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Page26 「人生の攻略本」 中村駿一

ココロノオト~season2~


ココロノオト。

 

「はじまり」があれば「おわり」がある。この世の中のすべてに共通することだ。

 

2023年12月13日、次の試合へのキックオフのように感じていた普段の試合終了の笛は、今回だけは違うのだと感じた。ピッチで崩れ落ちる選手。茫然とするベンチ。そして、雲一つない青空。この光景だけは、今でも脳裏に焼きついている。そして、これが大学4年間、学部生としての「引退」なんだと痛切に感じさせられた。

 

『はじまり』

 

2020年8月、私は選手ではなく学生トレーナーという立場で男子サッカー部に入部することを決めた。理由は、単にサッカーが好きで、将来はトレーナーとして活動したいと思ったからだった。私は、小学校から高校までサッカーを選手としてやっていたが、大学での同期のプレーレベルや厳しい練習に耐えるメンタルは次元が違った。ボールトレーニングの前に誰かは嘔吐し離脱する真夏の走り。毎日2時間を超えるトレーニング。早朝6時と15時からの二部練。強くなるためには不可欠なことで、口では行きたくないというけれど練習開始30分前にはきてチューブトレーニングを始めるみんな。そんな姿をみて、今までと違った方向ではあるが、全力で応援したい、支えたいと思えた。まだ私のトレーナー人生4年目だが、その「はじまり」が同期のみんなのチームでよかった。

 

4年間を振り返ると本当にいろんなことがあったが、それを思い出話としてここに記すのはもったいないし、上手く書けるほどの文章力もないし、長くなりそうだからやめておく。

 

突然だが、なぜ年上の人を敬う必要があるのか考えたことがあるか。先に生まれたから、日本の風潮がそうだから。それを納得する人が多いと思う。逆に何も考えずに年齢など関係なく人と接する人、いわば常識はずれな人もいる。私は、自分よりたまたま早く生まれたという理由でその人を尊敬しなさいというのはロジカルではないと思っている。人を評価するのに、年齢という指標はあまりにも不適切である。だから、年齢関係なく先輩にため口をきいたっていいし、友達みたいな関係で、時にはご飯を無理やりおごらせたっていいと思う。だから、もちろん私が後輩にそうされても更々なんとも思わない。でも、やっぱり長く生きている分、自分以上にいろんなことを知っているし、いろんなことを経験している。経験という貴重な財産は、ゲームでいったら攻略本と一緒だ。成功した経験も失敗した経験もすべて。同じ問題に直面したとき、その攻略本を持っていれば正解に近づける大きなヒントとなる。つまり年上の人は長く生きている分、分厚い人生の攻略本を持っている人が多い。繰り返すが、それは成功していようが失敗していようがそれは関係なく。自分よりもどこか一部でもその経験値が上回っていると感じるのであれば、長幼の序に従う必要があるし、少なからず心の底では絶対に尊敬することを忘れてはいけない。

 

私が22年間生きてきた上での人生の攻略本を少し記したいと思う。人生というゲームを自分でクリアさせたいのであればこの攻略本は読まなくてもいい。

 

①無駄なプライドは捨て、自分の弱さを認めること

 

プライドには、有益なものと無益なものの2種類に分けられる。有益なものは、この人には負けたくない、絶対にこうなりたいという、自分を奮い立たせ、努力する、生きていく活力にできるプライドである。逆に無益なプライドは、いわば無駄なプライドのことである。なぜ無駄なのか。それは、無駄なプライドは自分の成長を妨げるからだ。人はいつ成長するのか。「楽な時」、「順風満帆な時」、「成功した時」か。そうではない。「挫折」、「苦労」、「困難」。そんなネガティブな状況やタイミングが人を成長させる。無駄なプライドは、そのネガティブな状況をいろんな理由をつけて認めようとしない。だから成長を妨げる。私は、別に何回だって失敗したっていいと思う。何回だって恥をかいたっていいと思う。1週間後、1か月後、1年後、時間がたてば誰も自分のその失敗なんて覚えてない。小さい時、小・中学校の時の失敗を今、誰が覚えているだろうか。お酒の席になれば、もう笑い話のようになっているはず。極論、人間なんてどうせいつか死ぬのだから誰かの評価や誰かの目を気にして萎縮する必要はない。その失敗が、その恥が何かをあきらめる理由にはならないし、言い訳にもならない。自分の弱さを認め、その失敗が失敗であるといえる人間になれれば、絶対にそこに成長がある。そして成功があると思う。

