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Page15 「サッカー小僧」 有働夢叶

ココロノオト〜season3〜


こんにちは

トップチーム4年のどりこと、有働夢叶です。

ついに僕も引退ブログを書く時が来てしまいました。何を書くか悩んだのですが、4年間を振り返りつつ、みんなに伝えたいことを思いのままに書きたいと思います。

拙い文章かつ長文になってしまいましたが

是非読んでください。

 

サイドバックからフォワードになりプロサッカー選手になれた僕の大学4年間のサッカー生活を振り返ると、苦しい事や上手くいかない事も沢山ありましたがそれ以上に自分のサッカー人生において良い経験の方が多かったと思います。

1年生の時には、試合に絡めると思って自信満々に入学してきましたがそんな甘くはなく、トップチームの試合になかなか絡むことが出来ず、u-20の試合に出場するのがほとんどでした。

僕はユース出身でなければ、エリートな選手じゃなかったけど、中学、高校と自分より上手い選手の事を見て悔しい思いをして何度も這い上がってきた雑草魂は人一倍あったし、トップチームとu-20とのニ部練を毎日繰り返す日々で正直キツかったですが、自分の為になるという思いとプロになる為にここにきたという強い意志を捨てたことはありませんでした。

中京の誰よりもプロになるって言葉を口にしていたと思うし、そこへの気持ちもあったと言いきれます。すると1年生の夏頃に1つ転機がありました。それはポジションコンバートです。高校時代から右サイドバックでプレーしていた中で、右サイドハーフやインサイドハーフと前のポジションをやることが増えました。

2年生になってからはフォワードをする機会も増え、それが個人としてもチームとしてもフィットする事になり、中京の今の守備スタイルと言っても良い前線からのハイプレスを自分がいる事で実現出来ていたと思います。

そういった守備やチームのためにハードワークする事だけではダメだと思って、練習後には毎日シュート練習をし続けて、フォワードとして出るからには得点を奪わないといけない責任感と向き合うことで自分の形をある程度作ることが出来、ゴールやアシストという数字の結果も残せるようになりました。

1年間のリーグ戦や全国大会での活躍もあり僕は東海選抜に選ばれデンソーチャレンジカップに参加させてもらいました。

全国から選抜された選手の大会で大勢のスカウトが見に来る中、良いプレーをしようと思うのではなくいつも通りの自分のプレーを出してチームの為に闘うことを意識して、自分に自信を持ってプレーすることが出来ました。

東海選抜は結果2位という優勝こそ出来ませんでしたが良い結果を残すことが出来、個人としても通用することや課題が見つかり凄い良い経験でした。

するとデンソーチャレンジカップが終わり、大分トリニータからオファーが届いたとトミさんから聞かされました。

あの時の感情として、練習参加も呼ばれてないし、いつから自分を見に来てくれていたのかも分からなかったし、嬉しさももちろんありましたが驚きの方が大きかったのを覚えています。

まさか2年の終わりにオファーを貰えると思っていなかったし、どこでチャンスが回ってくるのか、その時にチャンスを掴むことが出来る運も大事なんだなと凄く痛感しました。

僕は、特別足が速かったり、フィジカルが強かったり、身体能力が高かったり、ドリブルが上手いとか異質な才能を持っている選手ではありません。

でも、チームの為に闘うことと走ることは誰よりもしていたし、自分に自信を持つことを常にしていました。そしてそれも武器なんだという事を証明出来たと思います。

2年間、間違いなくサッカーと向き合えていたし大学生になって自由な時間も増えるけど、自分は遊んだりする時間よりもサッカーの為に使える時間を増やしてきました。

その小さな努力の積み重ねがプロサッカー選手への道を開いてくれたんじゃないかと思います。

3年生になってからはチームの中心選手になっていかなければいけない存在であり、内定者として注目される存在になりました。

大分トリニータの練習に参加させてもらう事も増えプロの環境でしか感じれない事であったり、先輩の選手からアドバイスを貰えたりとオファーを頂いてからすぐに決めたメリットがありました。

ですが、中京でのリーグ戦でなにか周りの目を気にしてしまっていたり、違いを見せなきゃいけないという焦りなどがプレーに出てしまう事もありました。上手くいかない事が続く中で、大分のスカウトの人は頻繁に試合に足を運んでくれアドバイスをくれ自分のメンタルコンディションも保ってくれていたと思います。

