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Page6 「存在意義」 大塚航平

ココロノオト〜season3〜




みなさんはじめまして。中京大学体育会サッカー部U22B4年、CP(大塚航平)です。

 

※なぜCPかと言うと、昨年U22Bで主将を務めさせていた際に後輩たちから始まり、気づけば永冨総監督にもCPと呼ばれていたからです。そして、今年は主将ではなかったにも関わらず何故かCPでした。(愛着ありました)

 

今回引退ブログを書くにあたり、これまでのサッカー人生、そして中京大学体育会サッカー部での4年間を振り返っていきたいと思います。

拙い文章ではありますが、是非最後まで読んでいただければ嬉しいです。

 

まずこれまでのサッカー人生を簡単に振り返ると、幼稚園でサッカーと出会い、南アフリカW杯の本田圭佑選手の活躍に憧れ、小学校3年生から地元の少年団でサッカーを始めた。そして中学ではレベルの高い環境に身を置きたいと思い中体連ではなくクラブチーム、高校では県内の高校で選手権に出場するために日々取り組んできた。そして、高校サッカーを終え、自分はもともと大学でサッカーをするつもりはなかった。中京大学には全国から実績のある選手たちが集まることも理解していた。このような状況の中で入部を決意した理由は、自分の実力がどこまで通用するか挑戦したかったことと、最後の選手権予選1回戦敗退という不完全燃焼で高校サッカーを終えてしまったからである。どうせやるならサークルじゃなくてレベルの高い環境で本気でやりたかった。親元を離れて1人暮らし、愛知県という新たな土地で誰も友達がいない状況、そして今までにない200人以上の部員の競争環境に身を置くこと。全てにおいて自分の中で本当に大きなチャレンジで、1つでも上のカテゴリーでプレーするという目標を持って入部を決意した。しかし、当然通用することもなく、初めての練習参加で衝撃を受けたことを今でも鮮明に覚えている。初めの1週間でカテゴリーが振り分けられ、強度、技術、何を取っても通用しなかった。

 

そして、1番下のカテゴリーであるU22Bに振り分けられたのだが、最も苦しい1年であった。50人もの大きな組織にも関わらず、大人の指導者がいなくて4年生の学生コーチが主体であり、言葉を選ばなければほぼサークル状態であった。モチベーションの維持が難しく、特に先輩方とのコミュニケーションに苦しんだ。試合にも一度も絡めず、本当に腐っていた。真剣にサッカーを辞めようと考えたことが何回もあった。「自分は何のためにこのサッカー部に所属しているのだろう」「自分はこのサッカー部に必要ないのではないか」このようなジレンマに陥っていた。でも、このまま終わりたくなかったので後1年は頑張ろうと歯を食いしばった。

 

2年目の新たなシーズンでは心機一転心を入れ替えた。とにかく試合に出たかった。練習後先輩を捕まえて自主練に付き合ってもらったり、フィットに行って身体づくりしたり、試合に出るためにやれることをやった。その結果、開幕から5試合出場できた。素直に嬉しかった。しかし、それ以降は後輩にポジションを奪われた。悔しかったが、自分の実力を認めざるを得なかった。1年時とは異なり、サッカーに打ち込めたとても充実したシーズンであった。この時に自分の中でサッカーを辞めるという選択肢は無くなっていた。

 

3年目のシーズンが自分の中で大きな転機となった。主将に就任したこととトミさんが本格的にU22Bを指導してくれることになったことである。これまで主将の経験はなく、初めは怒られることもたくさんあってチームにたくさん迷惑をかけた。トミさんがDENSOカップやTOPチームの活動で不在の際には自分で練習メニューを考えて回したり、試合のメンバー選考では自分がチームメイトを評価する立場になったり、チームの勝利を第1に考える思いと自分が試合に出場したいという複雑な思いが交錯したりと経験したことのない大変なことがほとんどあった。でも、できないなりにがむしゃらに頑張り続けた。その結果、初めはめちゃくちゃ怖かったトミさんからの信頼を獲得し、チームメイトもついてきてくれた。結果としても上位リーグに残留でき、チームの雰囲気もめちゃくちゃ良くて歴代最強のU22Bであったと思う。この時、初めてチームに貢献出来て、自分がこの部活にいる「存在意義」を感じられた。慕ってくれる後輩、面白いけど問題児ばかりの同期、優しく頼りになる先輩、支えてくれるマネージャートレーナー、帽子の色で機嫌の変わるトミさん。本当に恵まれた環境であった。大変だったけど苦じゃなかった。何よりも充実していた。誰でも出来ない本当に貴重な経験をさせてもらえたことで人間的にも大きく成長できた。

