1. ホーム
  2. ブログ
  3. ブログ詳細

ブログ

Page12 「寄り添う人」 後藤亮也

ココロノオト〜season3〜


こんにちは。学生トレーナーの後藤亮也です。私は4年間中京大学男子サッカー部にて学生トレーナーとして活動させていただきました。今回、引退ブログを書く機会をいただいたので、その4年間の経験をお話しできたらと思います。拙い文章にはなりますが、少しお付き合いください。

 

 

 

2021年4月、私はJリーグのトレーナーになることを夢見てこの大学へ入学しました。同時に、私は高校生まで選手としてサッカーをしていたのですが、怪我で満足にプレーできないことが多かったため、将来的には怪我で苦しむ選手を一番近くで支えたいという思いから入学後は男子サッカー部でトレーナーとして活動しようと決めていました。入学してからまもなく、サッカー部の練習を見学させてもらったのですが、プレーレベルの高さに圧倒され、とんでもないところに来てしまったなという印象を受けたのを覚えています。それと同時にこういった選手をトレーナーとして支えたいという思いが芽生えたのも覚えています。すぐにトレーナーとして入部することを決めました。

 

 

 入部から数ヶ月後、トレーナーとして右も左もわからないままU22Aチームにて活動することになりました。配属された日に当時のトレーナーの先輩から、トレーナーとして活動するにあたり「周囲からの信頼」これだけは何よりも大事だと助言をいただきました。もちろん、他にもたくさん大事なものはあるという意見はあるかと思いますが、今の私もこの答えに尽きるかと思います。人は誰かに必要とされるから生きていけます。選手・スタッフからの信頼が失われ必要とされなくなった時点でトレーナーとしては終わりかなと思います。そのため、謙虚に、ひたむきに、トレーナー業務に取り組もことを改めて決心しました。ただ、当時トレーナーとしての経験がゼロの私にできることは少なかったため、散らばったボールを走って拾いに行ったり、練習前後では積極的に話しかけたりなど今の自分にできることから始めました。次第にシーズン序盤にかけて、「テーピングを巻いて欲しい」「アイシング作って欲しい」などと選手に頼られるようになり、1人のトレーナーとして認めてもらえるようになったのがすごく嬉しかったです。日々先輩トレーナーの姿を見て勉強する毎日でしたが、たくさんの指導をしていただき、今の私の礎を築いているのは間違いなくこの時間であったと思います。 

 

 

 2年時にはU20チームを担当しました。つい数ヶ月前まで高校生だった選手たちをメディカル・フィジカルの観点からサポートするのは他のチームとは異なり、当時は並行して新型ウイルスによる感染対策も行う必要がありました。先輩と協力しながら、既往歴や手術歴などの基本情報の把握を行ったり、合流に向けてのコンディションを調整したりなど行いました。トレーナーの業務はリハビリテーションや応急対応などの目を向けられがちですが、基本情報の把握や感染対策なども私たちトレーナーの役割なのです。この時期くらいから、実際にリハビリの選手や痛みを抱えた選手を受け持つようになったのですが、私1人では全然上手くいかないことが多く、トレーナーとしては無力すぎました。もっと自分に能力があれば全国大会出場は達成できたのかなとも思いました。その点、吉井監督をはじめとするチームのみんなには申し訳ない気持ちでいっぱいです。

 

 

 そんな気持ちを胸に、3年時には初めてチームを任されるようになりました。この年が個人的には1番成長したかなと思います。始動から1ヶ月で全社予選がありましたが、惜しくも予選敗退。その翌日から約1週間、和歌山遠征がありました。個人的に初めての遠征だったので楽しみが大きかったのですが、甘く見ていましたね。中島監督の鬼トレのせいかは分かりませんが、普段ケアにあまり来ない選手も私のところへ来て、ケアの人数が笑えないくらい多かったです(笑)。ただ、そんな頑張っている選手を間近で見ているからこそ妥協することなく、無事終えることが出来ました。また諸事情により、ワンオペ時代もありましたね(笑)。さすがに、これは1年持つかなとも思いましたが、いろんな人の支えもあり、数ヶ月でしたがなんとか乗りきることが出来ました。また、夏にはご縁があり国体チームにも帯同させていただき、良い経験をさせていただきました

