Page5 「サッカーありきの人生」 横山幸平
9月29日の引退試合をもって、6歳から始めたサッカー人生に幕を下ろしました。好きな曲やアーティスト、趣味などはコロコロ変わっていく自分が唯一好きでい続けられているもの。それがサッカーでした。そんな自分のサッカー人生を振り返っていきたいと思います。
私は名古屋FCEASTというクラブチームでサッカーを始めました。ここでは中学校3年生までの約9年間お世話になりました。このチームに入ったことで今の自分があると思います。1からサッカーを学べただけでなく、人としても大きく成長することが出来た9年間でした。また、今でも集まって一緒にサッカーをしたり飲みに行ったりするような素敵な仲間とも出会うことが出来ました。
高校は東邦高校に進学。ここではとてつもない後悔を残すこととなりました。高校3年生の冬。最後の高校サッカー選手権大会愛知県予選。大学受験とブッキングし、大学受験を優先。しかし、受験は失敗。チームはその日の試合にPK戦で敗れ予選敗退。私はその試合のPK戦が始まるタイミングで会場に到着し、そのまま部活を引退することとなりました。「不完全燃焼」まさにその言葉が相応しい終わり方。人生のどん底に立たされた気分でした。元々は大学でサッカーをやる気はほとんどありませんでしたが、やりきれない気持ちを抱えたままサッカーを辞めることは出来ず、大学でもサッカーを続けることを決意しました。
大学サッカーはちょっとした怪我が多くありました。1年目はU22B、2.3.4年目はU22Aで戦いましたが、どの年でも足首の捻挫や内転筋の肉離れ、踵の骨挫傷など色んな種類の怪我をしました。そして自分にとっていちばん不甲斐ない怪我、左手首骨折。ハードな練習ではなく、実技のハードルの練習で骨折。もし後輩の中でハードルの授業を受けていて、ハードルで骨折をした人がいるという話を聞いた人がいるならば、それは私です。幸いにも骨折をした時にはシーズンが終わっていたため何とかなりましたが、もしこれがシーズン中だったらと思うと恐ろしいです。私の二の舞にならないように気をつけてください。
大学サッカーで後悔したことはあまりありませんが、強いて言うなら教員採用試験の勉強のために休部したことです。部活と勉強の両立ができなかったこと、4年目に3ヶ月くらいしかサッカーができなかったことがもったいなかったなと思います。ですが、部活を再開してからは楽しい日々が続き、改めてサッカーが好きなんだなと思うことが出来ました。リーグ最終節。勝てば昇格負ければ残留のダービー戦。ゴールを決めることが出来たあの瞬間は一生忘れることのない思い出です。チームとしても個人としても有終の美を飾ることが出来てよかったです。
ここまで私のサッカー人生を振り返ってきましたが、サッカーを通じてまだまだここには書ききれないほど沢山の経験をすることが出来ました。それは多くの方の支えがあったからだと思います。その中でも特に家族には感謝してもしきれません。これまでサッカーを何不自由なく続けてこられたのは、間違いなく家族の支えがあったからです。この感謝の気持ちは、社会人として成長していく姿で示して行けたらいいなと思います。これからもよろしくお願いします。
最後になりますが、たくさんの素晴らしい友人、同期、後輩、監督、コーチに恵まれ、私の人生に彩りを与えてくれました。またいつかお酒でも飲み交わしながら思い出話が出来たらいいなと思います。
拙い文章ではありましたが最後まで読んで頂きありがとうございました。