Page3 「感謝の4年間」 古田大也

こんにちは!U22Aの古田大也です。
9月21日に行われたU22BとのIリーグの一戦後、シーズン終了とともにサッカー部を引退しました。普段は自分の思っていることを口にするのは得意ではないタイプですが、今日くらいは最後なのでサッカー部での4年間を振り返り、自分の素直な思いとお世話になった方々への感謝などを書けたらなと思います。何を言ってんだと思うこともあるかもしれませんが、最後までお付き合いいただけると幸いです。
それではスタート!
正直すべての年代で色々なことを書きたいけれど、長くなってしまうし、大学サッカー引退ブログなので手短に行きます。
小学生
地元の船橋KSCという少年団に所属していた。その中ではそれなりにうまかった方だったと思うし、上の学年の試合にもよばれていたし、船橋市のトレセンのメンバーには選ばれていたから色々な経験をすることができた。
船橋FC(6年生の船橋市選抜16人)に入ることができなくて、サッカー人生で初めて挫折を味わった。
中学生
小学校の同じクラスの友達に誘われて隣の市のアインスに入団した。1年生ではあんまり試合に絡めなかったけれど、2年生になってようやく試合にスタメンで出られるようになった。その中で、腰を疲労骨折し、長期離脱した。3年生になってからは、途中出場がメインになり、悔しい思いをしたし、関東大会もあと1歩のところで逃し悔しい思いをした。
高校
専修大学松戸高校に進学した。ここでは、サッカーの楽しさや技術を追求し、創造性を養うことを学んだ。ほとんど毎日朝練して、午後も練習してがむしゃらに頑張ったけど、トップチームの選手にはなれず、最後の選手権のベスト4で流経柏に勝ちかけて歴史を塗り替えかけた一戦はもちろんスタンドだった。悔しい思いばっかりだったけど、サッカーをより好きになった3年間だった。
もっと書きたいことは山ほどあるけれど、こんな感じです。
大学までの育成年代でお世話になった指導者の方々本当にありがとうございました。
またご挨拶させてください。
そして仲間のみんなも本当にありがとう!ちょっと今は離れた場所にいるけれど、たまには連絡ください!
そして、いろいろ進路に迷い、中京大学に入学した。
大学を決める中で、サッカーを部活で続けられるところというのは大事にしていたので、サッカー部には迷いなく入部した。
練習初日からいきなり挫折したのを今でも覚えている。
参加したカテゴリーはU20で、みんなが知っているような高校やユースの練習着を着ている人ばかりだった。
初めのボール回しからボールをロストしまくり、ゲームでも全く自分の思ったプレーが出来なかった。正確には覚えていないけど、その後2回くらいはU20で練習したけど、あっという間に落とされた。
その後はU22Aに行くことになった。U22Aでも、流石に残れるだろうなとか思っていたけど、余裕でほぼ何もできずに2日間くらい練習して落とされた。
ここら辺で大学サッカー1週間目が終わったけど、「本当にやっていけんの?」という自分に対する呆れなのか、焦りなのかよくわからない感情だった。
その後は、U22Bに行った。このカテゴリーで大学サッカー1年目を過ごすことになる。
ここでは、4年間特に仲良くすることになるメンバーに出会う。
練習では毎回なんかすべらない話を持ってくる「かなた」
毎回月末には貯金が底尽きる「ダニ」
選手会長で中京のバリスタ「りょーた」
ミニストップのアイス食いまくった仲の「すが」
唯一4年間一緒のカテゴリーの地元ではいじめっ子の「とあ」
浪人して俺らよりは1つ年を重ねている中京の大ベテランでディフェンスリーダーセンターバック顔の「02達也」
いつもしましまの練習着を着用してトレーニングに励む「けんし」
暇さえあれば空き教室でオンライン英会話する「だいこく」
ここで挙げた以外のみんなと仲が良くてみんな最高だった!途中で辞めたやつもいるけど、もちろん最高の仲間だった!