 

 

 そしてラストの4年生。学生生活で初めて全国の舞台へ連れて行っていただきました。森本監督、選手、学生スタッフみんなのおかげです。予選から波乱万丈の展開が多く、なんとか勝ち取った全国の切符でしたね。微力ながらもサポートできたこと嬉しく思います。滋賀での全国の舞台では、強豪ばかりの中、選手は本当によく戦ってくれたと思います。結果は惜しくもPK戦の末、初戦敗退でした。試合終了とともに、悔し涙を流す勇敢な選手たちの光景は今でも忘れません。試合前から振っていた雨はせっかく止んだのですが、たくさんの涙でピッチが乾くことはありませんでした。試合後、「ごめんなさい、勝てませんでした」と涙ながらわざわざ自分に言いにきてくれる選手がいました。その選手は大会1週間前に怪我をしてしまい、この大会への出場が危うかった選手でした。その言葉を聞いた瞬間から涙が止まりませんでした。ただそれと同時に、私がサッカー現場でトレーナーをする意味、それが少しだけわかったような気がしました。

 

 

楽しいトレーナー生活でしたが、唯一大きな後悔あります。3年生の時、私は1人の選手を復帰させることができませんでした。夏ごろの怪我であり、当時4年生で部分合流中の選手でした。本人は自分のせいだと言ってましたが、これは私のせいだと思います治療方法は手術を選択するケースがほとんどの怪我であり、その選手も自ずと手術を選択しました。それは同時に、事実上の引退を意味しました。復帰の目安は、引退試合までにランニングができればという程度です。そのため、引退試合には間に合いません。突然途絶えたサッカー人生。競技へ復帰できないことがわかっている中でのリハビリは本当につらかったと思います。そして、誰もが引退試合で4年生の姿を見たかったと思います。本人にも、同期の4年生にも、チームにも迷惑をかけてしまい当に申し訳ない気持ちでした改めてトレーナーをすることの重大さに気づかされました。これが4年間唯一の後悔であったとともに、私を本気でトレーナーに駆り立てた1つのきっかけにもなりまし

 

 

4年間振り返ってみてトレーナーとして活動していると感謝されることが多いのですが、私たちは特別なことを行ってはおらず、選手の復帰に向けてのプロセスにほんの少し関わらせてもらっているだけです。直接的に治癒期間を早めたり、怪我を治したりするとはできません。そのため私たちができることは限られています。だからこそ、怪我をしたら誰よりも早く駆けつけますし、時に優しく、時に毅然とした態度で接することもあります。普段は学生同士の関係ですが、サッカーにおいては選手とスタッフという関係であり、こういった二面性が存在するのも事実です。だからこそ、怪我をした際は選手にとって1番の良き理解者となり、1つの居場所を作ってあげることが私たち学生トレーナーの使命なのかなと4年間振り返って思います。ただそこには、不変的かつ唯一無二の「信頼」が必要不可欠である事は変わりありません。

 


 

 長くなりましたが、永冨総監督をはじめとするコーチングスタッフの皆様、中京大学サッカー部で活動する機会をくださりありがとうございました。また、メディカル面では加藤先生・藤井先生・兵藤先生・浅野先生には本当にお世話になりました。そして、1年時には蓮くん、2年時には中村駿一‘大先輩‘をはじめとするトレーナーの先輩方、たくさんのご指導ありがとうございました。同期をはじめとする学生スタッフのみんな、散々僕のこと変人扱いしてたけどみんなも変人だからね。いろいろと楽しく過ごすことができました。ありがとう。そして選手の皆さん、舐めた後輩も多かったですが、トレーナーとしてはまだまだの自分と一緒に活動してくださり本当にありがとうございました。

 

 

また、皆さんと活動できる日を願って、自分も努力し続けます。

 

 

 最後に、地元九州から応援してくれている両親、ここまで育ててくれてありがとうございました。早く親孝行できるようにこれからも自分らしく頑張ります。

 

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。これからも中京大学体育会サッカー部をよろしくお願い致します