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Page18 「波瀾万丈」 永井友也

ココロノオト〜season3〜


まずは引退ブログ期限内に提出できず大変も申し訳ございません。

このだらしなさ自分の4年間を表すようで嫌ですが、長いサッカー人生を終えたということで思うままに書いていきたいと思います。そして、まえかん、指名してくれてありがとう。時間がある方は読んでいってくれたら幸いです。

高校3年生時コロナ禍でなかなか、大学が決まらない僕に推薦をくださったのが中京大学でした。高いレベルでサッカーを行う環境、自分自身初めての一人暮らしといった、様々な経験が出来たのは中京大学に入学できたからだと思います。自分を拾ってくれた吉井さんには感謝しかありません。ありがとうございます。

後に、自分自身でよい環境を壊し、吉井さんへの恩を仇で返すことになります。

サッカー部の皆さんは知っていると思いますが僕は多くのチームを渡り歩いてきました。1年次U20、TOP 2年CFC 3年CFC 4年22B、TOP

はっきり言って意味の分からないチーム移動ですがすべて自分で招いたことです。

今思えば自分が一番輝いていたのは1年生のころだったと思います。1年生の頃は基本的にU20で活動をしていましたがIリーグでの活躍を認めていただき総理大臣杯に出場させて頂きました。2試合とも途中出場し、1ゴール1アシストと数字で結果を残すこともできました。この時の自分はすごく調子に乗っていたと思います。

ここから僕の大学サッカー人生はどんどん転落していきます。

1年終了間際に僕は問題を起こし、チーム全体に多大なる迷惑をかけしばらくサッカーが出来ない期間がありました。期間は半年ほどです。

幸い退部は免れたものの、半年もサッカーを出来なかったという事実は選手として、ライバルに比べて非常に遅れを取っていると思っていました。

復帰したときにはすでにシーズンが始まっていて、CFCのけんと君の下でサッカーすることになりました。

自分を捨てずに部活に残してくれたという感謝、またサッカーができる楽しさ、幸せを感じながら死に物狂いでサッカーと向き合わなければならなかったのですが、必死に取り組んだのは最初だけでした。自分自身が原因で現状のチームにいることを忘れ、気に入らないことがあれば味方に強く発言したり、ベクトルが自分に向いていなかったと思います。動き出してもボールが出てこなければ、「なんで出さへんねん」と何度もフラストレーションをため込み、ついには背後を取ることが少なくなってしまいました。FWとしてあり得ない行為だし、精神的にもガキ過ぎたんだなと思います。なぜ謙虚にひたむきにプレーできなかったのかと今でも後悔しています。

そのようなプレーではもちろん、再びTOPチームに戻れるわけもなく、3年でもCFCでプレーすることになります。このあたりから完全に以前のように強く要求することもなくなり、それなりにプレー出来たらいいやというような思いでプレーしていたと思います。練習にギリギリ行くことや、遅刻があったこともありました。

なんのためにサッカーをしているのかと自問自答することがありましたが、「プロになるためにやっているんだ」と思えるほど自分の取り組み方や現状はよくなく、いつしかプロになりたいからサッカーをしているのではなく、楽しいからサッカーをやっていると自身に言い聞かせていました。その方が楽だったからです。それが理由でサッカーをしていると考えると、現状にも不満がなくなるし何よりも気が楽でした。

そして口に出してプロになるということが恥ずかしくなりました。大学のTOPチームにいない人間がプロになれるわけないと、自分で思い込んでいました。

完全に腐っていたと思います。なぜすべての時間をサッカーに費やして取り組まなかったのかと思うばかりです。

ドリやたいせいのようにプロ入りが決まっている選手もいました。高校の頃の友人もプロ入りを決めていく中で、周りのいいニュースを聞いたときは本当に嬉しかったのと同時に自分の不甲斐なさも痛感していました。「もっと頑張れと」「這い上がれ」と思いつつも必死に取り組むことが出来ませんでした。

