Page13 「摩訶不思議」 山口畝良
こんばんは!中京大学Topチームの山口畝良です。
これから私の摩訶不思議なサッカー人生についての振り返りと後輩へ伝えたいこと諸々を話していきたいと思います。
物凄く長く拙い文章になりますが読んでいただけたら幸いです。
中学生の時サッカー部に入りました。サッカーが好きだったのと好きで仲のいい先輩が多かったという理由でした。ここで私はポジションをGKに移行しました。これが私の最初のターニングポイントでした。この時GKになってて本当に良かったなと思います。GKの指導の勉強してくれて色んなたくさんの指導をしてくれた先生には感謝しかないです。指怪我してGK出来ないからといいFWとして公式戦に出たこと、懐かしいです。
高校は文武両道を目指し、愛知高校へ入学。他の高校からも推薦があった中、サッカーを続けるか迷い断りました。しかし、中学の先生や周りの人からの声もあり、サッカーを続けることを選択しました。結果ボールを蹴り続けることを選択してよかったと思いましたし、あの時そう言ってくれた人には本当に感謝しかないです。周りはみんな上手くて、1年生の時のキャプテンも抜群に上手くて凄く馴染むのに大変でした。仲はいいけど、ちゃんとモノを言い合える関係にあった高校の同期とのサッカーは本当に楽しかった。2年生から試合に出れたし、結果は着いてこなかったが、キーパーとして大きく成長出来ました。
私は大学でサッカーを続けるか迷っていました。サッカーをしている人はみんな1度は夢見る「プロサッカー選手」。正直なところ、心の中でプロサッカー選手になれる実力がないと思っていたからです。新しい夢に向かおうと考えていました。この時も高校のスタッフの人や色んな人がサッカーを続けるべきと説得してくれてました。そんな中、3年になる前に中京大学との練習試合がきっかけで、夏に中京大学のセレクションへ呼んでもらいました。それが引っかかり、中京大学全体でのスポーツ推薦がひと枠余ったこともあり、現総監督のトミさんと前GKコーチの海野さんが自分に声をかけてくれました。2人は実績のない何も持っていなかった自分に「プロサッカー選手になりたいならうちへ来い」と読んでくれました。東海1部の中京大学が愛知県3部愛知高校の自分に推薦を使ってくれるなんて前代未聞でした。私は、自分なんかがやれるのかという気持ちもありました。しかし、それ以上に自分の中で諦めて消えかけていた「プロサッカー選手」という夢への熱が再び燃え始めました。2回目のターニングポイントでした。そこから高校サッカーを引退してからは毎日のように中京大学の練習へ参加させてもらい、毎日ニ部練をする生活を送りました。
そして、大学へ入学。運がよく1年生からTopチームに所属することが出来ました。色んなことが重なり、Topチームの東海リーグ開幕戦は出場したりとイレギュラーはありましたが、Topでは試合に全く絡むことはありませんでした。吉井さんや海野さんがU20の方で使ってくれ、1年間試合に出続けさせてもらいました。足を引っ張ることばかりだったのにみんなが上手すぎるから、無敗でした。ありがとう。Iリーグは全国に出られませんでしたが、新人戦では全国を経験することが出来ました。新人戦の東海学園とのPK戦、PKストップを何本かして最後自分がPKを11人目で決めて勝った時は忘れられません。本当に嬉しかった。そして自分たちで掴んだ初めての全国も経験できた1年でした。
2年生は1年生の時よりは試合に絡めるようになりました。2年生も愛知選手権のタイトルを取れたり、開幕から試合に出たり、夏には総理大臣杯にも出ることが出来、初めてtopチームで全国を経験しました。しかし、ミスが多くて失点に絡むことばかりで出場機会を掴みきれませんでした。最後のインカレ。自分はベンチからベスト8まで勝ち上がるところを見ていました。先輩だけではなく、同期までが活躍していて、今までは試合に出られなくても仕方ないという気持ちでしたが、徐々に試合に出られなくて悔しい、もっと試合に出たいという気持ちになりました。
そして、3年生を迎える前の東海選抜。私は2年連続3番手で終わり、本戦に行くことは出来ませんでした。これが私の3回目のターニングポイント。
いいパフォーマンスは出来ていたからこそ、本線に行けなかったのが悔しかった。居残り組の練習。わたしは居残り組の同期と死に物狂いでTRに励むことにしました。私はここで再び「プロサッカー選手」になりたい。ということを感じました。本当にプロサッカー選手になるという強い「覚悟」が生まれたと思います。朝は筋トレから始まり、午前中はランメニュー、午後はボールを使ったトレーニングと、すごくきつい1日を過ごす日々でしたが、目標があるから・友に頑張る仲間がいるからこそ頑張れたし、本当に意味のある期間になったと思います。ここで、自分の今シーズンの目標を掲げ、選抜組が帰ってきたらもうポジションは自分のモノになるように取り組みました。結果、1年間で4試合以外の公式戦に出場することが出来ました。この時の4年生が上手すぎて頼もしすぎて、チーム目標の全国ベスト4は達成できませんでしたが、東海三冠、全国大会ベスト8といい成績を残すことが出来ました。自分も全国夏冬ともに出場し、1年間で1番試合に出たし、東海三冠、ベストイレブン受賞と目標を達成したシーズンでした。インカレの筑波との試合では、想像以上にいいパフォーマンスが出来て、負けてしまったが自分の記事ができたのは正直すごく嬉しかったです。是非見てください(笑)
