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引退ブログ〜宝物の4年間〜4年中込華奈梨

女子

本日のブログは女子サッカー部所属

#25 中込華奈梨  (豊田南高校出身/4年)です。



(不具合が発生しているため、解決次第写真を掲載させていただきます)



ほとんどの人が知っているかと思いますが、私は大学生になってからサッカーを始めました。

そんな私のたった4年間のサッカーに対する経験や想いを自伝のように書いてみました。

拙い文章ですが、最後まで読んでいただけると幸いです。





私は、高校時代、チアの格好をして野球部の応援に行ったり文化祭や地域のイベントで踊ったりすることが活動の中心となる"文化部"に所属していた。

もともと踊ることや人前に立つことが好きな私なので、たとえ文化部とはいえ私にぴったりな部活だと思いすぐに入部を決めた。

しかし、部活の時間も部室でお菓子パーティーをしていたり練習場所には行っても2時間くらい立ったり座ったりしながらダラダラ喋っているような部活で、どちらかというと体育会系の私にとっては、こんなつもりじゃなかったのに…と思うようなことばかりだった。


だからこそ「大学に入ったら自分の好きなことを思い切りやりたい」「同じ目標を持ち、努力できる人達と過ごしたい」「何かに真剣になりたい」という気持ちが強くなり、小学生の時少しだけやっていたサッカーをもう一度真剣にやりたいとサッカー部への入部を決めた。





部活の見学に初めて行った日、「4年間試合に出られなくてもいい?」と大家さんに言われたが、それに対し「大丈夫です。

出たいなとは思いますが仕方がないことだと思うので…」と答えたと思う。

全国各地から集まり、大学入学時には既にサッカー歴10年を超えるような選手や高校時代選手権常連校にいた選手がいるチーム。

そんな集団の中にひとり初心者の私がいるのはきっと場違いで、そんな私は当然試合に出られる訳もない。

頭では分かってはいて覚悟はしているつもりでいたが、きっと心の中では「まあどうにかなるだろう」と思っていた。






想像以上に楽しかった。

ずっとやりたいと思っていたサッカーを好きなだけやれる環境があることが何より嬉しくて、できることも日々増えていき、少しできるようになると周りがたくさん褒めてくれる。

もちろん出来ないことだらけで、自分の下手さ加減にうんざりすることもあったが、それでも「楽しい」という感情が勝ってた。


何もできない私に対して直々に大家さんがトラップの仕方を教えてくださったことがある。

そんな貴重な経験をした人もあまりいないと思う。

また、私一人でコーチである山本さんを独占しずっと専属で教えてもらっていたし、別メニューと言われた時には稲田君と2人きりでトレーニングをさせてもらうこともたくさんあった。

その時はそのありがたさや恵まれた環境に気づいていなかったけれど、今になってやっと、とても幸せで贅沢なことだったんだなと実感している。


そして気づけば人生で初めて全国の舞台に連れていってもらい、柵の外で寒さも忘れて全力で応援していた。

ただ全国の舞台はやはり簡単ではなかった。

私にとっては中京のみんなは"全国レベルのすごい人たち"という感覚で、それも間違いではないのだが、そんな私にも全国のレベルの高さと自分の見ているサッカーのレベルの差は明確であると感じた。

一方で、負けてしまったことに悔しさを感じつつも、ピッチ内を全力で走り最後まで戦い抜いた輝く選手たちにはとても感動させられた。


それまで私は、自分だけどこか離れたところにいるような気がしていたのだが、これからは嬉しいことも悔しいことも共有したい!一緒にその感情を味わえるようになりたい!と思うきっかけとなる全国の舞台だった。


一年生の1年間を振り返ると毎日が楽しくて、自分が目指していた「何かに一生懸命になる」大学生活を過ごしている気がしていた。






しかし、2年目3年目は地獄だった。

サッカーが楽しい楽しくないのレベルではなく、毎日練習に行くたびに泣きそうになってサッカーを嫌いになりそうになっていた。

後輩が入ってきたり、少しずつみんなと一緒にゲームやトレーニングに参加できるようになってきたりしたのだが、環境の変化や周りとの関わり方に悩むことが多くなりサッカー本来の面白さを楽しむことは忘れてしまっていた。


