Page18 「サッカーを通じて学んだこと」 桑原悠聖
今回ブログを担当する大阪桐蔭高校出身、桑原悠聖です。
この機会に13年間のサッカー人生を振り返ろうと思います。
下手な文章かもしれませんが、最後まで読んでいただけると嬉しいです。
サッカー人生を振り返ると挫折ばかりの人生だったと思います。
ただ、サッカーをしていて本当に良かったと心から思います。
サッカーを始めたのは、小学校3年生の頃。当時のコーチに誘われ、楽しかったのがきっかけでした。GKを始めた理由も、ただチームで一番大きかったから。GKをしていなかったらここまでサッカーを続けることはできなかったと思うので、GKを始めて良かったなと思います。
中学は地元の町クラブでサッカーを続けました。ここで、ただ楽しむだけでなく上手くなりたい、高いレベルでサッカーがしたいと思うようになりました。
中学から高校に進学する時に、人生で一番の大きな選択を迫られました。
「県外の強豪校でサッカーをするのか、それとも地元の進学校に行き勉強を頑張るのか」
自分でいうのもなんですが、中学までは進学校に行けるだけの学力はあったので、進学校に行くという選択もありました。好きなサッカーを本気でやるのか、それとも勉強を頑張るのか、非常に悩みました。そんな時、両親から「人生一回だし、何かのご縁なんだからチャレンジしてみたら」と背中を押してもらい、大阪桐蔭高校への進学を決意しました。
高校では、自分の未熟さや弱さを知ることばかりでした。1年生の時は、もちろんCチームで、今までやってきたことが何一つ通用しませんでした。中学まではサッカーも勉強も割と順調でしたが、ここでそれは過信であったことに気づくことができました。
携帯も恋愛も校則で禁止されてるし、何かあるとすぐ髪の毛なくなるし、グランドは山の上で毎日3キロくらい走って行くし、「チョーチョイ」という謎の掛声でランニングするなど、挙げだしたらキリがない、サッカーに捧げた3年間でしたが、一回もやめたいと思うことはなかったし、他の高校では絶対経験できないことばかりさせてもらいました。
特に永野監督(高校時の監督)から個人的に、
「信頼を築くのは一生で、壊すのは一瞬」
という言葉をいただきました。(永野監督は忘れてると思いますが、、、)
とある遠征で、かました人生で忘れることのない失点をした後日、掛けられた言葉です。
この言葉を胸に刻み、社会人になっても自覚と責任ある行動を心掛けたいと思います。
高校では、最終的に試合に出ることはできませんでしたが、選手としてはもちろん、一人の人間としても成長することができた、非常に濃く充実した3年間でした。
大阪桐蔭への進学を決意して本当に良かったと思うし、両親、堀さん(中学時の監督)に感謝しています。
そして大学は、中京大学へ進学。
1年時は、U20でケント君の下、走りに走った1年でした。(GKも同様に)
プロを目指す人も多くいて、切磋琢磨しながら練習しました。朝からフィットに行き、授業を受け、練習をして、家に帰るのが0時近くになっていた日常も今になってはいい思い出です。Iリーグでは、東海を優勝し全国大会も経験させてもらい、U20での活動は凄く楽しかったです。
2年生の時には、海野さんにほぼおまけで、インカレメンバーに入れてもらい約2か月、朝はCUの練習、夜はTOPの練習とハードな期間もありました。
また3年時、グランパスのGKが怪我で足りない期間があり、何回か助っ人で参加するという貴重な経験をさせてもらいました。その練習参加で「プロになる人ってこういう人達なのか」や「あんなえぐいシュート簡単に止めるんや」と思い、ショックや悔しいというよりも、単純に関心をしてしまいました。
この時をきっかけに「よし、就活がんばろ」と思いました。
いざ就活を始める前、バブさんが全体に言われていた言葉が印象に残っています。
「 “自分 - サッカー =” をしたときに何が残るのか」
これを読んでくれている、就活をする予定の後輩がいるなら一度考えてみてほしいです。
スポーツを続けている就活生は結構いるので、スポーツをしてきた経験だけを武器にするのではなくその人たちとどう差別化を図るのかという意味ですが、僕はこれを聞いたとき、今までサッカーしかしてきていない自分に、サッカーを引いたら何が残るのか答えが出ませんでした。
ちなみに僕は今もはっきりとした答えを見つけることができていません。その答えをこれから続く長い人生の中で、見つけるもしくは、作っていこうと思います。
2023年10月29日、U22Bとの最終節に引退しました。最終節には、家族や友達、サッカー部のみんななどたくさんの人に応援に来てもらいました。こんなにもたくさんの人に見守られて引退でき、とても幸せです。
U22Aは面白い同期、後輩ばかりで色々ありましたが、楽しい1年でした。ありがとう。
サッカーを通じて関わったすべての人たちにはとても感謝しています。このつながりを今後も大切にしていきたいと思っています。
最後に家族へ
13年間、何不自由なくサッカーをさせてくれてありがとう。
家族の協力なしにここまで続けることはできませんでした。
わがままばかり言ってきたけど、否定することなく背中を押してくれるそんな両親を尊敬しています。
鼻と歯は折れたけどそれ以外、大きなけがをすることなくやり切れたことは、1番の自慢かもしれません。丈夫な体に生んでくれてありがとう。
4月から社会人になるのでみんなに恩返ししていけるよう、頑張ります。
これからもよろしく!
以上です。
まとまりのない文章だったと思いますが、最後まで読んでくださり、ありがとうございました。