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Page8 「幸せな4年間」 深澤壯太

ココロノオト〜season3〜


 

こんばんは。トップチーム4年深澤壯太です!

二年前の先輩がとても熱いブログを書いていてすごい先輩だったなと思っているうちに気付けば自分が引退ブログを書く出番になっていました。今回、引退ブログを通して4年間を振り返りたいなと思います。

 

伝えたいことはこの振り返りの後に書くので長いなと思う人は飛ばしてください!

 

 まず、僕は指定校推薦で大学に入りました。中京大学に入る前に僕は、違う大学にスポーツ推薦が決まっていてそこに出願をしようと準備をしていた矢先に、大学側の問題によりスポーツ推薦取り消しに。10月中旬に大学決めが白紙となりました。高校の指定校推薦の二巡目がまだあったのでそれで決まることになり最初は関西から出るつもりもなく有名な大学もなかったため、あまり行きたいなと思う大学がなかったのが本音でした、いろいろな大学のリストを見て高校の練習から帰っているときにサッカーをやめて違う生活をしてみようかなと考えたこともあったし、高校ではあまり自分の思ったような活躍もできなかったので自分で限界を決めてしまっていたのかなと思います。でもその中で高校の監督や、父親から東海がいいんじゃないか。中京大学という大学があるらしいよと教えてもらったことにより、練習参加をさせてもらうことになりました。大学ではリーグ戦の大事な時期でしたがTOPの練習に参加させてもらい紅白戦の日でサブ組で出させてもらったときにスタメン組の選手がめっちゃうまくてボールを奪えないし、マッチアップした相手の選手が抜群にうまくて衝撃を受けたのを覚えています。帰り道には父親にここに行きたいと言っていたし、その時にここで試合に出れないと思うと言っていました。

 大学に入ってみると、運がとてもよくTOPがキャンプから帰ってきた次の日の練習試合に呼んでもらい大学に入ってきたときはボランチで入ったのですが(今思うとボランチで4年間プレーしてたら絶対試合出れてません)気付けばTOPでサッカーをさせてもらうことができました。入学式前に愛知選手権があり、その大会でも背番号がもらえ、最初の1.2戦目は下級生にチャンスがある中で2節目で途中出場をすることができその時に高校3年生では右サイドバックをしていましたが、今までしたことのないポジションで大学の公式戦にデビューしました。左サイドバックと言われたときは少しビックリしましたが試合に入ってみると今までにないくらい体に衝撃が走ってこのポジションで頑張りたいと思ったし、試合が終わってから冨さんやスタッフ陣に褒められたことを今でも覚えています。

シーズンが終わってみるとリーグ戦で1年生ながらチームでの出場時間2位、ベストイレブンをもらうことができ、デンソーの東海選抜にも入ることができとても自分のサッカーの可能性が広がった1年だったなと思います。

 2年生では少し壁にぶち当たった年で度重なるけがが多かったなと思います。リーグには出続けることができていましたが、10月にけがをした際にスタメンをとられそのまま復帰をしてもコンディションを戻せずにインカレも出場できなくチームはとても好調で福大、筑波を倒し中京大学の名が広がった大会に自身が出れなかったことがとても悔しい年でした。今思えば自分にベクトルを向け続けられたかと思うと少し、違うことのせいにしてしまったり、練習後などに自主練をせずにダウンをしていたり、慢心があったから細かいけがが多かったと思うし、自分の甘さがあったから出れなかったと思います。シーズンが終わってから自分がとても尊敬している熱い先輩のブログにも書かれていました。

 「悔しいよなでもこれが現実だから、サッカーだから、そんな状況でもチームのために役割を見つけて行動しなければいけない。そこに自分の感情を持ち込んではいけない。」

 あの時を振り返ればベンチから自分は最後の大会なのに一番声出してチームの士気を上げる声かけをずっとしていたし、声出していると思ったらちゃんとアップして自分の準備もしているし、つらいはずなのに、悔しいはずなのにチームのために行動をする先輩がいました。そういう先輩に自分はなりたいと思ったし、あれほど熱い人間にはなれないけど慕われるような先輩に恥ずかしくない先輩になろうと決意したし、3年のシーズンはもっとチームのために戦いたいと思うことができたとても悔しい年でもあったし、変われた年に慣れたのではないかなと思います。

