Page28 「これから」 山本亮成
小学校1年生から続けてきた本格的なサッカー生活が先月終了した。今は達成感で満ち溢れている。
僕が大学でもサッカー部に所属し、これまでの4年間続けてこれたのはサッカーを通して学ぶこと、救われたことが沢山あったからである。
小学校からサッカーを始め、全国大会にも出場する所謂、強豪と呼ばれるチームで本気でサッカーを続けてきた。しかし、高校生の時、病気を患いサッカーを続けることができなくなった。3ヶ月の抗がん剤治療はものすごく辛かった。でも、サッカーをもう1度やりたいという思い、家族の支え、仲間、サッカーをやっていたから繋がれた人たち、沢山の支えがあったから乗り越えることができた。もし、サッカーをやっていなければ乗り越えることはできていないのではないかと思うほど、サッカーに救われた。
大学に入ってからは、現在は滅亡した22Cで始まり、Aで2年間過ごした。1年時こそは試合に出してもらったり、たくさんのチャンスを与えてもらったが2.3年時は全く試合に出れない日々を過ごした。仲の良い友達がサッカー部を辞めていく中で、自分も辞めようかと思っていたが、辞めてすることも目標があるわけでもないから何となくの気持ちで続けてきた。もちろん結果を残すことができなかった為、4年時は22Bだった。そのようなモチベーションのまま、とりあえず辞めずに席だけは置いておこうと遊びに逃げる日々が長く続いた。夏ごろに久しぶりにサッカーがやりたくなりグラウンドに行くと、サークルと噂で聞いていた22Bの現状は全く違った。みんなめちゃくちゃ走るし、真剣に取り組むし、なんなら1番厳しいのではないかと思うくらいだった。講座を取っていたため、練習に行く日は多くて週3回、少なくて1回も行かない時もあった。1年生は僕のことを知らなかったであろう。そんな舐めている僕を多くの仲間たちが迎え入れてくれた。今思えば練習に入る資格がないのに練習に混ぜてくれ、何も言わず受け入れてくれた同級生、「たまに来ていい加減にやるなら来ない方がいい」と叱ってくれた監督、話しかけてくれた後輩たち、入れる気配がしないヨーヨーテストに付き合ってくれたトレーナー、マネージャーには感謝しきってもしきれない。このメンバーのおかげでもう1度サッカーの取り組みについて真剣に考えることができたし、また真剣に練習に取り組み心から楽しいと思えることができた。結局自分はなんだかんだ言ってサッカーが好きだと言うことも気づくことができた。このメンバーでなければ戻ることはしていなかったし、できなかったと思う。ほんとうにありがとう。
サッカーをしていたから選んだ中京大学、サッカーをしていたから出会った仲間、繋がれたひと。サッカーのおかげで乗り越えられた病気、この文章を書きながら今までを思い返すと自分のこれまでの人生はすべてサッカーが関わっている。色々あったが、振り返ってみてサッカーを続けてきて本当に良かったし、この経験、達成感は必ずこの後の人生で生きてくる時がくるだろう。
最後に両親へ、どんな時でも1番近くで味方でいてくれ支えてくれてありがとう。