後輩が入って来たことは私にとって刺激になったし、いくらサッカー経験に差があったとしても一応先輩になるのだから下手に恥ずかしい姿は見せられない。

一緒にゲームをすれば年齢関係なく厳しい要求をしあうのがサッカーだけど、その"当たり前"の感覚にもなかなか慣れなかった。

私に対して少し気を使っているのかなと感じる時もあった。

それはみんなの優しさでありそれぞれが考えた私との関わり方だったと思うのだが、気を遣わせてしまっていることに対する恥ずかしさと申し訳なさでおかしくなりそうだった。



いつまでも別メニューは嫌だなと思い始めたのも2年目くらいだった。

みんながトレーニングをしている姿を横目に「あのメニューくらい私も入ってやらせてくれてもいいのに」とか「せっかく部活に来ているのに誰とも関わらず壁とボールを蹴って今日も2時間が終わるのか」と思うことが増えた。

甘い考えや悪い欲が、私の成長意欲を邪魔した。

一方で、「かなり、入ってー」と大家さんが呼んでくれることも増え、嬉しいと思うこともあった。

しかし、サッカーに関する知識も技術もない私がいざ入ってみるとただの邪魔者。

何もできない自分にもイライラするし、ミスばかりするし、それに対して周りがだんだんイライラしてくる雰囲気もめちゃくちゃ感じていた。

何をやってもうまくいかないどころか周りに迷惑までかけてしまう。

悔しくて、でもすぐに改善できるわけでもなく、どうしようもなくてやり場のない気持ちに押しつぶされそうな毎日だった。

張り詰めていた糸があることをきっかけにぷつんと切れてしまって感情が溢れ出してしまった日もあった。



それならもっと練習をすれば良いのに、何かと言い訳をして真剣にサッカーと向き合おうとしないのが私。

言ってること、考えていること、行動が矛盾しているのは分かっていたが、私はそういう人だった。





そして4年生になった時、「4年生として」という目線でサッカーや部活について考えることが増えた。

でも、それを同期に話すと「かなりはチームのことをどうこう言ったり考えたりしてる場合じゃないでしょ。

自分のこと考えな」「かなりにそんなこと言える?」というニュアンスの返答がきた。

正直ちょっと誇張しているが、私にはそう言われているように感じた。

同期だけではなくチームのみんなから、そう思われているのだろうなということは分かっていたつもりだが、改めてはっきり言われてしまったことがめちゃくちゃショックだった。悔しかった。

その場にいて言ってくれた人に対しては申し訳ないが、めちゃくちゃ根に持っている。

ただ、そう言ってくれた人がいたから「頑張ろう」と思い直せたところもあるので、結局は同期のみんなにめちゃくちゃ感謝している。

ありがとう。



それからはとにかく楽しくサッカーをする、それだけを考えて1年間過ごした。

上手くいかないこともあったが、何故かこれまでのように泣きたくなるほど辛いことはあまりなかった1年間だった。


ただ、夏の皇后杯とインカレ予選で悔しい思いをしたのは私も同じ。

試合が終わる笛が鳴った時、堪えていた涙が溢れてきた。もう少しサッカーができるはずだったのに、もう少し長くみんなと一緒にいられるはずだったのに、私たちの代はもうすぐ終わるんだな、私に出来ることはそんなに多くないけどもう少し何か出来たのではないか。

そして、後輩達に何か残せただろうか、と色んなことを考えこれまでを振り返った。

何も貢献できていないどころか最後のインカレ予選期間の貴重な2週間、教育実習に行っていてみんなの側で一緒に戦うことも応援することもできなかった。

とても悔しかったし悲しかった。

そんなことを考えながら、相手ベンチや本部に挨拶をしにいく選手の姿を見ていた。


初めて見る真子の涙には何より驚いた。

真子が泣きながら応援してくれた人たちに挨拶をしている姿を見ていたら、余計に涙が止まらなくなった。

普段何を考えているか分からない真子だけど、真子なりに1年間キャプテンとして色々考えてきたのだと思うし、4年間チームのために常にトップで戦い続けてきた真子にしか分からない感情もあったのだと思う。

真子、4年間ありがとう。


ここまで読んでくださった方はお気づきの通り、私はとても泣き虫である。何かあるとすぐ泣いてしまう。

基本的には自分のことで必要以上に考えすぎて泣くことがほとんどだが、チームのために全力で身を削りながら戦うみんなが本当にかっこよくて、それに感動して泣いたこともある。