 3年生の年は新たな気持ちでサッカーをもう一度できたと思うし、少しの痛みがあっても絶対に練習抜けなかったし、うますぎる4年生が特別指定でJリーグに帯同したりしていたから自然と自分たちの代が中心となってリーグ戦を戦い抜いて責任感が生まれた年だったのかなと思います。結果的にその年は4年生がやばすぎたため愛知選手権優勝、リーグ戦優勝、総理大臣杯予選の東海トーナメント優勝とタイトルを取りまくっている4年生とサッカーができたことがとても幸せだったなと思います。一番その年で記憶に残っている試合があります。リーグ優勝を決めた試合、名古屋産業大学戦で下級生主体のメンバーで後半15分まで1-3の状況でJに行っていた先輩たちが試合に出た30分間の間に3点ひっくり返してリーグ優勝を決めた試合がありました。それを自分も中でプレーしていて鳥肌が立ったし、身近にいた先輩方のクオリティの高さを感じて自分もこの舞台でと思えた夢が目標に変わった試合だったなと思います。また、大好きな4年生が引退するときに来年はお前でチームが変わるぞと言ってもらえてとてもうれしかったし正直副キャプテンしそうだなと勝手に自分で思ってました。

 4年、大学最後の年、新シーズンの立ち上げの時にキャプテン副キャプテンの発表の時、正直自分の名前が呼ばれると思っていたのですが副キャプテンにも名前が呼ばれることがありませんでした(笑)

この1年は特にいろんなことがあり、みんなうまいはずなのになんかまとまらない、リーグ戦鬼のホーム3連敗、夏のトーナメントギリギリ出場、リーグ戦前の調整練習で朝7時半から一対一で追い込んで次の日めちゃくちゃ体が重かったり、ペナとペナの幅で4対4をしたりしんどい練習を多くしてきた年でもあったしみんなでうるさく楽しく厳しく練習をすることがとても幸せでした。最後のインカレの予選での東海大学戦、今までのサッカー人生で一番感動した試合。初めて試合中に涙が流れました。最後の最後に同点弾をきめてくれたまえかん最高にかっこよかったです。練習ではコンディションをうまくあげれなくて悩んで後輩が成長してくれたらそれでいいと思ってると言っていたのに役割を見つけて頑張っていたからあのゴールがあったのだと思います。今思い出してもカッコよかったなあ。

幸せな1年過ぎて仲間って本当にいいなと思いました!

こんな感じで振り返りは終わっておきます。

自分が伝えたいのは今からです!

 

まず先輩方

プライベートでもサッカーでも尊敬ができるところばかりで3年生までずっと先輩の背中だけを追いかけていました。活躍でいろいろな刺激をもらえたし、自分が悩んだときは相談に乗ってくれたりとても感謝しています。特に川地功起には一番感謝しています。おれもそんな先輩になりたいけど熱すぎてちょっと痛いからうまくいいところだけ盗んどきます(笑)

みなくん、こさくん、ふみ、こーやくん、しんどうくんオフシーズンになったらいつでも誘ってください!飛んでいきます。

 

後輩へ

グラウンドに行けば明るく挨拶をしてくれて悩んでいるときなどに相談をしに来てくれたりオフの日の前に温泉行きましょとかプライベートでも仲良くしてくれて本当にかわいい後輩たちでした。可愛い後輩だからこそ厳しいことも言ったと思うけどもっとみんなならできると思います。正直今回のインカレはもっとできたと思うし自信をもって堂々とプレーしてほしいなと思います。けんいち試合中は大人にな、屋嘉比はまじめにやれ、かずまいかれすぎるなよ集中な、かんちゃんは悩みすぎずにもっと遊び心もって楽しんで、しげは天才、ちひろはファミマの治安は頼んだあとごつくなれ、深津はメンタルなよなよすんな、ひろしはもっと突き抜けろ、りょうたはもっとできるもっとがんばってほしいあとおにけんはやっぱりええかな。

ほかの1.2年生もみんなうまいから強くなってもっと全国で中京大学の名を広げてほしい。

期待しています!いい報告をできるように頑張るからお互い頑張りましょう!

