1. ホーム
  2. ブログ
  3. ブログ詳細

ブログ

Page20 「サポニシのサッカー人生」  坂西隼弥

ココロノオト~season2~


こんにちは。

U22Bの坂西隼弥です。

サポニシとはサッカー部の規則を破った処罰として、チームのサポートをする自分を見て誰かが呼び始めたあだ名です。不名誉なあだ名ですが、響きがいいので気に入っていました(笑)今回、引退ブログを通して自分のサッカー人生について書こうと思います。拙い文章ですが、最後まで読んでいただけると幸いです。



引退した。

11月5日、僕は幼稚園の頃から始めたサッカー人生に幕を閉じた。実の所を言うと、サッカーをしてなさすぎて、もう随分と前に引退していたかもしれない(笑)これについてはまた後で話すことにしよう。引退を機に自分のサッカー人生を振り返って見ようと思う。

サッカーを始めたきっかけは、はっきりと覚えてないが、いつの間にかボールを追いかけていた。幼稚園の頃からボールを蹴っていた記憶がある。小学校高学年からチームに入り真剣にサッカーを取り組むようになった。この頃は本気でプロサッカー選手になることを夢見ていた。この時期の七夕の短冊には、「プロサッカー選手とプロ野球選手になれますように」と書いた記憶がある。いつからだろうか、回りの目を気にしてか、自分の限界を知ったからなのか、プロサッカー選手という夢を言わなくなったのは。中学校の時は、まだ夢を必死に追いかけていた。愛知県の中では強い方のチームに所属していたが、中心メンバーにはなれなかった。自分より上手いやつをたくさん見てきて、何度も悔しい思いをした。もうこの時点では、プロサッカー選手にはなれないと感じていたのかもしれない。

高校は私立の強豪校には行かずに、県内の公立高校でサッカーをすることにした。1年生の時からAチームに呼ばれ1部リーグの試合に絡むことが出来て、いい経験ができた。しかし、2年生になってもスタメンで出れる試合は少なく、途中出場の試合が多かった。1年生からAチームにいた自分は当然スタメンだろうと思っていたが、現実は甘くなかった。3年生になり、ようやくスタメンで出れるようになった。2部リーグでは、苦戦を強いられ3部降格という不甲斐ない結果を残してしまった。選手権では3年連続ベスト16敗退。ベスト16の壁がすごい高く感じた。大した活躍も出来ず、高校サッカーが終わった。自分はここまでの選手だと感じた。たくさん悔しい思いをしたけれど仲間たちにも恵まれ、とても充実した高校サッカーだった。

サッカーがとても好きだったから大学でもサッカーを続けようと思った。大学受験は上手くいかず、中京大学に進学することになった。大学生になる寸前にコロナが流行り始め、外出自粛の日々が始まる。大学の授業もオンラインで受け、サッカー部の活動も始まらず、ずっと家にいるような生活の日々だった。外で遊ぶのが好きな自分にとってはしんどい毎日だった。7月頃にようやくサッカー部の活動が始まると、刺激的な毎日だった。最初の1ヶ月くらいのU20の練習はついて行くので精一杯だった。なんなら、全然ついていけてなかった。強豪校でやってきた子達とぬるま湯に浸かってた自分との差がとてもあるのを感じた。当然のようにU20には残れずに落選した。結果的に配属されたのは1番下のU22C、いわゆる7軍だ。7軍と言っても、大学までサッカーを続けている訳だから先輩たちは上手い人が多かった。上のカテゴリーからはサークルと呼ばれていたけれど(笑)そんなサークルでは伸び伸びとサッカーすることが出来て、試合にもたくさん出れた。そこでの活躍が認められ、上のチームに呼ばれることになった。そのチームは朝練だった為、毎日5時半に起き6時過ぎに家を出て7時にグラウンドについて7時半から練習をしていた。キツかったけれど、周りのレベルが高くてその中でサッカーをするのがとても楽しかった。やっぱり本気でサッカーをしてきたので、上のカテゴリーでサッカーをしたいという意思はあった。しかし、2年生になる時の新チームの配属ではまた1番下のチームになった。なんでだよと思ったけど、実力的に見たら全然1番下のチームが合ってたのかもしれない。2年生の時も自由に伸び伸びと楽しくサッカーできた。