3年生の時の1年間が結果を出すのにも1番苦労したけど、自分を見つめ直せる期間になりました。

4年生になり、大分の始動日から帯同させてもらうことが出来、3年生の時よりも通用することが増えていてフロントからも良い評価をしてもらっていました。特別指定選手と認定され、3月6日にルヴァンカップ北九州戦があり右サイドバックでスタメンで出場することが出来、プロとしてデビューをしました。

その試合では、延長戦含め120分間出場することが出来、試合の中で右サイドバック、右サイドハーフ、トップ下、左サイドハーフと4ポジションをこなすことが出来、自分のポリバレント性を存分に発揮することが出来ました。

それはコンバートを1年生から多く経験してきた僕にしか出来ない良さだし、どのポジションでも自分の武器を発揮すれば問題ないという自信があったからプロの舞台でもやるべき事を整理出来ていました。

そのルヴァンカップの評価もあり、3月10日の藤枝戦でJリーグデビューを飾りました。

大学での天皇杯予選、総理大臣杯に出るための東海トーナメントと大事な試合では中京に帰ってきて出場し、それが終わればすぐ大分に戻りJリーグに帯同するといった往復生活が始まりました。

飛行機での往復だったり、戻ってその週にはアウェーでの移動と感じたことの無い疲労感が残ったりもしましたが、こんな経験を大学4年生でさせてもらえているのは僕くらいなんじゃないかとポジティブマインドで捉え、Jリーグに出場させてもらえる嬉しさを噛み締めていました。

あっという間に時間もすぎ夏までで気づけばJリーグに12試合ほど出場させてもらっていました。

夏以降は中京のチーム状況もあったり自分が脳震盪になってしまったりと大分に帯同するタイミングを逃してしまい、中京での活動になりました。

その脳震盪になってしまって出れない期間のリーグ戦でまさかの3連敗してしまい、とにかく試合に出て貢献したかったし、皆の表情も暗くなっていき練習の雰囲気も死ぬほど悪かったのを覚えています。

その後、復帰してからチーム状況が悪かった中で迎えた総理大臣杯で流経、東国と関東相手に自分たちのサッカーを出来たけど、あと少しの差を感じた。そしてその差は届きそうで届かないすごく大きいものなんだと負けから学ぶことが出来ました。

日々の練習から皆で意識を変え、後期リーグでは無敗という結果を残し、今年からレギュレーションが変わったインカレプレーオフでは、延長後半ロスタイムにまえかんの劇的同点弾でPK戦へ。

そのPK戦ではせらが止めてくれてインカレの出場権を獲得出来ました。

インカレでは、総理大臣杯優勝チームの阪南大学に2-3の逆転負け、準優勝チームの新潟医療福祉大学に1-2の逆転負け、2年前のインカレ優勝チームの桐蔭横浜大学に1-2の逆転負けと3試合続けて逆転負けをしてしまい勝ちきれない弱さが見えたと思います。このインカレで味わった悔しさや、修正点を後輩たちは来年以降に繋げて欲しいと思いますし、もっと本気になって日頃の要求や質を変えなければならないと分かったと思います。

後輩のみんなの活躍で全国に中京の名を広めてくれるのを楽しみにしています!

夏の総理大臣杯と冬のインカレでは、個人として5試合中点を取れなかったのは1試合だけ、と元々大舞台に強い自分が後輩たちの目に少しでも逞しく写ってくれていたなら嬉しいですし、頼れる先輩になれていたか分からないけど、点を決めた時のみんなの笑顔は最高に嬉しかったです!

