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引退ブログ〜さらば青春〜副キャプテン4年島田響

女子

本日のブログは女子サッカー部所属

#20 島田響(豊川高校出身/4年)です。



(不具合が発生しているため、解決次第写真を掲載させていただきます)



4年生の島田響です。


まず始めに、日頃から多大なる応援をして下さる皆様、本当にありがとうございます。

試合の度に差し入れをして下さる保護者の皆様、OGの方々など、大学に入学してより一層周囲の方々の協力があって今の環境があることを身に染みて感じております。

この度、引退ブログを書く機会を頂ける事になりました。拙い文章にはなりますが、是非最後まで見て頂けると嬉しいです。





私がサッカーを始めたのは小学校1年生の頃でした。

そこから約15〜16年続けさせてもらいました。

どの年代も様々な思い出があります。

楽しいことも辛いことも嬉しいことも苦しいこともその時々の仲間と共に乗り越えてきました。

高校年代からは同じチームだった仲間が敵チームになり、対戦することもとても多くなりました。

逆に敵チームだったのが同じチームになることも経験しました。

同じチームになったことが無くても、共通の知り合いを通じて仲良くなることもありました。

サッカーを通して人の輪が広がり繋がっていくこともサッカーの魅力であり、楽しさであることを経験しました。


大学の4年間は特にそれを体感しましたし、どの年代よりもサッカー面でもプライベートな面でも自由度が増した分、楽しさをより一層感じましたが、サッカーに対する熱量のかけ方の難しさも感じました。



大学1年目はコロナの影響もあり、大学生のキャンパスライフを夢見ていた私は、理想とはかけ離れた現実と慣れないオンライン授業、レポートの分量の多さに参っていましたが、6.7月頃から女子サッカー部らしい活動を再開できたことで少しずつですが、大学での活動にも楽しさを見いだせるようになっていきました。

(きっと人見知りを発動していたと思います。というか今でも弄られます。ただ、懸命に話しかけてくれた同期、優しくしてくださった先輩のおかげで今があることは間違いないです。本当にありがとうございました。)

しかし、皇后杯では母校に負けるという屈辱的な経験もしました。

インカレ予選を前にあまり良い戦績が残せなかったものの、チームとして建て直すことができ、インカレ本戦に出場することができました。

自分としては競技生活の中で初めて試合に出場した形での全国大会の舞台を経験することが出来ました。

同時に4年生の存在の大きさも実感した瞬間でした。



しかし、2年目からはなかなか良い戦績を残すことが難しくなっていきました。

私自身、1年目の良いイメージがありながらあまり自分自身の調子を上げることが出来ずに悔しい思いをすることが増えていきました。

これまでポジション争いをすることが少なかった私にとっては試合に出れないことやトレーニングマッチで1番手でないことが焦りを生む1つの要因でもありました。

東海リーグでは勝ち星をつけることが出来ても、皇后杯やインカレ予選では大敗することが続き、多分私のサッカー人生で1番と言っていいほど失点している試合が多いシーズンにもなってしまいました。

また、シーズン終盤には怪我をしてしまい、東海リーグの1部昇格を決める試合に出場することは叶いませんでした。

少しでもチームに貢献したかったと思いがありつつ、シーズン限りで引退をする当時の4年生の先輩の中でもスタメンで試合に出れていない方もおり、私より圧倒的に悔しい思いをしているのは先輩たちだと感じていました。

結果的に来シーズンを東海1部で戦うことになりました。中京がステップアップするキッカケになったのは間違えなくこのシーズンがあったおかげだと思っています。




迎えた3年目は初めての東海1部で、各チームから洗礼を受けました。

接戦を落としてしまう試合や、大量失点で力量の差を感じる試合もあり、チームとしても個人としても悔しさを感じることが増えるシーズンだったと感じています。

それでも東海1部でプレーすることで皇后杯が東海予選スタートになったことや、それによりより強いチームとの試合が増え、タフな試合をすることが多くなり、自分自身もさらにステップアップできる機会を頂けたと感じました。