 

②一つ一つの自分の選択に熟考し、その選択に責任を持つこと

 

人は1日に約35000回の決断をしていると言われる。その選択の大小に関わらず。その1回1回の選択に自分の曲げられない意思や考えを持って決断できている人はほとんどいない。例えば、みんなが大学でサッカーを選手であっても、スタッフであっても続けることも一つの選択である。もっと細かいことを言えば、今このブログを読み続けることも一つの選択である。その選択の積み重ねが人生である。なぜ、自分の選択に責任を持ってほしいのか。それは失敗したときに、誰かのせいに絶対してほしくないからだ。人生において多くの困難や苦難に直面する時が必ずある。それに対してどうするのかは自分の選択次第だ。どんなに他人が、他の何かが悪かったとしてもそれまでの行動を選択しているのは自分だし、最後に決断したのも自分だ。後悔は、自分の選択の積み重ねの中でうまれるもの。一つの心得として、「明日死んでも後悔のない1日を過ごすこと」は自分の人生をよくする方法だと思う。これは私が最近大切にしている考えでもある。どこかで聞いたことがあり、ありきたりなことかもしれないが、意外とできないものだ。私もまだ成功した日は1日もない。大学生になり、高校とは違って自分の時間が多くなる。でも、時間がありすぎると逆に無駄にしてしまう。これから何をするかを選択する時に、今本当にそれをする必要があるのか、もっとすべきことがあるのではないのかを考える。そして寝る前に1日を振り返り、明日目覚めることができなくても満足のいく今日であったのかを自問自答する。人間、80歳まで生きると考えると約30000日あるが、そこから睡眠時間を引くと約22000日分の時間がある。数字にすると案外少ない。そんな限られた時間を有意義にするために日々の、その時々の選択に責任を持ってほしい。

 

この攻略本の一部は22年間分のものであるから、もっと長い年月を生きた人からしたら甘く安直な考えかもしれない。けれど誰か1人でも自分に落とし込んで、人生がプラスになってくれればいいなと思う。

 

 

多い時には1日三部練、毎日の練習は練習開始の1時間前に来てテーピングを巻き、練習後はケアや次の日の準備で2時間居残り。週6日、その繰り返し。何のためにやっているのか、高校の同級生や大学の同期はみんな飲み会にいったり、遊びに行ったり。本気でやめたいと思った。なぜ部活に入るのか、なぜトレーナーを続けるのか。でも、そんな「苦労」や「挫折」があったからこそ4年間で、一人間として、一トレーナーとして、成長は確実にあった。また、サッカー部には本当にいろんな人がいた。自分の夢のためにいろんなことを犠牲にして努力する人、普段はふざけるけどサッカーとなれば一意専心する人、楽しくサッカーができればいい人。いろんな人と関わり、いろんな人をみて、いろんなことを考えた。そしていろんな価値観を知って、今の私がある。私の人生で男子サッカー部に入部するという選択は、間違っていなかったと今は自負できる。

 

 

『おわり』

 

2023年12月13日の試合後、涙の意味は人それぞれだけれど、みんなが涙する中、私は一粒も出なかった。勝ちたかった、悔しかった、もっとみんなで喜び、笑い合いたかった。その思いはある。だがそれ以上に、それまでの4年間が苦しく、つらく、そして何より、学生トレーナーとして、どこかの誰かと比較すれば不十分かもしれないけれど、その時の私にできるすべてを、限界を出し切れたと思えたからだった。

 

 

昨シーズン、先輩方によって決められたタイトル、ココロノオト。昨シーズンのココロノオトはBGMのように聞こえていたけれど、今シーズンのココロノオトはなぜだかよく響く。もう私が引退ブログを書く時期が来たのだと思うと、時間がたつのが早い。何のために書くのか。そう思っていたが、今になってよく分かる気がする。

 

 

最後に私が好きな言葉を。

 

「簡単すぎる人生に、生きる価値などない。」(ソクラテス)

 

この言葉の捉え方は千差万別である。この一つの型にはまらないところが好きだ。

 

 

拙文を最後まで読んでいただきありがとうございました。

あと2年間は男子サッカー部に携わらせていただくことになりました。

絶対に来シーズンこそは、全国大会ベスト4の壁を越えましょう!!!