サッカーでは、カテゴリーのピラミッドの中では、1番下のカテゴリーだったし、どんなにひどくても失うものは無いと思い、サッカーを1番に楽しんだ。それでも、ただ楽しむだけでは納得がいかなかったし、試合にも勝ちたかったし、攻めまくってゴールも決めたかった。
ありがたいことに、シーズンの初戦から試合にかかわらせてもらい、毎週スタメンか途中出場かで試合に出してもらうことができた。正確には覚えていないけど、シーズンで5.6点くらい決めた。
中でも最も印象に残っているゲームは、U20とのダービー戦である。自分の同期が中心のチームで数か月前には必要ないと落とされたチームだったので絶対に勝って見返してやりたかった。結果は1-3で敗戦し、自分は1点決めたけどそれ以外にいつも通りプレーできた場面はなかった。ずっと攻められてばっかりで、こんなに違うのかと現実を突き付けられた。
その後は、何とか勝ち点を取りながらギリギリ1部の残留を決めた。
このシーズンのことを考えると、ただ調子に乗っていたなと思う。毎試合不動のスタメンみたいな感じではないのに、自分を勝手にそんな感じだと思ってしまっていた。明らかに謙虚さが足りなかった。あの時の自分は本当にダサかった。もっと考えろよって言ってやりたいくらいだ。良かったのは、毎日サッカーするのが1番の楽しみで、サッカーを楽しんでいたことくらいである。
シーズンが終了し、4年生が引退するとU22Aに行くことになった。止めて蹴るが下手すぎてめちゃめちゃに怒られた。そんなのにもかかわらず、「あなたの動き出しは魅力的だと思った。」と当時の監督にお褒めの言葉を頂き、4年生が引退し、多くの3年生が就活で抜けることが多くなった新生U22Aではスタメンだった。特に大したこともできていないのに、ダサい自分のまま大学1シーズン目は終了した。
大学サッカー2シーズン目は、U22Aに所属することになった。22Aの仲間のみんなへの想いは最後に書くので先にサッカーの話をします。
就活が落ち着いた3年生も帰ってきて、上のカテゴリーから落ちてきた人もいて一気にレベルが上がったと感じた。去年の成績を超えてやろうとか意気込んでいたけど、2、3日くらいで余裕で心をへし折られた。本当に何もやらせてもらえなかった。
Iリーグが開幕してもほぼメンバー外の日々が続いた。連戦が続いてチームはターンオーバーをする中でもメンバー外だった。自分以外の同期は試合に絡んでいたし、22Bの同期も試合に絡み始めていて、同期の中では明らかに後れを取っていたので、とにかく焦りしかなかった。
何とかしよう何とかしようで毎日練習が終わってから自主練もしたし、苦手だった筋トレも頑張った。必死だったけど何が足りていないかあんまり考えていない自分には、何も残らなかった。
毎日の練習でうまくいくはずもなく、完全に足を引っ張ってしまっていて、「自分が活躍してチームを勝たせよう」という気持ちが「チームに迷惑をかけたくない」という気持ちに変わっていった。
元々チームを鼓舞するのは得意だったけど、自分が出られない悔しさなどが空回りして1人で馬鹿みたいにチームを盛り上げるなど複雑な感情を隠すのに必死だった。
練習でも仲間に文句を言われ、正直サッカーを楽しめていなかった。というか、楽しくなかった。仲間に文句言われるのが怖くて、ボールを奪われるのが怖くて、負けるのが怖くて、体に力が入りまくって有り得ないミスも増えた。サッカーを辞めたら気が楽になるとは思っていたけど、こんなんでサッカーを辞めて後悔しないはずがなかったし、入学前の自分の決意を曲げたくもなかったので、必ずうまくいく時が来ると信じて毎日全力でプレーした。
2年生の夏休みあたりからは、少しずつ考え始めた。でもなんか自分の「考える」は違った。1つのミスに対して、改善策を探すのが一般的であると思うが、自分の考えるは、それをしていないわけではないけど、何でそれができないのか自分を責めるようになっていた。ずっと自分のミスプレーばっかり考えていて寝られずに、そのまま朝練に行くこともあった。夏休みが終わって授業の時もバイトの時もなんか自分のミスプレーが頭から離れなくて、似たような局面が練習で来ると、せっかくいろいろイメージしていても過去のミスプレーが頭をよぎり、一気に真っ白になってミスを繰り返した。
その時に、高校の先生によく言われていた「頑張っているフリ」とはこのようなことを言うのかもしれないと気づいた。
こんな状況では、試合に出られるわけはなく、U20とのダービー戦で最後10分くらい出してもらったけれど、それ以外は全く試合に絡めずに終わった。チームも全国には行けず、中位でシーズンが終わった。
海人君へ
自分を気にかけてくださり、個別にアドバイスをいただいたこともあったのに結果という形で貢献できなかったのが引退した今でも心残りですが、1年間最後までご指導いただきありがとうございました。また、ごはん連れてってください!