 

そして最後の4年目のシーズンは、とても不甲斐なかった。就職活動で長期間チームを離れてチームに迷惑をかけ、復帰後も中々試合に絡めなかった。結果としても前期リーグで降格してしまい、試合に出場しているメンバーがほとんど下級生であったことも情けなかった。でも、1年通して試合に出続けたシーズンなんて無かったし、結局のところ試合に出場できなかったことは自分の実力不足である。最後の引退試合のU22Aとのダービーでも20分しか出られなかったことはただただ悔しかった。スタメンで90分最後までピッチに立ちたかった。入部当初目標に掲げた1つでも上のカテゴリーでプレーするという目標も叶わず、有終の美を飾れなくて悔しさの残るサッカー人生の終わり方もこれまで苦労してきたサッカー人生を象徴していると今では思う。しかし、引退試合では本当に多くの人が会場に駆けつけてくれて、あんなに多くの人の前でサッカー人生を終えられたことはとても幸せであった。

 

上手くいかないことばかりで順風満帆なサッカー人生ではなかったが、大学4年間で気づけたことが2つある。

 

1つ目は、サッカーが好きだということ。1年の時に本当に苦しくて逃げ出したかったにも関わらずなぜ部活を辞めなかったか。それはサッカーが好きだから。小3から当たり前に続けてきたサッカーだけど、この紆余曲折の続いた大学サッカーを通して、改めてサッカーが好きだということを再認識できた。

 

2つ目は、活躍している人の共通項は、自己表現力が高いということである。実力はもちろんであるが、自分を表現する能力が秀でていると感じる。サッカー用語で言うところのエゴである。その要因は、自分に対する絶対的な自信を持っているからだと考える。そして、このような選手は指導者から気に入られている傾向にあると感じる。気に入られるためにごまをすれと言いたいのではなく、指導者やスタッフから気に入られることも1つの能力だということである。これはサッカーに限らず、これから社会を生き抜く上でも大切な能力だと思う。自分から教えられることなんてほとんどないけど、後輩のみんなにもぜひこれは覚えておいてほしい。本当に後輩のみんなのサッカーに取り組む姿勢には感心しているし、常に刺激をもらってきた。自分が1年の時のU22Bでこんな状況考えられなかったし、それと同時にトミさんが指導してくれてサッカーに打ち込める今の環境が羨ましいと思うこともある。だからこそ今の環境に感謝して今まで通り全力でサッカーに取り組んでほしい。応援しています。

 

サッカーをする以上、誰もがプロサッカー選手を志すはずである。自分もサッカーを始めた頃からプロサッカー選手になりたいと思ってきた。しかし、自分にはその覚悟がなかった。それを口にすること、そのような環境に飛び込むこと。常に他人の目を気にしてしまい本来の自分の感情を押し殺してしまうこともたくさんあった。年齢を重ねるにつれて現実と向き合う中でその思いは徐々に薄まり、気づけば無意識のうちに諦めていた。自分には自己表現力で最も欠如していた。こんなにレベルの高い中京大学でもプロになれるのはほんの一握りの選手で、改めて厳しい世界だと実感する。

 

この4年間で自分のサッカーに対する価値観を変えてくれた中京大学体育会サッカー部に関わる選手、スタッフ全ての方々に感謝しています。大学サッカーを通して多くの仲間ができました。関わってくれた人たち本当にありがとうございました。また会いましょう!

 

最後に両親へ

まずは、14年間何1つ不自由なくサッカーをやらせてくれてありがとう。2人がいなかったらここまでサッカー続けられなかった。練習や試合の送り迎え、スパイクや練習着のサッカー用品の購入、生活やお金の何から何まで本当に迷惑かけてばっかりだったけど支えてくれてありがとう。1年の時にサッカー辞めたくなったけど辞めなかったのは2人に試合でプレーしている姿見せたかったからです。3年の前期の1試合と引退試合で、最後も20分しか出られなかったけど、見に来てくれて嬉しかった。わざわざ徳島からありがとう。こんなに好き勝手サッカーやらせてもらったのに大した結果も残せなくてごめん。でもサッカーのおかげで逞しくなれました。これからもたくさん迷惑かけると思うけど、親孝行で恩返しします。本当に今までありがとう。

 

長々と拙い文章でしたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。