3年生になり、カテゴリーが1つ上がった。その分周りのレベルも上がり、試合に出るのに一苦労だった。それでも試合に出ることが出来た。Iリーグの東学との試合のアシストのシーンは今でも見返す時があるくらい嬉しかった。結果的にこの試合が最後の試合になるとは思いもよらなかった。そして、6月に事件は起こった。というより、自分が部の規則を破ってしまった。何があったか気になる人は聞いてください(笑)そこからチームのサポートをすることになった。サポニシの誕生だ。それから自分の幼稚なとこや情けないところが露呈してサポートの期間は半年に及んだ。サポニシが終了して、12月に復帰したものの2週間くらいでシーズンオフに入った。だから、3年生の時は最初の数試合に出てからずっとサポートをした1年となった。自分は大きな怪我もしたことないので、サッカーを全然しない1年間は初めてだった。何度も部活を辞めようと思った。でも、練習に行くと皆とたわいも無い話で盛り上がったり、練習後のボールを蹴るのが楽しくて辞める選択肢は自分の中には無かった。3年生の冬になると本格的に就活が始まり、部活に行くことが難しい状況となった。自分はなかなか就活のやる気が出ず、行きたいところも特になく中途半端な就活をしていた。その中でTwitterでIリーグの速報を見ると4年生の仲間が頑張ってるのを見て自分も頑張らんとあかんなーと思い始めた。ようやく就活も終え、チームに合流したのが7月だった。久しぶりに行くと、「誰やお前」とか「まだ引退してなかったんだ」とか言われた。この雰囲気を感じると少し懐かしい気持ちになった。少しでも試合に出るのを目標に走ってコンディションを戻すことを頑張った。3週間くらいしてから練習に参加できるようになった。その時は早く試合に出れるようにとやる気に満ち溢れていた。そして、練習に参加し始めてから2週間くらいしてから冨さんに怒鳴られた。練習のルールを少し間違えた時、コートの反対側から「やる気がないなら帰れ」と。その時は意味がわからなかった。やる気に満ち溢れていたのに。冷静になって考えると、客観的に見たらやる気がなかったのかなと思う。頑張っているという姿を見せられなかった自分のせいでもある。思うように体が動かなかったのは事実だから。そこで最後頑張ろうとしていた気持ちがスンと消えた気がした。そこから気づけばサポートをしていた。第2のサポニシの誕生だ。最初の方は久しぶりに仲間たちとサッカーが出来る喜び色々な会話が出来る楽しみでサポートも苦ではなかった。サポート仲間が他にもいたのも関係あると思う。ただ、4年生でサポートは聞いたこと無いと思い少し恥ずかしい気持ちになった。ちょうどこの頃から就職先で宅建が必要なのもあり勉強を始めた。それからというもの部活を行かなくなった。そして、宅建が終わったあとも気まずさがあったのか、部活に行くことをしなかった。

その結果、最後の引退試合はスタンドから見ることとなった。4年生の仲間たちがみんなで試合に出てるのが羨ましかった。出来れば、自分もそこに立ちたかった。あの大声援の中でサッカーをしたかった。自分の甘さのせいでその願いは叶わなかった。情けなくなった。涙が出そうになった。試合終了のホイッスルと共に、大学サッカーは終わったんだなと実感した。試合が終わったあとのスタンドからの「栄光の架橋」はグッとくるものがあった。とても感動した。涙が少し出てきた。試合後のみんなの笑顔を見て、さらに一緒にサッカーをしたかったと感じた。中途半端な終わり方を迎えたサッカー人生だった。悔いはめっちゃある。けれど、今となっては全部楽しい思い出だ。サポニシのサッカー人生は実にいい人生だった。


同期へ

こんなお調子者でめんどくさい自分と仲良くしてくれてありがとう。何度も部活を辞めようと思ったことはあったけど、練習行く度にみんなと会うとそんな気持ちは吹っ飛ぶくらい楽しませてくれてありがとう。久々に会って遊ぶと、最後の試合くらい一緒にボール蹴りたかったなーって時々思います。これからも定期的に遊びましょう。みんなと一緒に卒業出来るように授業頑張ります。


後輩へ

自分が後輩に対してとやかく言える立場では無いけれどこれだけは言わせてください。4年生の卒業の時に部活は辞めない方がいいっていう話を毎年聞くけれど、俺は全然辞めてもいいと思う。自分は部活に行かない期間があり、部活がない期間を過ごした。その時には部活とはまた違う充実感を感じることができた。でも、俺はサッカーが好きだったから、サッカー部を辞めるという選択肢は無かった。辞めようか悩んでる時は休部をして1度サッカーから離れた生活をしてみるといいと思う。それも1つの選択肢だと思う。僕みたいに引退試合に出れずに中途半端に終わるのは悔いが残るので、自分にとって悔いのない決断をしてください。


最後に両親へ

こんな自分を22年間育ててくれてありがとう。大学生になってから一人暮らしをしている友達とかを見ると実家のありがたみをしみじみと感じています。幼稚園の頃から不自由なくサッカーをすることができ、とても感謝しています。小学校や中学校の時の練習や試合への送り迎え、高校では自分が試合に出れない時も毎週の試合に見に来てくれてありがとう。最後、引退試合を見せたかったけれど自分のせいで見せることが出来なくてごめんなさい。まさか自分も3年生の6月の試合が親に見せる最後の試合になるとは思いませんでした。もっと大学の試合に出て、頑張っている姿を見せて恩返しをしたかったです。引退試合を終えてから手紙を受け取った時はとても驚いたとともに涙が少し出てきました。まさか手紙があると思わなかったので。お手紙ありがとう。家に帰ってから手紙ありがとうと言いたかったのですが、面と向かって言えなかったのでこの場を借りて言いたいと思います。色々と迷惑をかけることが多かった大学4年間だったけれど、ずっと見守ってくれてありがとう。無事大学を卒業出来れば、来年から社会人になります。これからは貰った恩を少しずつ返していけるようにに頑張りたいと思います。これからもよろしくお願いします。



以上で引退ブログを終わろうと思います。まとまりがなく、長い文章となってしまいましたが、最後まで読んで下さってありがとうございます。来年から社会人として1人前になれるように頑張りますので応援お願いします。


中京大学体育会サッカー部ありがとうございました。