4年生。この調子で行けばプロになれるかもいう気持ちが出てきた中、愛知選手権の3日前。私は練習で怪我をしました。正直、怪我もすぐ治るだろう、途中から試合に出られるだろうという甘い考えでした。大きな怪我ではなかったものの、2ヶ月ちょいの離脱を強いられました。大学に来てから大きな怪我もなくほぼ離脱してこなかった自分にとっては凄く苦しく難しい期間でした。怪我で離脱ということは、サッカーができない。つまり、自分が成長できない中で周りとの差がついていく。それが怖くて嫌でずっと離脱しませんでした。実際チームは愛知選手権優勝、リーグも順調で、天皇杯もJのチームと対戦が出来、凄く出だしのいい状態でした。その中自分はサッカーがやれない。何度も心が折れかけました。3年の時にプロになるという覚悟を決めたものの、試合に出られなければ意味は無いと思っていたし、チームが好調という中で不安と焦りが大きかった。更に復帰しても調子は戻らないし、今まで出来ていたことが出来ない悔しさやもどかしさ、本当に言葉にならない感情をずっと抱えたままでした。その時実は何度もテツさん、吉井さんに就活した方がいいのか、プロになれるのかという相談をしました。聞く度毎回2人とも、「就活を切ってプロになれ。プロになれるものは持ってる。」と言ってくれました。自分の中で再び覚悟が決まった時だったと思います。就活を退路として自ら断ち、プロ1本で取り組む。試合も出てない、調子も悪い中この判断をしたのは中々にギャンブルのようなものだったと思います。教育実習中も毎日大学へ来て、色んなカテゴリーのチームに参加させてもらい、テツさん、カナトに遅い時間までTRを手伝ってもらい教育実習中でしたが、調子を落とすことなく終えることが出来ました。そんな中、夏に複数のチームに練習参加をさせてもらえることになり、岐阜の内定が決まった時は死ぬほど嬉しかったと言うよりは驚きが勝ちました。立ちくらみもしたし、信じられないというのがほとんどでした。決まったことで心にもゆとりが出来たし、本当に一先ず一安心でしたというのが大きく、プレーも次第に戻っていくようになりました。逆にその反動で試合の日に体調を崩し、前代未聞のGK途中交代でチームが負けたことは今でも責任を感じてます。ごめんなさい。
後期からは試合にも復帰して10試合2失点、8試合連続クリーンシートは自分でもかなり嬉しかった。そのまま全国。迎えた東海大学との試合。一生忘れることは無いし、人生で1番最高で感動した試合になりました。後半15分+5分の前田寛太、まえかんの劇的同点弾のヘディング。僕のサッカー人生の中で1番最高で気持ちがある感動したゴール。最高だったまえかん!そしてPK戦。3本連続で止めた時のみんなの盛り上がっている姿と表情、歓声と応援は忘れられないし、今でも見返してしまいくらいです。ぜひYouTubeで見てください!(笑)
後輩へ
僕がこの4年間で学んだ大切なことは、「選択」と「覚悟」です。
みんなの選択が大切ということです。みんながその選択をどう捉えるかはみんな次第です。些細な選択の一つ一つがみんなの人生を変える選択になっていることを忘れないでください。
脚が痛いけど自主練をするのか、リカバリーするのか、何もせずに帰るのか。これも選択の1つです。
日常生活、サッカー生活には小さい選択から大きい選択が無数に紛れています。それを些細な選択として何となく選択するのか、大事な選択であると捉えて考えて選択するのか、全て自分の考え方だし、自分の責任になります。今この瞬間も、選択の上に立っています。そのチャンスを見逃さずに、しっかり考えた上での選択をして、後悔しない選択をして欲しいです。
そして、「覚悟」。プロになれるのは約0.2パーセントと言われています。大卒と考えると更に低くなると思われます。その規模の事に挑戦している、達成するにはそれ相応の覚悟が必要になると思います。サッカーに対する熱量や考え方が色々変わってくると思います。みんな本当に上手くて練習も試合も1番後ろから見てて楽しいし面白いです。あとは、そこに更に強くなりたいという気持ちが加わってくると大きく変わるのかなと思います。
最後にプライベートでも慕ってくれて、色んなあだ名で呼んでくれるみんなはいつまでも可愛い後輩です!特にタムとちひろには同じGKとして頑張って欲しい!みんな応援しています!またご飯でも行こう!