しかし、インカレ予選では大量失点をしてしまい、白星をつけることが出来ず、またしてもインカレに出場することが出来ませんでした。

1年間を通じて勝ちグセをつけることが難しく、東海リーグも入れ替え戦に回ることになりましたが、無事に勝利し、大学4年目も東海1部でプレーできることになりました。 





突然ですが、大学サッカーにおいての私の後悔は2つあります。

1つ目はこのタイミングです。

私の1つ上の代の皆さんとインカレ本戦に出場出来なかったことでした。

2022シーズンの始まりはこれまでの代とは違った不安からスタートしました。

それでも、当時の代で1番少ない人数だった学年でもそれを感じさせない信頼とリーダーシップを兼ね備えていたキャプテンを中心に優しく明るく頭がおかしい(?)先輩たちでした。

その中には高校からの先輩もいます。

先輩ぽい扱いをした事はもしかしたら大学に入って1回もない(?!)かもしれません。

私が高校2年時の選手権の東海地域3枠目を決める試合で私たちは敗退しました。

あと一歩で負けました。

とても悔しくて負けて泣くという経験を多分初めてそこでしました。

決してその先輩が中京に進学したから追いかけた訳ではありませんが(笑)、それでもこの人がいたから中京でも楽しくサッカーできたのは間違いありません。

本人には恥ずかしくて絶対に面と向かって言えません(笑)。

でももっと言うと私はその人と全国のピッチに一緒に立ちたいと思っていました。

でも届きませんでした。

東海リーグの入れ替え戦なんて年明けで、私だったら絶対に気持ちが切れてたと思います。

それでもここまで活動を共にし続けてくれました。






だからこそ4年目は絶対インカレに行くと決意しました。

4年目が始まろうとしていた2月に私は地域対抗戦という大学生の選抜大会に選出させて頂きました。

中京を代表して、東海地区を代表してこの大会に参加させて頂きました。

結果から言うと準優勝でした。

私が出場した時間は全試合無失点で終わることが出来ました。

もちろん、私だけの功績ではありません。

いつも通りビルドアップでやらかしかけましたが、キックも比較的安定して、セービングなども上手くいき、4年目が始まる早々に幸先の良いスタートが出来たと自負していました。

そのくらい自分にとって自信になった大会でした。



それでも中京に帰れば競争が待っていました。

4年生になったから、選抜に選ばれたからと言って無条件に試合に出れるチケットなんて存在しません。

「この試合は響に任せた」

と言われて出場する試合ほど私はやらかしている気がします。(笑)

プレッシャーになってるのか、自分にプレッシャーをかけすぎているのか、2月に感じた自信を失うほど、東海リーグ開幕戦は緊張して自分自身のプレーをすることが出来ませんでした。

結果、チームの士気に左右する初戦を落とすという結果になりました。

と、同時に私は夏休み後半までスタメンを外されることにもなりました。



その時の記憶は正直あまり覚えていません。初戦が終わって、いくつもトレーニングマッチや東海リーグ、学生リーグがありましたがどれも印象になく、試験や教育実習を理由に逃げていた部分があったのでしょうか?

自分が出場しなくてもチームは勝利していきました。

結果的に学生リーグは前期優勝という最高の形でシーズン前半を締めくくりました。

東海リーグでも昨年まで大敗していた藤枝順心高校さんと1-1の引き分け、愛知東邦大学さんと2-1や4-3で競り勝つ試合などが増え、勝ち点をしっかりと積み上げていました。




この頃父親によく「このままでいいと思ってる?」と聞かれてました。

私は正直この質問が嫌で、「そう思ってたらフィットに通ってない」と聞かれた度にそう答えていた覚えがあります。

華子に誘われていなかったら多分4年目も無駄にしていた大学の施設ですが、気づいたら1人でも通うようになっていました。

でも習慣づくまでは華子や藍央、山下くんが居なければ無理でした。

フィットモンスターな後輩たちの「今日行きますか?」(もちろん来るよね並の圧あったなあ)も原動力になってました。

でもよく遅刻もしました。

だけどあまり悪いと思っていませんでした。

この場を借りてお詫び申し上げます。

ごめんなさい。

社会人になったら遅刻しないように頑張ります。

誰かモーニングコールしてください。

なんとなく意地で通っていた部分もありましたが、それでも4年目くらいサッカーの部分にもっと割り振ってもいいじゃないかと思っていたので結果的にみんなで頑張るあの時間が楽しくもありました。