選手それぞれにひとつひとつの試合にかける思いがあって、試合を迎えるまでのドラマもある。

それまでに何があっても、立場や役割がばらばらでも、試合では全員が同じ思いを持ってそれぞれのところで全力を出し輝いている。

大学に入ってこの部に入ったから、初めてそんな感情を経験できたし、そんなことに感動できることはとても幸せだと感じた。

部活に入っていつも全力なみんなに出逢えて本当に良かった。

4年間で私と出逢ってくれた全ての人たち、ありがとう。



引退した今、これからもサッカーを続けてみたいなとも少しだけ思っている自分がいることに驚いている。

やっぱり一度は試合に出てみたかったな、という気持ちも少なからずある。

そして4年間で様々な経験をした今、もっと早くからサッカーを始めて上手くなってからみんなと出会いたかったなと思う。

それはそれでまた違った感情や試練を経験をしていたと思うが、そうすればみんなとサッカーを一緒にやる時間もたくさん作れたと思うし、少なくとももっとみんなと楽しく話せたのではないかな、と思う。






何があっても絶対4年間やり切るんだ、という曲げられない気持ちがある反面、自分がこの部活・チームに所属していることでトレーニングやゲームのレベルを下げてしまっているのではないか、迷惑をたくさんかけてしまっているんだ、周りに気を遣わせてしまっているんだ、4年間そういう事ばかり考えていた。

クラブハウスの裏や車の中、お風呂や自分の部屋など、人目のつかないところで1人何度も泣いた。

自分は中京大学女子サッカー部としてサッカーを続けたいと思うけど、自分がいることでみんなに迷惑をかけるのならやめるべきなんだと本気で考えていた。

正直それは今でも変わらなくて、そうすればよかったのかなあと思う部分もある。


4年間で出会ったみんなが私に対してどのように思っていたのか、どのような目で見ていたのかは分からない。

でも、私が4年間続けたのは中京大学女子サッカー部のみんなのことが好きだったから。

結局はみんながいるから頑張れる、どんなに心がズタボロになっても続けられた1番の理由。

迷惑だったかもしれないけど、受け入れてくれてありがとう。部活に居させてくれてありがとう。






改めて、お世話になったそれぞれの人に感謝の気持ちを伝えさせてもらいます。



1-3年生。

こんな私のことを最後まで見捨てずに支えてくれてありがとう。

正直、私のプレーにイライラすることもあっただろうけど、そんな私にも扱えそうなパスをくれたり、ゲームや練習終わりにアドバイスをくれたりする人がたくさんいて、ちょっと気まずかったけど嬉しかったです。

ほんとはみんなともっと仲良くなりたかったし、話したかった。でも、サッカー下手でいつも迷惑ばかりかけてる私なんかが気軽に話に行ったら変かな、って自分なりに立場を考えてあまりみんなと関わろうともしませんでした。

試合中とそれ以外の時を分けられる人、尊敬します。私はそんなに器用に出来ませんでした笑


私が唯一試合っぽい試合に出たと言える最後の帝京可児戦の時。みんなが体を張ってディフェンスをしてくれたり、どんなに私がミスしても諦めずに一番前にいる私までボールをつないでくれたこと、本当に涙が出るほど嬉しかったです。

だからこそ最後、みんなへの恩返しの意味も込めてゴールを決めたかったのに、結局何もできずごめんなさい。

最後の笛の音を聞いた時は本当に悔しかったです。


年齢的には後輩だけど、たくさん刺激を与えてくれたし、学ぶことが多すぎるみんなには感謝しかありません。

みんなとだから一生物の経験が出来ました。

本当にありがとうございました。




大家さん

大家さんともっと話せばよかった、素直にいろんなことを聞けばよかった、そんな後悔ばかりです。

でも大家さんと話すと、心の中を覗かれているのかと思うほど私の弱いところを突いてきて、いつも泣かされるのであまり話したくないっていうのも本音です。


私のことを練習試合に出すことすら大家さんにとっては悩みの種だったと思います。

なかなか出場機会がないことにイライラして「大家さんは…」と思うことも実はたくさんありました。

でも、少しずつ出してもらえるようになったことは嬉しかったし、大家さんからたまにもらえるアドバイスや声掛けは他の誰よりも響いてました。


初心者の私をこの部活に受け入れるという決断をしてくださり、そして4年間面倒を見て下さりありがとうございました。




同期のみんな

人数が減ったり増えたり、途中でさと子はトレーナーに転向したり、毎年何かしらミニ行事があったような気がします。それなのに学年で集まって話すことも少なく、特に当たり障りのない関係をお互いに築いている、そんな学年だったなと思います。