正直落とされるかなとか思っていたけど、3年目もU22Aだった。監督も海人君から森さんに代わった。
3年生にもなるし、後輩も増え今年こそは鼓舞する面でもプレー面でもチームを引っ張っていこうと思っていたが、シーズンが始まってすぐに左膝内側側副靭帯を怪我し、3か月くらいプレーすることができなくなった。悔しかったけど、膝は痛かったのでとてもじゃないけど無理してプレーできる状況ではなく、切り替えて体づくりをした。また、外からサッカーを見る機会も増えたので復帰した時のイメージができて悪くない期間であったと思う。
Iリーグが始まる直前で復帰した。復帰した時の感覚は悪くなくて、サッカーが楽しかった。
だけど、ミスを引きずる癖は改善されず、どんどん体に力が入っていって、2年生の時と同じような状況になっていってしまった。
先輩に文句を言われまくった。しかし、先輩たちの気持ちになってみれば、多くの先輩方が今年でサッカー人生を終えるのに、後輩に練習や試合を崩されていたらムカつくし、文句を言うのも当然のことだった。
サッカー以外のところでも仲良くしてくれることが多い先輩たちだったので、いい思いを何とかしてもらいたくて頑張ったけど、前期に上位リーグから降格し、中位リーグに所属することになり、最後には昇格を決めることができたけど、全国大会とは程遠いシーズンになってしまった。
結局このシーズンもほとんどメンバー外で、10分くらい出ただけで終わってしまった。
ラストシーズンに入った。今年こそは本当に落とされると思っていたけど、22Aに残った。同期も多かったし、ずっとチームのモチベーターとしては継続してきたものがあったので、残されたのではないかと森さんから何らかのメッセージを感じた。試合に絡めていなかったし、4年生になるのに残されたのはある意味期待されていると思った。
チームでは全国大会に行くという目標を立てた。今までの所属していたチームで全国大会に出場した経験はなかったし、最後の挑戦になるので全てをサッカーに捧げるつもりで頑張ろうと思った。
キャプテンとかなんかの役割を与えられたわけではないけど、何か後輩のみんなにも背中で見せようと思って練習には約1時間前には来るようにして、色々な体幹トレーニングをするようにした。
練習でも自分の出せるものは全て出したし、みんながきついときには率先して声をかけるようにした。
それでも、なかなか自分のプレーはうまくいかなかったし、後輩にもきつく言われることも多くなり、申し訳なさが大きかった。今までのように力が入ることも多かったし、サッカーが楽しくないと感じることも多かった。でも、先輩に対しても強く言ってくれる後輩達は、一緒に全国大会という目標に対して付いて来てくれているからこその行動であったと思うし、自分も見せられるものは後輩に見せたいと思った。
最後のIリーグが始まった。教育実習もあり、チームを抜ける期間はあったが、ほとんどの試合でベンチ入りさせてもらった。けれど、最終的に出た試合は2試合だけだった。どちらも途中出場だった。
正直色々後悔はある。
あの時の練習試合で…練習で…という思いは山ほどあるけれど、それも実力のうちで、結局自分は力不足だった。監督や仲間のせいではなく、自分だけの責任だった。
チームとしても全国大会出場をリーグ戦最終節まで争っていたけど、自分たちでチャンスを逃すような形になってしまった。勝たないといけないところで勝ちきれず、逆にしんどいゲームを何とかものにする。毎回、このゲームが先週できていたら…みたいな感じになる。この流れがU22Aらしいと言われれば、らしいかもしれないけど、悔しかったし、何よりも4年生として、ピッチ上でチームに貢献できていない中で、試合の結果に対する感情を共有することにもどかしさを感じてしまうことが悔しくて辛かった。
自分たちの引退が9月14日のリーグ最終節の直後に全国大会の可能性がなくなり、9月21日になることに決まった。
他チームの結果のこともありIリーグ10位決定戦で相手は中京大学U22Bになった。
1年生のときには所属していて思い入れのあるカテゴリーだったし、もちろんライバル意識も強かった。また、カテゴリーピラミッドでは、U22Aの方が上なので負けられるわけがなかった。個人的にはお互いにとって最高のラストステージが用意されたと思った。
最後まで本気でスタメンを奪いに行った。今考えれば、最後の最後までスタメンを争うことのできるこの環境は当たり前ではないし、ありがたいことである。