この辺りからまた試合に出れるようになるまで頑張るしかないと反骨精神であった気がします。



夏の遠征あたりで徐々に試合に関わる機会が増え、9月の皇后杯の東海大会2回戦で私は約半年ぶりにスタメンとして出場することになりました。

と、いっても愛子が怪我をしたから試合に出場するという自覚があったので、ここから引退まで前期と比較して試合には出場させて頂きましたが、心情は複雑でした。

贅沢な悩みだと思います。

実際試合になるととってもとっても緊張していたので世にも珍しいGKが試合終盤で足をつって交代するという醜態を、普段は居ないような女子サッカー関係者にまで見せるという醜態に醜態を重ねてしまいましたが、それでもチームの勝利に貢献する、無失点で終えるという経験を久しぶりに出来たことは素直に嬉しかったです。

それでも皇后杯出場まであと一歩の所を逃し、迎えたインカレ予選初戦を先制するも逆転され黒星スタートとなってしまいました。

それでも、まだ予選は終わってない、残り全勝すれば可能性はある、そうチームを鼓舞し、やりきろう、戦い切ろうとチームで動いていきました。

得点にもこだわり、勝ち点を積み上げるなかで大一番であった愛知東邦大学戦を迎えました。

苦しい時間がとても長かったですが、1点守り切り、無事に次に繋げられた時は本当に嬉しかったです。

しかし、最終節(静岡産業大学戦)で引き分け以上で本戦出場が決まるという試合で負け、3位でインカレ予選を終えました。

この試合後もあまり記憶に残っていません。

本戦出場を決められる試合でOGの方も多く観に来てくださっていたにも関わらず、結果で感謝を伝えることが出来ませんでした。



それでも下を向いている暇なく、東海リーグの試合が3節分残っていました。全て勝利すれば無条件で残留が決まる試合で、初戦から0-2で落としてしまい、後が無くなった状況で迎えた相手が名古屋経済大学さんでした。

向こうはインカレ本戦出場を決定し、チームとしても良い状態だったと思います。

絶対に勝つという強い気持ちを全員がもって挑んだ試合だった思います。

こちらは勝利以外では自力での残留の可能性を残すことができませんでした。

全員が粘り強く戦い、試合終了間際の得点で勝利し、首の皮一枚繋がりました。

リベンジを果たせたという結果が何よりも嬉しかったです。

最終節も引き分けで自力残留を決定させ、私たち4年生は11月23日の活動をもって引退という事になりました。




ここでお待ちかねの2つ目の後悔です。

それは後輩たちにインカレの舞台を経験させられなかったことです。

私が入部したよりもチームとしてレベルアップしたと感じています。

それは後輩たちの後押しがあったからこそですし、強豪校出身の選手たちも多くいます。

正直中京じゃ勿体無いと思っている後輩ばかりです。

中京じゃなきゃもっと早くインカレの舞台に立ってるはず。

それでも中京を選んで入部してきた後輩たちに先輩が見せてくれたようにインカレの舞台を見せたかったというのが悔いとしてあります。

特に私が1年生でインカレを経験出来たことが大学サッカーにおいてとても大きい出来事だと感じていました。

私より遥かに上手い後輩たちへ出来ることはそれだけだと感じていました。


これまでの先輩たちは何かしら結果で私たちにバトンタッチしてくれていました。

今年はインカレ本戦出場だと、歴代最高成績を収めることだと感じていました。それでもその前提に立つことさえ叶いませんでした。

私は後輩たちに何か残すことは出来たのかと最近思い返してみることがあります。

あの4年生の先輩たちのようにカッコイイ姿で居られただろうか、この思いを背負って来シーズン頑張ろうと思えてもらえただろうか。


そんな後悔が私の中でグルグルしています。


後輩の皆さん、どうでしたか?

