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Page5 「去るときにどう思われるか」 徳永堅史

ココロノオト~seazon4~

 こんにちは。中京大学サッカー部U22B所属の徳永堅史です。このブログは支えてくれた親や友人をはじめ、サッカーで共に過ごした同期、先輩、後輩、監督・コーチへの感謝や競技を終えた今だからこそ伝えたい言葉を書くので一人でも多くの人に読んでもらえると嬉しいです。

「It’s not so important what people think when you come in. It’s much more important what people think when you leave. (来た時どう思われるかは重要ではない。重要なのは‘‘去る時にどう思われるか“。) Jürgen Norbert Klopp, 2015」

 このブログのタイトルはドイツの名将クロップ監督がリヴァプールの就任会見から引っ張ってきたものです。僕は人の言葉にすごく影響されやすい人間だと思います。小説や漫画、アニメ、今もなお活躍されている方、活躍されていた方などには名言や名シーンというのは非常に多く転がっています。僕自身このブログを書くにあたって、一個人では納得するものにならないと思い使わせていただきました。

 自分自身のサッカー人生を振り返ってみて、自分は何がきっかけで、何を目指していて、どうして続けているのか、そしてどう思われたいのかを考えてみました。実は、このブログを書く前にもこのことを考える機会があり、それは就活の面接対策でした。特に優れた実績や経歴を持ち合わせていない自分は、当たり前のようにサッカーを続けてきたことを話すほかありませんでした。

 そこでまずはじめに考えたのはサッカーを始めたきっかけでした。あまり断片的な記憶しかないのではっきりとはわからないのですが、サッカーでいいプレーをすると喜んでくれる親、応援してくれる友達の存在だったと思います。困窮している親を救うためみたいな素晴らしい目的とは違い、「褒めてもらいたい。認めてもらいたい。」というようなつまらない理由だったと思います。

 そして次に考えたのはサッカーを通じて何を目指していたのかです。サッカーを幼い頃から続けている人の大半がそうであるようにもちろん自分もプロを目指していました。しかし、プロというのはほんの一握りの人たちであり、全国大会に出ることですら非常に難しいものです。当時の僕は気管支が弱く夜に何度も親が病院に連れて行ってもらうなどサッカー向きではないように感じます。しかし、そんな状態であろうともプロを目指していた自分は今の自分から見ても馬鹿だとは思うのですが、同時にその時が自分の可能性を一番信じていたのかもしれないとも思います。僕がサッカーでプロを「無理だ」とうすうす感じ始めたのはおそらく中学生に上がるタイミングだと思います。

 ではなぜサッカーを続けていたのか、それはおそらくサッカーを自分から取り上げると何も残らないと考えたからだと思います。今までサッカーしかしてこなかった自分にとってサッカーをすることは、サッカー以外をしないための免罪符だったのだと思います。サッカーが忙しいから、サッカーをして疲れたからと言いつつ、心のどこかではサッカーのない自分を恐れていたのだと思います。ある意味サッカーを心から頑張っていた小学生の時と同じように‘‘人からどう思われるのか“という点では変わってなかったのだと思います。

 ところでこれを読んでいる皆様はワンピースという漫画はご存じでしょうか。日本を代表するアニメといっても差し支えないほど知れ渡っているものだと思います。もちろんこの素晴らしいストーリーにはたくさんの名言がありますが、僕は特にこの中に登場するDr.ヒルルクの名言が残っています。今回はブログということもあり人物の詳細は割愛させていただきますがこの人の名言に「人はいつ死ぬと思う~人に忘れられた時さ(~の部分は省略)」というものがあります。いきなりアニメの話をして困惑されている方もいらっしゃるとは思いますが、ご紹介させていただいたほうがこれからのお話が伝わりやすいと思いました。

 僕にとって一番の幸せが何か、それは「人の記憶に残ること」だと思います。歴史の教科書に載っている人のように後世に語り継がれるほどの人にはなれませんが、僕と関わった人たちにインタビューしたとするなら「あいつはこんな奴だった」とだけでも覚えていてもらえているだけでもものすごく価値があり、それこそがその人の中で僕が生きていた証明になるのではないでしょうか。

 中京大学サッカー部というプロを出すような組織に、サッカーという点においてほぼ無名といっても過言でない高校の僕は入った時にどう思われたのか、考える必要もないと思います。僕はこの4年間を通じていろいろな愛称をつけてもらいました。「ゼブけん・電柱・軽トラ」などと呼んだり、挙句の果てには呼び捨てにする後輩までいました。その時は、照れ隠しで「俺先輩やぞ」とか言っていましたが心の中ではそんな後輩たちがすごく好きで、助けられてきたのだと思います。それは同期や先輩方が僕に対して気さくに関わってくれたのが大きいと思います。愛称はあればあるだけいいと思います。それはそれだけ特徴があるということの裏返しだと思います。引退した後にもらった手紙にはキャラや愛称を受け継いでくれるなんて言ってくれた後輩たちがいます。それだけで僕がこの4年間サッカーをやってきた意味があります。

 最後に今までサッカーを共にしてくれた先輩、後輩、同期、監督やコーチ、サッカー以外でも関わってくれた友達、そして両親に感謝の言葉を伝えてようやくこのブログを終わらせていただこうと思います。

 サッカー以外で関わってくれた友達にはとても助けられました。サッカーしか取り柄のない自分にとってサッカーをしていない時間が楽しく感じられたのはこの友達のおかげだと思います。ありがとうございました。

 サッカーを通して関わってくれた人たちにとって僕はどんな存在でしたでしょうか。先輩や監督、コーチにとって自分はすごい手のかかる選手だったかもしれません。なかなか教えたことを身に着けず、怒ったらすぐ落ち込んで、期待して使ってみても思ったような成果を上げられなかったのがほとんどだと思います。後輩たちには威厳があるような先輩でもなければ、面白い先輩でもなくご飯にもあまり連れていけるような先輩じゃないのにも関わらず仲良くしてくれました。そして、同期には何より迷惑を掛けました。ミスしても励ましてくれて、怒られた後には愚痴を聞いてくれ、サッカーをする上でなによりもかけがえのない存在であったように思います。ありがとうございました。

 最後の家族への感謝なのですが、これに関してはこれから先も感謝し続けることになりますし、頼ることのほうが圧倒的に多いように感じます。でもやはり、ここまで好きなサッカーを続けてこれて、数えきれないほどの思い出を作れたのは本当に感謝してて、この家族として生きられて本当に幸せです。家事や送迎、何より自分以上にサッカーをしている自分に期待してくれて、自分の活躍は自分以上に喜んでくれて、自分が落ち込んだ時は自分より辛そうな顔をしてくれるそんな両親、兄弟、祖父母、いとこを持っている自分は誰よりも恵まれていると思います。ありがとうございました。

 僕のブログはいかがでしたでしょうか。長いし、カッコつけてるという感想がほとんどだとは思いますが、実はまだまだ伝えたい言葉はたくさんあります。そういったものをこれから先の人生を通して返していけたらと思います。これから先もどこかを去るようなことがあると思います。会社を退職するときもそうですし、最終的にはこの世を去ることになります。その時に自分は‘‘どう思われていたいのか“皆様もぜひ考えてみてはいかがでしょうか。それでは以上でブログを終わらせていただきたいと思います。長くつたない文章ではありましたが最後まで読んでいただきありがとうございました。以上、徳永堅史でした。