そんな素晴らしい仲間たちに囲まれて最後の試合を迎えることができた。
結果はベンチスタートでやっぱりかという思いはあったけど、途中からは確実に出ると思っていたので、出たら最後にふさわしいプレーをすることができるように準備した。
試合はすごい展開だった。先制されたけど、追いついて、追い越されたけど、追いついた。
まさに4年生同士の意地のぶつけ合いだった。
自分は70分くらいからの出場だった。
前期に出た静岡産業大学とのゲームは1-1の引き分けラスト10分の中で、点を取るために投入されて、めちゃめちゃ緊張したし、ここで俺かよ、とも思ったし、何なら自分のミスで試合が終わるのが怖くてビビっていた。
しかし、この日の自分は最後だから吹っ切れたのかわからなかったけど、何の怖さもプレッシャーも感じなかった。
試合の流れの中でも、ボールを触りたかったし、攻めたかったし、勝ちたかったし、点も取りたかった。いくら走ってもバテる気がしないくらい体も動いた。
何よりも試合に出たときからサッカーが楽しくてたまらなかった。
延長戦になって、PK戦までもつれ込んだけど、出場時間の短かった自分にサッカーの神様がプレー時間を与えてくれたんじゃないかって今では思ってる。
結果は点も決めることもできず、PKで最後決めてヒーローになってやろうという作戦もあと一歩のところでキッカーじゃんけんに負けて渋々やんちゃな幸乃進に譲ることになったが、試合には勝つことができた。
また、この試合ではサッカーというスポーツの素晴らしさが出たゲームだと思う。
どちらにとっても試合では相手だったかもしれないけれど、4年間切磋琢磨したライバルだった。
試合中でもお互いのことをリスペクトし励まし合った。また、PK戦でも両チーム交互に肩を組み全員でキッカーを称えた。
勝負のことばかりに目が行くと忘れがちだけど、一番大事なことで最後の最後で改めて気づかせてもらった。このゲームの勝ち負けは一旦置いておいて全員でサッカーを楽しんだゲームだったと思う。
この大学サッカー生活で忘れてしまっていた「サッカーを楽しむ」ということを最後に同期のみんなに教えてもらった。
最後の整列の際には、U22A、Bの仲間だけではなく、スタンドで最後まで応援してくれた他カテゴリーの仲間にも感謝の気持ちでいっぱいになった。
全員で過去最高の中京ダービーを作り出せたんじゃないかと思う。
中京大学サッカー部本当にありがとうございました!最高です!
まだまだ書き続けられそうだけど、そうまが「きょーへー、だいや長くね?やばくね?」って言って、きょーへーが「それはマジでやばいって、だいや。」って言いそうなので、これくらいにしておきます。
最後にお世話になった人たちの感謝だけこの場を借りて書かせてください。
家族へ
お父さん、お母さん今まで17年間サッカーをやらせてくれて本当にありがとう。
小学校の時は休みの日に車を出してくれたり、当番をしてくれたり、会場で声を出して応援してくれました。思春期になって、あんまり試合に出れないときも多くて、見られるのが恥ずかしいって思っていた自分に気を遣って、会場には来なくなったけど、「お前が楽しくてやってるならいいよ」と深堀もせずに、お弁当作ってくれたり、送迎してくれたりしてくれて本当にありがとう。
本当は自分の力でもっと勝っているところを見せたかったし、全国大会にも連れていきたかったのが本心です。
最後だからと思ってこの試合も誘って、仕事が本当に忙しそうだったけど、無理して休みとって応援に来てくれて本当にありがとう。あんまりいいところは見せられなかったかもしれないけど、サッカーを心から楽しむ姿を見せることはできたかな。
大学院にも進学させてくれて本当にありがとう。親孝行できるようにこれからも頑張るのでよろしくお願いします。
船橋KSCのスタッフの皆さんへ
なかなか挨拶に行けなくて申し訳ないですが、大学サッカー引退しました。ここまでサッカーを好きにさせてくれたのは、KSCでのご指導があったからであったと思います。卒業後もずっと応援してくれて本当にありがとうございました。また、ご挨拶に行きます!
Einsのスタッフの皆さんへ
ここまでサッカーを続けられたのは、間違いなくこのチームで経験した基準からでした。毎年卒団生が帰ってくれる場所も用意してくれて、気にかけてくれて本当にありがとうございました。毎年フットサルには参加させていただきます!