少しは頼れる先輩たちだと思ってもらえていたでしょうか。

今まで見てきた先輩たちの姿に近づけていたでしょうか。


私の第一印象はすこぶる悪いので例年卒業記念の色紙などや手紙でも割と「怖い人だと思っていました」と書かれることが多く、今年も例外なく書かれましたが、それでも絡んでくれる皆が可愛くて可愛くてしょうが無かったのは事実です。

私が早生まれなのをいいことに自分が誕生日を迎えると途端に同級生だからとか変な理論訴えてくるやつとか生意気なやつとか頭良いやつとか私より人見知りなやつとか試合中まであだ名で呼んでくるやつとか真面目そうに見えて意外といじってくるやつとかギャル要素強めなやつとか趣味の話で盛り上がれるやつとか…

とにかく個性豊かな後輩のおかげで楽しくサッカーが出来ました。

こんな私に絡んでくれて本当にありがとう。





大学サッカーで一区切りつけようと思っていた私にとって、後悔は絶対にしないと決めていました。

でもやはりサッカーに限らず何かをやり続けることは後悔と引き剥がせないものなのかと感じます。

だからこの先の人生はなるべく小さな後悔で済むように生きようと誓いました。

やりたいこと、学びたいことをどんどんやっていこうと決めました。

4月から社会人というまだ現実に全く向き合えずダラダラした生活を送っていますが、自分の中でこれだけは譲れないという芯をぶらさずに、これからの人生も楽しんでいこうと思います。




両親へ。


日頃から中京のSNSを欠かさずチェックしている2人なのできっとこのブログも見ていることでしょう。

今までサッカーを続けさせてくれてありがとうございました。

中学校辺りから段々と県外での遠征が増え、どこの県でやっても大体観に来てもらいました。

集合時間に2人して寝坊して遠征先の大阪まで連れて行って貰ったこともありました。

遠征を中抜けするために、ど平日に御殿場を往復させた事もありました。道中のゲリラ豪雨が物凄く印象的です。

高校へ行ってもホームシックな私を心配してか毎週のように試合に観に来てくれて、電話してくれて、時にすごく怒られ、やっぱ観に来て欲しくないと思ったことも山のようにあります。

受験と被って高校3年の選手権の東海予選に出られずチームが敗退した翌日の福井遠征にも来てくれました。

多分どの保護者よりも車の走行距離えげつないことになっているでしょう。

大学でも母は、朝練の時にはおにぎりや授業がある日は弁当を持たせてくれました。華子たちには甘えんなと散々言われましたが、とことん甘えさせて頂きました。

父は、平日のトレーニングマッチでも時間が合えば有給を取ってくれていたし、ライブ配信がある時はスマホに張り付いて観てくれていました。

カメラワークに文句があるそうなので今後ライブ配信する人は気をつけてください(笑)。


いつだったか、私たち姉妹の週末の試合を見るために平日の仕事を頑張っている(ニュアンス)と言われました。

そんな2人の期待に応えられるような選手になれたかどうかは分かりません。

もっと目に見えて活躍出来ていればなと思います。

もっというと最終学歴まで一緒になった私たち姉妹が2人揃って全国の舞台に立っているところを見せられなかったことが1番の心残りかもしれません。

後悔が3つに増え、後悔ランキングの順位が変動しました。


でも父のおかげでサッカーの魅力を味わい、母のサポートでここまでサッカーを続けられました。



大学の期間を経て指導者になりたいという思いがより強くなり、4月からはまた中京に時々参加させて頂きます。

私の選択を最優先に考えてくれた両親にはこの先も迷惑をきっとかけ続け、甘え続けると思いますが、少しでも恩返しが出来ればなと思います。





最後に。


これまでサッカーを通じて知り合った全ての方々、本当にありがとうございました。

私の先輩や同期、後輩はそれぞれのステージでサッカーやフットサルを続けているのをSNSで拝見しています。

とても励みになってます。


小学校、中学校、高校時代の監督やコーチには未だに連絡を頂きます。ずっと気にかけて頂き、ありがとうございました。

皆様のおかげでここまでやり遂げることが出来ました。

これからも何かしらお世話になると思うので、よろしくお願いします。


そして、大家さん、稲田くん、山下くん。

このブログを見ているか分かりませんが、今までありがとうございました。

特に大家さんからここ1~2年ずっと言われている「4年生の中で人間的に1番成長した」という言葉は一生忘れることは無いと思います。

これからもその言葉に恥じないように精進していきたいと思っています。





競技レベルとしてのサッカーはここで一区切りです。

人生の半分以上をサッカーと共に生きましたが、これに悔いはありません。

今後とも末永くよろしくお願いします。




最後まで読んで頂き、本当にありがとうございました。

まとまりが無く、気をつけていたのにとても長い文章になってしまいましたが、解説が欲しい方は是非声を掛けてください。



今後とも中京大学女子サッカー部の応援のほど、よろしくお願いします。