振り返りはこの辺にしときましょう。

もっと細かく書きたいですがどんどん溢れ出てくるので笑

 

沢山みんなに厳しいこと、嫌なことを言ってきたと思います。

一人一人に書きたいけど特に言いたいことがある3人の後輩に、この場を借りて書かせてもらいます。

夏以降から2トップ組んでたジャンボ、

夏まで2トップ組んでたかずま、

メンタルコントロール出来ないわがままの健一、

ジャンボは、前線からハメに行く時に何回言っても間切れてなかったし、クロスの横パス強すぎるし、ワンツーの落としも強いし凄くイライラさせられたけど、そのフィジカルは全国トップクラスです。素直に羨ましかったし、2トップ組んでて俺を活かしてくれてたと思います。

もっとエゴを出して頼れるエースストライカーになる事を期待してるよ。

桐蔭横浜戦の負傷交代での悔し涙を忘れんと、

90分間走り切れる体作りをしてください。

かずまは、試合中2人でヘラヘラしてても怒られるのはかずまだけ、決定機外しても怒られるのはかずまだけ、前プレもフラフラ行って怒られてるし俺が怒るよりも吉井さんに怒られてたけどそんだけ期待されてるし、俺もしてる。

十八番の切り返しからのシュートをもっと磨いて、ジャンボと最強の2トップになってください。かずまが最後負けて泣いてるのを見て、出れない悔しい時期もあったけど最後同じピッチに立ててホンマに良かった。

賢一は、後輩の中で1番ぶつかり合えたと思います。お互い要求しあって、時には言い合ったり、一方的に怒ったり、思い返せん程思い入れがあるけど、最後の試合まで一緒に戦いたかった。

めちゃくちゃ悔しい思いをした分、弱い自分を受け入れて、天狗にならず健一らしくがむしゃらにサッカー楽しめよ!

健一より凄いパスを清さん(清武選手)から受けれるように俺も頑張ります。

 

プロサッカー選手を目指してる後輩たちへ

上手くいかない時こそサッカーに向き合い、

何事にもチャレンジしていく姿勢を忘れず、

誰よりも影で努力することが1番大事だと思います。

いつどこで来るか分からないチャンスを掴めるかどうかの運やタイミングもあると思うけど、やり続けた結果がそこに繋がると僕が少しかもしれないけど示せたと思ってます。

こんな僕でもプロになれました!

努力しているとか、プロになりたいとか、口にするのは簡単です。

サッカー選手は結果が全ての世界。

結果で示して周りを黙らしてください。

サッカーの為に時間を使うか、遊びに時間を使うか迷ったら迷わずサッカーに時間を使える人にならないと皆の夢であるプロサッカー選手への道は遠いです。

サッカーを始めてから皆が絶対に思ったことのある「プロサッカー選手になりたい」っていう感情をもう1回思い出して、サッカーが大好きなサッカー小僧であって欲しいです。

そしてみんなとプロの舞台で試合出来ることを楽しみにしていますし、僕もプロのピッチで活躍出来るように頑張ります。

 

同期のみんなへ

4年間お疲れ様

皆と同期だったからこそ乗り越えれた日々があり、問題児の学年やったけど最後までサッカーが大好きな学年で最高でした!

そんな学年を、このチームをまとめてくれてたキャプテンのたいきには頭が上がりません

チームのためにありがとう。

それぞれの場所でお互いに刺激を与えられるように頑張りましょう。

そして年末には絶対集まって、思い出話で笑い合いましょう。

 

スタッフの方々へ

中京大学に来て、本職がどこか分からない程沢山のポジションを経験させてもらいました。

フォワード、トップ下、両サイドハーフ、インサイドハーフ、アンカー、両サイドバックと、、、ほぼ全部ですね笑

そこから自分の良さを引き出してくれ、最後の最後まで信用してピッチに立たせていただきありがとうございました。

吉井さんにはu-20の時からお世話になり、高い要求をし続けてくれ、トミさんはストライカーじゃなかった僕をストライカーっぽくなるまで沢山アドバイスをしてくれました。テツさんは僕が凄くイジってしまったけど、雰囲気をよくする対応をしていただきありがとうございました。

もっと感謝を伝えたいことはありますが、プロの世界での活躍で恩返しをしようと思います。

本当にお世話になりました!

 

最後になりましたが、両親へ

何不自由なく大学サッカーもさせてくれ、どんな時も支えてくれ、応援してくれてありがとう。

これからもっと成長する姿を見てもらえるようプロの世界はそう甘くないけど夢叶らしく頑張ります!

 

素晴らしいスタッフの方の元で、最高の仲間達と出会いサッカー出来たことが大きな財産となり、沢山の方の支えがあって僕のサッカー人生への道を開いてくれました。

僕は中京大学に来て良かったと言い切れるし、

中京大学のことがホンマに大好きです!

最高の大学4年間をありがとうございました!

 

有働夢叶