4年生では22Bで活動することになりました。その時に富さんに「なんでこのチームかわかるよな。死ぬ気でプレーしろ。」と声をかけていただきました。

後日には「お前の入学方法は」と聞かれ、「推薦です」と答えたのですが「なんで推薦がこのチームにいるんだ、死ぬ気でプレーしろ」とまた声をかけていただきました。

正直言って嬉しいという感情があったのを今でも覚えています。ここまで腐った自分に声をかけてもらえとこと、周りの選手よりも厳しくしていただいたのも嬉しかったです。


22Bでプレーすることに激怒した人間がいます。

父親です。ラインで「死に物狂いでやって、少しでも上のチームにいけ」と叱りの言葉を受けました。母親からも「あんたが22Bでサッカーするって知って元気がない」と伝えられた時は申し訳なさでいっぱいでした。

多額の費用を出してもらい、一人暮らしまでさせてもらいながら、ラスト1年がこのような形だと親は怒りますよね。

遅すぎますが富さんからの言葉や、親からの言葉でもう一度必死に取り組もうと思いました。

Iリーグでの得点王、アシスト王すべての受賞を総なめにするんだと本気で思っていました。結果は2つとも達成することは出来ませんでしたが目標を立て必死に取り組んだことは自分にとって成長に繋がったと思います。

22Bではなかなか、勝利することが出来ず苦しい期間が長かったです。

それでも腐らずにチーム皆でミーティングを重ねたりと、勝利のために試行錯誤しました。そんな中迎えたのが22Aとのダービー戦です。

22Aとのダービー戦この試合だけは絶対に負けたくないという強い思いがありました。

多くの人たちが応援に駆けつけてくれて試合は大盛り上がりでした。

結果は無事4ー3で勝つことができ、自分自身としても3アシストと結果を残すことができました。試合後に吉井さんから「やっと地に足つけてサッカーするようになったな。トップでやるか。」と声をかけていただきました。

最初は何を言っているのかあまり理解できませんでしたが、とても嬉しかったのを今でも覚えています。

そこからは、2年間自分を甘やかしていたということもあり、TOPの中でプレーすることはとてもしんどかったです。毎日吐きそうになるくらい辛かったですし、熱中症で倒れることもありました。笑 もちろん求められるものも高くなり、必死にプレーしていました。

同期の選手が走れるようになっていて、練習中走り負けすることなど、自分がどれだけサボっていたのかということを痛感する日々でした。

周りに追いつくために必死で努力しましたが、公式戦に絡むことはできませんでした。

インカレで桐蔭横浜に負けた瞬間、引退なんだと思い、正直ダサい引退だなと思ってしまいました。腐らずに真剣にやるべきことに取り組んでいたら結果は違ったのかな、本当にこれで良かったのかなと様々な感情がありましたが、ラスト1年しっかりとサッカーと向き合おうと思った結果が、TOPチームに戻って来れたんじゃないかなとも思います。そしてスタッフの方々が僕を見捨てずに気にかけてくれていたんだなとも思い、問題を起こした時、サッカーが楽しくない時など辛い期間はありましたが、サッカーを辞めなくて良かった。4年間やり続けて良かったと心の底から思えました。必ずプロになると言い聞かせながらやってきたサッカーですが、夢は叶いませんでした。しかし、18年間のサッカー人生で得られた物は一生の宝物であり財産ではないかなと思っています。この先は社会人として一般企業に入社し働きますが、どんなことでも乗り越えれる気がします。社会人は確定で2オフがあるので余裕だと思っています笑 

サッカーで学んだことや、得られた精神的な強さなどを最大限に活かして環境は異なりますが、次のステージでも頑張っていきたいと思います。


後輩の皆さん、僕のように後悔しないで欲しいなと思っています。とは言いつつも最後に後悔はありませんと言いながら引退する選手は数少ないです。あの時こうしてれば、もっと自主練していればなど、考えれば次々に出てくるのが後悔です。

なるべくその後悔が少なく、自分自身の4年間を誇って胸を張って卒業できるよう頑張ってください! そしてどんな環境であっても必ず自分が目指すものを目指しながらサッカーしてください!

