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Page31 「ボールは友達」 山田龍之介

ココロノオト~season2~

中京大学FCに所属する山田龍之介です。引退ブログということで自分のサッカーについて振り返って見ました。興味があればぜひ最後まで読んでみてください。

 

ボールは友達。

これは幼い頃からサッカーをするにおいて自分の中で大切にしてきたもの。

このフレーズはサッカーをしてきた人ならだれでも知っているキャプテン翼の一番の名言。物心ついたときにはこの名言を自分が作ったのかと思い込むくらい自分の中では大切にしていた言葉だった。幼少期の頃からとにかくボールが好きでどこに行ってもボールを欲しがっていたと聞いた。自分の中ではそんな記憶はないが、家の中にいっぱいボールがあったことはよく覚えている。なぜそんなにボールが好きだったのかは自分にもよくわからないが、その当時から自然にいっぱいのボールと友達になっていたのかもしれない。

 

サッカーを本格的に始めたのは、年中か年長の時だったと思う。近くの少年団ではなく家から30分以上離れたクラブチームに入れてもらった。最初は自分の性格上、新しいところに飛び込むことが怖く、サッカーは好きなのに練習に行くのが怖いと思う日もあったことを覚えている。

しかし、練習が始まってボールを蹴りだせば何も怖くなかった。それはボールと一緒に遊んでる気分だったから。知らない場所で知らない人ばかりで当然友達もいない。けどいつも自分の隣にはボールという友達がいた。ボールを蹴れば無敵な感じがして怖さなど1ミリも感じていなかった。ボールを蹴ることが相当楽しかったんだと思う。こんなアニメっぽい話で今パソコンに打ってる自分も何を書いてんだとも思っているが、当時は本気でそう思っていたと思うと幸せなことだなと感じる。

 

小学生になり物心もついてきてなにが思い出だったかなと考えると、やはり父と弟との毎朝早朝練習していたことかなと思う。毎朝5時、5時半くらいに起こしてもらって目をこすりながら家の前の道で練習をした。自前のペットボトルに竹を絡めて作った自前コーンをひたすらコーンドリブル。電柱と電柱の間20メートルをリフティングやジンガなどで往復していたのも覚えている。最後には1キロ弱の家前のランニングコースをタイム走する。

今考えるとこの練習があったから今の自分の技術があるし、今までサッカーをやってこれたのだと思う。でも正直しんどいと思う時もあった。起こしてもらって見てもらってるのに何を言ってるんだと今だと思うが、その当時はいっぱいいっぱいだったのだと思う。そんなしんどい状況でも続けれたのは弟の存在だった。弟は自分よりもサッカーが上手かった。コーンドリブルはしなやかで自分より早かったし丁寧だった。負けたくないのにそこは認めてる自分がいた。だからいっぱい練習したし意識して取り組めた。兄弟であり、ライバルがいたからこそ練習に没頭できた。弟にも感謝しかない。今思うと父にも弟にも頭が上がらない。自分を作ったこの時間が今では宝物だと日々思う。

 

そこから、中学、高校、大学とサッカーを続けさせてもらったが濃い時間を過ごせたのは高校年代だと思う。

中学を経て縁があり岡山学芸館高校に入学させてもらった。入学時に両親に高校3年間でプロになると約束し覚悟を決めて高校サッカーに挑んだ。幸いにも自分のことを評価してくれる監督や仲間に見舞われ、トップチームで練習することができ、試合にも出場できた。2,3年になるとスタメンに定着し、全国大会にも出場できたし、リーグ優勝を決めることができた。個人としても栄光の10番を背負うことができたし、最優秀選手などももらうことができた。

以上が大きく括った結果であるが、この結果が出たのは自分の力などではない。サッカーなどのスポーツをしている以上、理不尽なことや不満は当然あったし、納得いかないことも多々あった。けどそれを支えてくれたのは家族や仲間だった。後忘れちゃいけないのはボールの存在だ。家族は自分のことを1番に考え親身になって向き合ってくれた。仲間はどんなにしんどい状況でも一緒に乗り越えてきた。ボールはいつも自分の周りで一緒に遊んでくれた。この最高の環境があったからこそ濃い時間が過ごせたのだと思う。なによりサッカーが楽しかった。ボールを蹴ってる時間は没頭してたし、ボールを触れば自分を最大限に表現できた。その感覚がたまらなかった。どこかキャプテン翼みたいに主人公になることを望んでいたのかもしれない。

しかしながら、この最高の環境があったにもかかわらず、高校入学時に3年間でプロになるという約束は果たすことができなかった。自分の弱さ、覚悟のなさがこの結果を招いた。この3年間でプロになれなったという現実があって、自分で決めた約束があってサッカーから退くことを考えた。しかし、向き合ってくれる先生ややりたいようにやれと言ってくれる家族がいて、もう一度プロになることを誓い約束した。

 