専修大学松戸高校のスタッフの皆さんへ
在学中に病気をしたことや進路のことでも本当にお世話になりました。
練習もゲームが中心で毎日楽しくて、大学でもサッカーを続けることができました。
また、教育実習中も練習に入れていただき、本当にありがとうございました。
選手権での千葉県制覇やプリンス参入、各カテゴリーのリーグ昇格をこれからも応援させてください!
また行きます!
冨さんへ
冨さんのチームでプレーできたのは1年時の1年間だけでしたが、時に「おまえ、ちゃんとやってんの?」と気にかけていただきありがとうございました。本来であれば、感謝をプレーで見せたかったですが、最後まで力不足でした。
4年間本当にありがとうございました!
森さんへ
2年間ご指導いただきありがとうございました。
今年こそ全国にという思いでやりましたが、結果を出すことができず、申し訳なかったです。
また、よく「来シーズンも22Aでよろしくね。」と来年度も大学院に進学する自分を冗談でも誘ってくださり本当に嬉しかったです。その度に丁重にお断りさせていただいていましたが、自分にやりたい気持ちはあるし、残りたい気持ちもあるけれど、一旦自分のことに集中してふさわしい立場に成長できて、タイミングとチャンスがあれば、また一緒にやらせていただきたいと思っています。
瀬戸FCも紹介して下さり、サッカーを続ける環境を用意してくださり本当にありがとうございます。練習試合の際には、お手柔らかにお願いします笑
同期のみんなへ
ずっとU22カテゴリーにいた自分は、あんまりしゃべったことのない同期もいますが、4年間本当にありがとう。
みんなの活躍に刺激されて、最後まで頑張れました。
これからもよろしく!
U22Aの同期のみんなへ
長い人で4年間、多くの人が3年間本当にありがとう!
ちょっとぶっ飛んでる唐揚げプロの「おか」
中京のオーバーエイジ「たいし」
今シーズンが3日で引退の「ゆきのしん」
大胸筋ヘッダーの「たいち」
愛されキャラの「こうだい」
口開けば02達也の話の「かなた」
人のミスが大好きな「そうま」
4年間髪型をキープし続けた「はるき」
いつもそうまと笑ってるキャプテン「きょうへい」
発作「ダニ」
遅延を引き寄せる副キャプテン「とあ」
実はかまちょな「ひらた」
ひゃっひゃ「たかと」
天才「ふかつ」
縁の下の力持ちの「おおいし」
特にこの1年間はみんなに引っ張ってもらって色んな経験をすることができた。本当にありがとう!毎日練習して、その後しゃべったり、そのままご飯いったりしてたからいきなり会わなくなると寂しいです。
今まではサッカーばっかりでなかなかできなかったけど飲みでも旅行でも温泉でも何でも誘って!
もちろん最後までやらなかった人もいるし、上のカテゴリーに行ってTOPまでいってしまったヤツもいたけど、みんな22Aで一緒にサッカーした最高の仲間です!本当にありがとう!
最後に後輩たちへ
関わりはそれぞれだったけど、今まで本当にありがとう!
4年間はあっという間です。また、多くの人が大学でサッカーをやめることになると思うので本当に悔いなく毎日サッカーを楽しんでほしいです。でも、サッカーを楽しむっていうのは、ただグラウンドにきて自分の好き勝手にプレーすることではないです。全員がプロを目指す必要はないけど、上のカテゴリーであったり、上のリーグであったりを目指す向上心を持って、自分やチームがレベルアップする過程を楽しんでほしいと思います。その中で起きるミスや失点は仕方ないくらいに思っていい。何なら取り返さないといけない状況を作ったことを楽しんでください。サッカーは負けてても勝ってても楽しいはずです。もし楽しくないと感じたら、自分にベクトルを向けてサッカーに最後まで向き合ってほしいです。プロになることや上のカテゴリーにいる事やサッカーがうまいことが1番だとは思いません。もちろん大事なことだけど1番素晴らしいのは自信をもって4年間をやり切ることです!
仲間を大切に!また試合も応援しに行くので頑張って!
22Aの後輩たちへ
Iリーグ全国まじで期待してる!なんかあったらいつでも連絡して来て!
本当に長くなりすぎました。
サッカーで出会えた全ての方に感謝の気持ちでいっぱいです。
本当にありがとうございました!