悩んだときは僕の試合を見て下さい。出れるように頑張るし、出たら笑顔でサッカーを楽しんでいる僕がいるでしょう(多分)だからみんなも楽しめ。

 

スタッフへ

本当に中京大学に来てよかったなと思える4年間でした。うまくいかなかいときに顔がふてこくなってしまったりイライラしてしまうことがありましたが励ましていただいたり、悩み事を聞いてくださったりアドバイスをくれたり中京大学に来ていなかったらプロにはなれていなかったと思います。それほどこの4年間は濃くて楽しかったです。加藤さんをはじめメディカルスタッフの皆さんもたくさんお世話になりました。誇りに思ってもらえるように活躍できるよう頑張りますので応援お願いします!またいつかお酒飲みましょう!(笑)

僕がサッカーを引退したときには中京大学のスタッフとして雇ってください。(笑)

ありがとうございました。

 

同期へ

この同期でなければ僕はサッカーを続けられなかったなと思います。

揚げ物食べない意識高い系ファミマのペアどり、身長185あるのにたいきの前では女になる系だけど試合はマジですごくて笑ってまうたいせい、社不やけど身体能力とオンオフの切り替えすごいカフェイン中毒まえかん、独特すぎる雰囲気がある陰キャラタウニー内田の同士ゆう、対照的にバリ陽キャな高身長193の優しすぎるセラ、逆サイドのサイドバックライバルプライベートピンカーらいお一番下のカテゴリーおったのに気づいたらもどってきたバーボレばりつよいともや苗字が同じないつでもケアしてくれて試合前日の夜12時前のけがをしても手当てしてくれてリハビリだったりいろいろ考えてくれたゆきと、そしてわれらがキャプテンおし個性が強すぎる代をまとめてくれておしがキャプテンだったから今年はとても楽しかったと思います。まだまだこれからも会い続けようね。

こんなにも癖がある代でサッカーができて幸せでした。刺激し合ってこれからも頑張っていこう!だいすきですほんまにみんな。

 

最後に家族へ

まずここまでサッカーをさせてくれてありがとう。サッカーで厳しいことも言われたこともあったし怖いときもあったけど全部自分のために言ってくれたからこそ今の自分があると思います。面と向かって言うのは恥ずかしいからここで言います。本当にありがとう。感謝しかないです。

ここからがスタートラインです。プロの世界で自分がサッカー選手としてピッチでプレーしているところを見せられるように頑張ります。親孝行は兄と試合で同じピッチでサッカーをするでいいですか(笑)

そして兄、一番サッカーがうまい人は誰ですかにすべて兄と答えています。サッカー続けるか迷っていると話を聞いたときにできる可能性があるなら続けてほしくてお母さんは続けてほしいらしいよといったけど自分が続けてほしかっただけです。続けてくれてありがとう。兄がいるから自分が超えたいと思ってサッカーが続けられていると思うしいい見本になってくれているからこうして離れても刺激をもらえて頑張れていると思います。絶対に負けたくないので絶対に追い越すので覚悟して待っててください。

 

長くなってしまいましたがこれでブログを終えたいと思います。

上記の人たちはもちろん、いろいろな人の支えがあって今の自分があります。本当に感謝しています。ここから人生の本番に入っていくなと感じています。その人たちへの感謝を行動やプレーで恩返しできるように頑張りたいと思います。もっと頑張らないと生き残っていけないと思うので志高く楽しんで頑張ります!

最高に楽しい4年間でした。

 

ありがとう中京大学サッカー部!

大好きです中京大学サッカー部!