Page30 「続けることの大切さ」 堀渕拓未
今回引退ブログを書く機会をいただいたので無難に私のサッカー人生について書こうと思います。暇なときに軽く見てもらえると嬉しいです。
私がサッカーを始めたのは小学1年生の時です。きっかけは兄がサッカーをしているのを見て憧れたからです。初めての練習でミニゲームをやったとき、何も分からない私は守備の時にスライディングばかりしていました。それでもサッカーを少し続けていくうちに一番ではなかったけれど他の子よりも自分が巧いと感じるようになりました。そして将来の夢がサッカー選手になりました。
小学3年生から小学6年生までの4年間はキャプテンを務めました。しかし自分はチームで二番目に巧かったため、一番巧い子やそれを取り巻くヤンチャな子たちに冷やかされキャプテンを辞めたいと思いながらも最後まで貫きました。この時に私はリーダー役に向いていないと思ったと同時に自分が我慢強いと気付きました。
中学生になってからは地元のクラブチームに入りました。それまで試合に出れないなんてことはなかったのに中学1年生のときは公式戦にほとんど出れず、結局1年生の時は公式戦にスタメンで出ることはありませんでした。これではいけないと思い父と自主戦をするようになりました。ほぼ毎朝5時半に起き、近くの公園でとにかくたくさんボールに触れました。いつも仕事で帰りが遅いにも関わらず、朝早く起きて練習に付き合ってくれた父には感謝しかありません。しかし、練習のし過ぎで疲労骨折をしてしまいました。当時は少しずつ試合に出始めた時だったためとても落ち込みました。それでもこの出来事は私の転機になりました。怪我から復帰して初めての練習試合の時にコーチが半分おふざけで私をFWで出場させました。それまでほとんどCBしかしたことなかった私はとにかく必死でボールを追いかけました。すると中学生年代の相手にはこれがおもしろいように効き、前線からの守備要因として試合に出るようになりました。これがきっかけとなり中学3年生の時はCBではあるけれど、ほとんどの試合にスタメンで出場できました。
高校からは寮に入りました。高校でも最初は1年生しかいない一番下のカテゴリからスタートしました。2年生になっても一番下のカテゴリから抜け出せなかったものの2年の終わりにいきなりトップチームへ昇格し、新人戦はスタメンで出ることができました。しかし、そこから怪我の連続で3年の最後の選手権ではベンチ外で高校サッカー終了。それでも夢は諦めきれず大学でも迷わずサッカー部に入ることを決断しました。
大学ではなんとかU20に入ることができましたが、そこで自分の限界を知ることになりました。今までやったこともないようなしんどいラントレ、それをこなす周りの選手達。サッカー選手を諦めるのに十分なくらい自分の実力不足を痛感しました。何度もサッカーを辞めようと考えたし、折れたこともあります。それでもサッカーが好きだったし、何よりも一緒に戦う仲間が好きだったので必死に食らいついていきました。そしてIリーグ初戦はベンチ外でしたが、準決・決勝は途中から出場して、自分のサッカー人生で初めて自分自身で全国出場を決めることができてとても嬉しかったことを覚えています。その後はCFC、CUと少しずつステップアップしていってトップには上がれなかったけれど、自分なりに納得のいくサッカー人生を送れたと思います。大学でも怪我に悩まされたけれど、最終戦では部員みんなのおかげで最高の環境、雰囲気で試合ができて感動しました。最後の一年は本当に楽しくて、チームのみんなに感謝しています。
今回引退ブログを書いて自分のサッカー人生を振り返ってみて、続けることって大事だなと思いました。これから社会に出て行って嫌なこともたくさんあると思うけれど、それでもとりあえず続けてみたら自分なりに楽しみ方とかを見つけられるんじゃないかなと思います。嫌なことから逃げるんじゃなくてどうやって向き合ったらいいか、ポジティブに考えることができれば何事にも前向きにチャレンジしていけるのではないのでしょうか。長い文章になりましたが最後まで読んでいただいてありがとうございました。