そこから再び4年間勝負する事を誓った。

大学4年間はうまくいかないことが多かったと思う。2度目の約束というのもあってとにかく結果にこだわった。しかしなかなか評価されることはなかった。評価をしてもらえないなら数字で示してやろう。目に見えるもので黙らせてやろう。数字を出し続ければ何か変わる。やれる自信はもちろんあったし、実際トップチームに行っても負けないくらいやれたし、そこでも結果を出してきたつもりだった。それでも上がりきることは出来なかった。だからといって諦めきれない。いつもより負荷をかけて練習したし、意識して取り組んだ。その結果3年のシーズン初めに腰の怪我を負い、約1年間プレーできなかった。正直怪我した時は絶望したし、先のビジョンが全く見えなくなった。実質この時点で4年時トップチームでシーズンを迎えることできなくなってしまった。そんなことを思っていても、時間は進むし怪我をする前に戻るわけはない。とにかく前を向くしかないと思いリハビリを意識して取り組み始めた。怪我して3か月ほどが経ち、夏の数日オフで家に帰った時だった。母から衝撃の言葉をもらった。

「前はもっと笑う子やったのに、最近は笑わんなったな」

と言われた。

そう言われたときは、そんなことないでと返答したと思う。

けど今になって思うのは、自分にプレッシャーをかけてたのだと思う。プロになるんだ。ならなきゃいけないんだ。そう思うことで自分を苦しめていたのだと思う。結果を出すことにこだわり、数字を出すことにこだわった。実際にこだわることは必要だとは思う。けどそのとき必要だったのは、サッカーを楽しむこと。幼少期の頃のようにボールと一緒に遊ぶくらいの感覚を持つことだったのだと思う。練習でサッカーが楽しくなかったわけではない。けど前のような目の輝きはなかっただろうし、プレーの幅も相当狭くなっていたのだと思う。なにより、前はあったボールと遊ぶという概念が薄くなっていたのだと思う。今思うとさすが母だなと思う。

そう気づけたのは4年時のシーズンが終わった頃だった。チームが引退して、同期がいなくなってさみしいと思いながらも、後輩と日々練習した。なぜかわからないが引退してからは自分のプレーが一段と良くなっていることに気づいた。サッカーが楽しく、ボールを蹴る時間が前よりも楽しく感じた。高校の時にあったような感覚を取り戻せたような気がした。うまくなっていると感じれる感覚が嬉しかった。そこからいつも以上にサッカーに没頭した。

すべてのJセレクションが終わって、Jの練習参加も終わった。

結果から言うと掲げた目標J内定を成し遂げることは出来なかった。セレクションに行っても、練習参加に行っても、父と弟と磨き上げたこの技術は余裕で通用した。やれないと思う感覚よりか、全然やれたなと思う感覚が大きかった。けど評価は他人がするものであって自分ですることは出来ない。受けいれないといけない事実だった。この結果が出た時にサッカーの神様に問うこともあった。なんで自分じゃいけなかったのか。プロの場にいるのがなぜ自分じゃないのかと。そんなことを問うても何も現状は変わらないのだが、問いたくなるくらいまでそう思っていたからだと思う。

サッカーは好きだし、ボールと遊ぶことも好きだ。自分は大好きなサッカーとともに生きていく人生だと思っていた。しかしそうすることは出来なかった。サッカーは自分を選ばなかったし、自分はサッカーを選べなかった。なんも後悔がないかと言われれば嘘にはなるけど、覚悟を決めて勝負してきたし、自分が決めた約束にけじめをつける必要がある思う。

 

なので今日ここでサッカーから退く、引退することを決断します。

 

今までたくさんの仲間、先生に見舞われ、多くの経験をさせてもらい、サッカーの楽しさや人としての在り方を多くの人に学ばせてもらいました。今後は選手ではなく、一人の人間としてとなりますが、努力を怠ることなく日々精進していきます。

 

最高のサッカー人生をありがとうございました。

 

 

 

 

最後に両親に向けてメッセージを書きます。

 

両親へ

まず、ここまで育ててくれてありがとう。

自分のやりたいことを尊重して、精一杯やらしてくれてありがとう。

父ちゃん毎朝練習を見てくれてありがとう。何事も厳しく見てくれてありがとう。父ちゃんが毎朝練習してくれたから今の技術があるし、サッカーが好きになれたんだと思う。当時はしんどいなと思うことがあったけど、今思うとあの時間があったからこそ今の自分がここにあるんだと思う。ありがとう。

母さんいつも自分を正してくれてありがとう。悪いことは悪いと叱ってくれてありがとう。どんなときでも味方でいてくれて、どれだけ苦しい時も前向きにサポートしてくれたことが心の支えでした。喧嘩をすることも多かったけど、今になってはいい思い出だと思ってます。ありがとう。

これからもいろいろ迷惑をかけると思いますが、自慢の父母に負けないよう日々に感謝し、努力を惜しむことなく、謙虚に日々精進します。

 

 

 

以上が引退ブログになります。

長々と書きましたが読んでくれた方ありがとうございました。文章構成がおかしいところも多々あると思いますが、愛嬌ということでお許しください。