断裂といった大怪我をし、手術をすることになりなにも残せないままシーズンが終わりました。正直怪我をしたときはすべてがどうでもよくなって、もうこんな思いをするならやめようと考えるところまで悩みました。この地獄に落ちたような私を助けてくれたチームメイトやトレーナーや友人そして家族には本当に感謝しています。なかでもコニ(小西祐太朗)には本当に感謝しています。特に面と向かって感謝を伝えることはなかったと思いますがこの場を借りて感謝を伝えたいと思います。ありがとう。

 

ここから本当に長いリハビリ生活が始まりました。

 

本当に万里の道を歩くような果てしない終わりの見えない日々で

 

何度もやめてやろうと思いました。もう復帰なんて無理なんじゃないかなとまで思いました。

 

そんな中でも、サッカーを辞めなかったのは本当にサッカーが好きだったからだと思います。みんなとするサッカーが好きだったからだと思います。今日も走りかよって言いながら火曜日から始まる練習の日々が好きだったんだと思います。ときには喧嘩しながら削りあうぐらいの練習が好きだったんだと思います。もう一回ピッチに戻って試合に出たいと本気で思えたからだったと思います。サッカーに出会えてよかったです。

 

 実際に公式戦に復帰できたのはけがをしてから1年以上が経ってからになりました。CFCの一員としてピッチに戻った時のスタンドからの声援やチームメイトからの声はとても嬉しくて一生忘れることはないです。そこから常葉戦からスタメンとして起用してもらい試合に出続けることができ、ようやくCFCの一員として戦うことができました。結果として目標であった昇格を実現することはできませんでした。これからCFCとして戦う後輩たちには申し訳ないし、悔しかった。

 

 そして10月29日、最終節、ホームでスタンドには大勢の応援や観客でこれが引退試合だなんて幸せ者だなと噛みしめてピッチに入りました。最後は4年全員がスタメン。しゅうごは復帰が間に合わなくて残念だったけど、4年全員で戦えて本当に楽しかったし嬉しかった。でもこのまますんなり引退できないのが俺たちらしいなと思いました。0-0で帰ってきたハーフタイムにケント君からしっかりと怒られて。(笑) そんなこともあって後半に点を取って中でも無失点で終われたことが一番自分的にはうれしかったです。終わり良ければすべて良しってこのことかなって最後のホイッスルが鳴った時に心の底から思いました。ここまで楽しいことも苦しいこともたくさんあったけどすべてが報われたような気がしました。

 

 こうして4年間の大学サッカーが終わりました。ブログを書きながら過去を振り返ってもやっぱり楽しいだけではなかった4年間でした。特に右膝には苦しめられました。一番の強敵でした。それでもこの4年間に悔しい気持ちも少しありますがもう後悔はありません。やり切ったなと思います。これまでの経験は自分を間違いなく成長させてくれました。その裏には、やはり、何かに躓いても諦めず進み続けたことや、継続し続けたことがあると思います。自分で掲げた「万里一空」という言葉通りやりぬいてきて間違いはなかったと今となっては本当に思います。

かといって努力を続けたからと言って夢は叶うとはかぎらなくて、でも何かを継続した先に得るものはあったと、この16年間のサッカー人生で学ぶことができました。

これからサッカーとのかかわり方は今までとは変わりますが、これから先、長く続く人生の中でも何か目標を見つけて、自分なりに頑張っていきたいと思います。

 

最後にこの場を借りて私自身を支えてくださった人たちに感謝を述べさせてください。

 

まず、同期へ、ときには、練習中に喧嘩をするときもあったし削りあいになったこともあったけど毎日の練習が楽しかったし幸せでしたありがとう。1年の時の鬼の走りも対人もみんながいたから楽しめたと思う。火曜日の毎回の走りもなんだかんだ言いながら走り切って、みんながいたからここまでサッカーを楽しく続けてこれたと思うありがとう。また、飲みにでもご飯にでも行こう。たまにはサッカーでもしよう。これからまだまだサッカーを続ける人たちは応援にも行くので頑張って。またみんなでサッカーしよう。

 

 次に、怪我の時期を支えてくれたトレーナーのレンくんへ、自分が怪我したときにまず担当してくれたのがレンくんでよかったです。手術前のケアの部分や術後復帰に向けてめちゃくちゃわがままや弱音も吐いたし手のかかるけが人だったと思います。それでもずっと向き合ってくれてうれしかったです。こうして復帰して試合に出れたことはレンくんのおかげです。ありがとうございました。

 

 次に最後の一年担当してくれたトレーナーのリョウヤへ、なかなか復帰が見えてきてからが苦戦して、めちゃくちゃ苦労を掛けたと思うし手のかかる選手だったと思う。毎日のテーピングもありがとう。最後の一年気持ちよくサッカーをして終わることができたのはリョウヤのおかげですありがとう。

 

 今まで関わってくれた後輩たちへ、これからまだまだ楽しいことも苦しいこともあると思うけど頑張れ。応援してます。なんだかんだなめてる後輩もいたけどそれも含めて楽しかったです。ピッチ内外でもいろいろ話して楽しかったありがとう。

 

 最後に、ここまで支えてくれた両親へ、私自身が小さいころからサッカー漬けの生活だったと思うけどここまでサッカーを続けさせてくれてありがとう。遠いところまで応援に来てくれたり、朝早くからお弁当を作ってくれたり本当に感謝していますありがとう。これまでいっぱいわがままも言ったし、迷惑もかけてきたと思います。これからは社会人になるので少しずつでも恩返しをしていけるよう頑張っていきます。二人とも体には気を付けてね。これからもまだまだこんな自分をよろしくお願いします。

 

 

 

ここまで長々とお付き合いいただきありがとうございました。これまでのサッカー人生で巡り会えたのは何かの縁だと思うのでまたどこかであったらよろしくお願いします。これからまだサッカーを続ける人、社会人として活躍する人、先生になって指導をする人いろんな人がいると思いますが応援しています。私も負けないように頑張ります。

 

 

 

 

これで私の引退ブログは以上とさせていただきます。拙い文章ではありますがここまで読んでいただきありがとうございました。