同期へ
本当に沢山迷惑をかけたと思います。あまりにも下手すぎて。それでもみんなのプレーや意識の高さ、サッカーへの熱や楽しむ心は自分に本当に大きな刺激になったし、自分の新しい基準になりました。サッカーを続けてきて、サッカーが上手くいかなくて嫌になったり、楽しくない時期もあったりしたがそれでもサッカーを辞めたいと思ったことは1度もなかったです。それはみんなからのナイスっていう声が些細な1mmの成長として実感出来てものすごく嬉しかったからです。本当に些細なことから褒めてくれるみんながいたから、死ぬほど楽しくサッカーすることが出来ました!そして、怪我のケアやいつもせらならやれるよ!と励ましてくれるゆきとにも感謝しきれないです!ありがとう!
またトップだけでなく、色んなカテゴリーの同期が仲良くしてくれて、おうえんしてる!とか言ってくれるだけでもものすごく力になりました!地元や高校のみんなも沢山応援してくれてありがとう!
癖の強すぎる問題児学年だったけど、本当に死ぬほど笑ったし、死ぬほど楽しかった!
場所は違えど、お互いに刺激し合える関係として頑張ろう!みんなと会えないのは寂しいので早く集まろうね!大好きです!また会いましょう!
スタッフへ
こんな何も無かった自分を中京へ呼んで下さりありがとうございました。
まだまだ足りないことは多いですが、ここまで成長させて下さりありがとうございました。
トミさん、吉井さん、テツさん、海野さんを初めとするスタッフの方には、人間性、サッカーのプレーや技術、考え方全てを変えてもらいました。
褒めてくれたり、時には厳しく、時には相談に乗ってくれて励ましてくれたスタッフの方には感謝しきれません。ありがとうございました。
中京大学を選んでよかったと心の底から思います。
そして加藤さんを初めとするとするメディカルスタッフの方にも本当にお世話になりました。特に今年は怪我も多く何度もケアをして下さり親身にやって貰えたおかげでのびのびとサッカーすることが出来ました!ありがとうございました!
プロの舞台での出場や活躍という形で恩返しをしていきたいと思っているので、応援よろしくお願いします!
家族へ
22年間ありがとうございました。
そして大学4年間不自由なくサッカーをやらせてくれてありがとう。すごく反抗的になったりもしたけど、食事や道具色んな部分で支えてもらいました。
最後の東海大学との試合で家族みんなにいい姿が見せられて良かったと思っています。
まだまだ迷惑をかけるとは思うけど、プロサッカー選手として活躍していい姿が見せられるように恩返ししていこうと思います。
これからもよろしくお願いします。
上手くまとめられず長くなってしまいましたがこれで終わりたいと思います。
最後に本当に多くの色んな人に支えられてこの4年間のみならず、サッカー人生を送ることが出来ました。3年や4年の僕しか知らない人はもしかしたらプロ行けるでしょというふうに思ってくれてるかもしれませんが、高校時代や1年生の頃の僕を知っている人なら、よーなれたなーと思うのが自然だと思います。僕もそう思います。けどそれくらい成長できたし、変わることが出来ました。そしてやっとスタートラインに立つことができました。ここからは更に厳しく困難なことが多く待ってるかもしれませんが、自分らしく乗り切って、下から這い上がって40歳を超えるまでプロを続けられるように成長していきたいと思います。活躍やサッカーを通じての恩返しができるように、これからの人生を楽しみながら頑張りたいとおもいます。本当にありがとうございました!
イェスイェスイェス