それが達成できても達成できなくてもそのプロセスは必ず今後に活きると思ってます。

大学はサッカー以外にも楽しいことがたくさんあります。高校よりも圧倒的に暇な時間が長いからです。楽しいことをするなとは思いませんがその時間をどれだけサッカーに費やすことが出来るのかで自分自身の結果は変わってくると思います。

結果論ではありますが実際にそのような時間を削ってる人たちがプロという道を掴んでます。

ただ飲み会も大事です。

絶対に悔いのないようサッカーも学生生活も楽しんでください!!

応援してます!!


吉井さん

迷惑ばかりかけて大変申し訳ございませんでした。1年生の頃から気にかけてくれて本当に嬉しかったです。問題を起こしサッカーができなかったとき、全カテゴリーの練習が終わった後、僕たちにつきっきりでトレーニングしていただき本当にありがとうございました。

これだけ可愛がってもらったにも関わらず最後のトップチームでのチャンスを掴むことができなかったことは心残りです。

これからの中京大学の活躍期待してますので頑張ってください!ありがとうございました。



富さん

1年時から厳しく指導していただき本当にありがとうございました。

4年目で一番下のカテゴリになってしまいましたが、富さんが担当監督で、誰よりも厳しく指導していただいたおかげで真剣に本気でサッカーに取り組むことができました。

永井と呼ばれるたびにビクビクしていましたが、それがなくなってからは何か寂しい日々です笑

最近優しくなってきているので、常に尖ってる富さんでいてください!


てつさん

キーパーコーチであまり関わりはありませんでしたが、臨時でキーパーに入っていただいた時には適切なアドバイスありがとうございました。

その明るさとキャラの良さで今後も選手と良好な関係を築いていってください!

応援してます!



けんとくん

4年間の多くの時間、けんとくんにお世話になりました。死ぬほど走ったのもいい思い出です。

大学ではそんなにフィジカルはないと考えていた、自分の考えをひっくり返してきたのがけんとくんです笑

どうしようもない問題児だったにも関わらず、可愛がっていただき本当にありがとうございました!社会人で戦うことがあれば、どうかお手柔らかにお願いします笑



同期のみんなへ

たくさん迷惑かけてごめん笑

でもみんながしんどい時とかに励ましてくれたから、頑張ること出来ました。

ドリは常にポジティブ思考で意識高い言葉投げかげてくれたし、まえかんとか、しつこいくらいラストやから頑張ろうやって声かけてくれたし、他にもいろんな人たちが支えてくれたおかげでこれだけ頑張れたと思ってます。

プロ行く人、jflでやる人、普通に働く人色々おると思うけど自分の置かれた環境で、今までやってきたこと活かして活躍できるように頑張ろ!

4年間本当にありがとう!!


それと僕含めて全然ブログ書いてないので、ここからまえかんにやってもらったように指名していきたいと思います。

次の引退ブログは、、、、、、、、、、、

美濃祥真くんお願いします!!

一緒に2トップ組んでてトップに上がり共にやらかした美濃くんにぜひ書いてもらいたいです。

言われないと絶対に書かないタイプだと思ったので指名しました。

お願いします!



最後になりましたが親への感謝を書こうと思います。


2人とも4歳から22歳までサッカーを続けさせてくれてありがとう。

口癖のようにプロになると言ってきた気も関わらずプロになれなくてごめん。

でも、サッカーを通して、人間関係、礼儀、多くのことを学ぶことができました。

サッカーのおかげで人として成長することができたと思ってます。

朝早くのお弁当や、夜遅くの送り迎えなど、言い出すとキリがないくらい多くのことをしてもらい、本当にありがとう。

改めて自分の親は凄いんだなと思います。

自分に子供ができればこれと同じくらい素晴らしいサポートをしながら、やりたいことをやらさせてあげたいです。

18年間たくさん支えてくれて本当にありがとう。






とてつもなく長く書いてしまい申し訳ございません。想いが溢れてきてついつい書いてしまいました。ここまで読んでいただき本当にありがとうございました。ここで永井友也の引退ブログを終わろうと思います。