私は、同期のみんながいるからサッカー部を続けたい、続けようと思って4年間過ごしてきました。

これはずっと言っている事で思っている事ですが、私の同期愛は誰にも負けないと自負しています。

あまり伝わらなかったと思いますが、同期のみんながいたから頑張れました。


本当に何もできないし、サッカーの話をしても通じないし、全体でミーティングをする時もいていないような存在の私にむかつくを通り越して呆れていたとしても、当然だと思います。

それでも同期のみんなだけは私を見捨てず、一緒に練習しよう!こうした方がいいよ!と声をかけ続けてくれました。何も自分から言ったりやったりしない私が悪いのに、4年間も私のわがままに付き合ってくれてありがとうございました。

みんなのことが大好きです。




最後に家族にもこの場を借りて普段言えない感謝を伝えさせてください。


お父さん。

10年前、お父さんと公園で一緒にボールを蹴っていた時は、私はまだまだ下手で変な方へ蹴ってしまうし力も弱かったと思う。

もっと色々やりたかったと思う。

相手にならなくて全然楽しくなかったよね。

ごめんね。


でも、10年経って私が大学でサッカーをすることに決めて練習しようとお父さんを公園に連れ出したら、立場は逆転して今度は私がつまらなかった。

だって全然動けなかったんだもん。

だからもう誘うの辞めたんだ。

学生の10年とおじさんの10年はそりゃ違うよね。

ちょっとだけ面白かったよ。

次の日動けなくなってたけど、私のために頑張ってくれてありがとう。


学生時代、サッカーを頑張ってきたお父さんはたくさんサッカーのこと知ってるだろうから、本当は私のサッカーに対して色々言いたいことあっただろうけど、私のことを考えて何も言わずにいてくれてありがとう。




お母さん。

高校の時も朝イチかその次の電車に乗りたいからというわがまま聞いてもらって、毎日朝早く起きてご飯作ってもらって駅まで送って行ってもらっていたけど、まさか大学生になってもそんな生活になるなんて思ってなかったよね。大学生なんだから、朝の支度ぐらい自分でやって朝ごはんも自分で用意して出ていけばいいのに、私より早く起きて朝ごはん作って送り出してくれてありがとう。

そして、大学が家から近いからと余裕かましてて、毎回出る間際までバタバタしててごめんなさい。


練習試合を含めて、試合があるたびに「今日は出る?」ってほぼ毎回聞いてきたよね。

出ないって分かってるくせに意地悪だなと思ってた。

自分でも出ないだろうなって分かってるけど、そうやって聞かれて「いや、絶対ないから。出ない出ない。」って笑いながら答えるの、実はきつかった。

いつも聞いてくるのにどんな意味があったか、特に意味なんてなかったのか、そんなことは分からないけど、私がサッカーをやっている姿見たかったのかなーって勝手に思ってる。なかなか見せられなくてごめんね。


3.4年生くらいになると練習試合は少しずつ出られるようになってきたけど、何本目の何分出られるか分からないし、そもそも0かもしれないっていつも思ってたから、「見に来て」とも言えなかった。

本当は見に来て欲しかった。

一度くらいは、ってずっと思ってた。


だから最後の帝京可児との練習試合、最後のチャンスだと思って初めて「来て欲しい」って言いました。寒いのに見に来てくれてありがとう。

結局、いいところを見せるどころか、むしろ恥ずかしいところばっか見せちゃったと思うけど、見に来てくれたことめちゃくちゃ嬉しかったよ。


サッカーの話も部活であったことも全然話さなくて、というより話せるほど気持ちの整理がつかない日が多くて、自分に余裕がないせいでイライラしてたりゆっくり話聞いてあげられなくてごめんね。

いつまでもカッコつけて自分を隠してばっかでごめんね。


これからは今まで以上に家にいる時間が少なくなって、一緒に過ごせる時間とか話す時間も少なくなっていくとは思うけど、お母さんの愛はいつも感じています。

これからもよろしくお願いします。






これからまだサッカーを続ける人、社会人として活躍する人、先生になって指導をする人いろんな人がいると思いますが応援しています。

私も負けないように頑張ります。

後輩たちともご飯とか行きたいし、もちろん同期とも集まれる機会があれば集まりたいと思ってます。

自分からは声掛けられないので、お誘い待ってます。



私の引退ブログはこれで以上とさせていただきます。

敬体と常体の混在した文章でとても読みにくかったことと思いますが、私の想いはすべてここに詰め込んだつもりです。



ここまで読んでいただきありがとうございました。