Page9 「自分自身が成長するための唯一無二のポジション」 竹下恭平

「サッカーにおいていろんなポジションができる選手は、裏を返したら自分はここだと誇れるポジションがないということかもしれない。」
こんにちは。U22Aの元主将の竹下恭平です。このたびは引退ブログに目を通してくださり、誠にありがとうございます。いきなりですが、このセリフは私が中学校の時に所属していたチームのコーチの言葉です。いったん頭の片隅にでも入れておいてください笑。引退をしてから一か月ちょっとが経過し、ようやく引退したという感覚が芽生え始めました。現役のころよりバイトをする量が増えたり、一日を通して洗濯物の量が減ったり、いつもとなりで一緒にサッカーをしていた仲間の顔を見る機会が減ってしまったり、、、引退して一区切りがついたと思う反面、今までの生活にぽっかり大きな穴が開いてしまったような少し寂しい気持ちにもなりました。そんな自分は、あまり気持ちや伝えたいことをアウトプットすることは得意な方ではないですが、今までの私のサッカー人生について思ったことをありのままに綴っていこうと思います。つたない文章になってしまいますが最後まで読んでいただけるとありがたいです。それではいきましょう。
私がサッカーに出会ったのは五歳の頃だった。親の勧めで地元の小さいサッカークラブに入った。幼稚園の頃はサッカーが好きだから通っているというわけではなく、そこに体を動かせる環境があったからだったと思う。サッカーを本格的に始めたのは小学校一年生のす時だ。小学校に上がるときに引っ越し、そこで新しいサッカーチームとフットサルを始めた。これが私のサッカー人生の最大の岐路だったと今では思う。当時のフットサルのコーチはとても厳しくて、消極的なプレーをしたらすぐ怒られる、いいプレーをしてもあまり褒められない、、、幼稚園の頃には見たことのないサッカーの一面を目の当たりにして衝撃を受けたのが今でも鮮明に覚えている。そこで何度かサッカーに対して複雑な気持ちになった。だけどその感情以上に私はサッカーが好きだという気持ちがとても強かった。日々どうしたら自分のサッカーレベルは上がるのかと真剣に悩んで向き合った結果、自然と厳しい、つらい、といった感情から、楽しい、悔しいといったプラスの感情に変わっていった。ボールに向かってがむしゃらに走ること、隣の仲間に負けないように練習時間外でもサッカーと真剣に向き合ったこと、そのほかいろんな良い思い出、苦い思い出があるが、どれも今の私にとって最高の経験値であり、最高の財産であると感じる。
中学、高校はサッカー漬けの毎日で常にサッカーのことを考えて生活していた。中学では少し遠いサッカークラブに所属していて、毎日片道一時間弱かかる練習会場まで嫌な顔一つせずに送ってくれた両親。帰りには家から一定の距離のところで降ろしてくれ、ランニングにも付き合ってくれた。ここで改めてサッカーをしているということは当たり前ではないということを実感した。父母ありがとう。
高校ではじめて上下関係というものに苦しんだ。私は地元の公立高校に進学した。サッカー部に入って一番初めにしたのは挨拶練習だった。グラウンド内外関係なく先輩にあったら大きな声で「おはようございます!」と言わないといけない、という良くも悪くも長い伝統的なものに直面した。ほかにもいかなる時でも先輩には手でボールを渡す、先輩が自主練を終わるまで先に帰ってはいけないなど、当時の自分は腑に落ちないと感じることが多かったが、これをしっかりしたら大好きなサッカーができると思ってやり抜いた。これをずっとやっていると当然ストレスもたまってくる。ストレスがたまった時は、友達とカラオケに行って大声で歌ったり、部室で夜遅くまでたわいもない話を話したりして緩和していた。そしてこの時期に一番悩んだことは自分の膝だった。小学校のころから膝が悪く、定期的に病院に通っていた。だけど通うことに満足してそれ以外の部分ではストレッチやアイシングなどをなあなあにしていた。その結果、高校になってついに膝にガタがきてしまった。サッカーのように好きなことに夢中になれる自分は良いが、膝のケアをしっかりしたらいいプレーが増えると思っていても行動に移せない自分がとても情けないと感じた。「性格」のせいであると言ってしまえばそこまでかもしれないが、気持ち次第で改善の方向にベクトルを向けることはいくらでもできたと思う。
こんな膝と付き合いながらも迎えたインターハイは、母校サッカー部歴代トップタイの成績を収めることが出来た。チーム全員で戦って勝つことの気持ちよさ、負けた時に次は絶対に勝とうという闘争心、素晴らしい環境でサッカーができているという感覚。サッカーというスポーツが生み出す魅力を全身で感じることが出来て、また一つサッカーが好きになった瞬間だった。そこからある程度しっかり体のケアをして迎えた選手権。全力は尽くしたが、結果はインターハイよりもよくなかった。90分という長いようで短いなかで高校サッカーに終止符を打った。高校サッカーはこの時点でゴールテープを斬ってしまったが、大学でサッカーをすることを決めていたので、切り替えて自主練に励むようになった。
迎えた大学サッカー。大学サッカーは小学校、中学校、高校、大学の四つの分野の中で一番期間が短いように感じた。今でも初めて練習に行った日のことを最近のことにように感じる。高校までは、フォワードでプレーしていたが、大学からは左右の技術の差をなくすために、右サイドで主にプレーをするようになった。私自身もともと右利きで、左利きにあこがれていたということもあり、左足を意識して練習するように心がけていた。一年生の頃はU20に所属していたが、毎日毎日練習についていくのがやっとでとても苦労したことが印象に残っている。同じカテゴリーには、サッカー強豪校出身、ユース出身、代表経験者など、今までほとんど経験したことのないレベルのなかでやっていたので、同じスタートラインに立っているはずなのに、とてもアウェーに感じていた。今までサッカーに対して挫折はほとんどしたことはなかったが、この時期に初めてサッカーに対してマイナスな感情を抱いた。この感情を周りの仲間に相談したときに、その仲間も同じ考えを持っていたが、表には出さずに全力でプレーをしていた。その姿を見て私ももう一度真剣にサッカーに向き合おうと思った。
そんな複雑な感情の中、二年生になり、二年生では怪我に大きく苦しんだ。三月脛骨骨折、九月腰椎椎間板ヘルニアと大きいけがを二回もしてしまって、自分の思うようにプレーが発揮できないシーズンだった。この年が終わったら大学サッカーの折り返しだから、全力で取り組みたいと思っていた矢先の出来事だった。でも今思えば、「怪我」や「持病」というものを盾に真剣に取り組む姿勢から逃げていたと感じる。大学生活にも慣れてきて、けがを通してあまり真剣にサッカーに向き合えていない年だった。
三年生では、22aの主将としてチームを勝利に導くという目標を掲げてサッカーに取り組んだ。しかし、結果は前期Iリーグ降格、後期怪我とほとんどチームに貢献できずに終わってしまった。主将としてチームに何も残すことが出来なくてとても悔しかった。
大学ラストイヤーでも22aで主将を務めさせていただいた。今年は四年生も多く、全員で22a初の全国に出場しようと頑張っていた。しかし現実はそう甘くなく、結果は総合で9位だった。良くも悪くも22aらしい結果となった。
最後のダービー戦では、白熱した試合になりとても印象に残る試合になった。PK戦にまでもつれこみ、最後の笛が鳴った瞬間にやり切ったという感情と、どこか物足りない感情が湧いた。この双方の感情が生まれた要因は「全国に行く」という目標を掲げて一年間サッカーをしてきたからだと思う。悔しい気持ちがゼロと言ったら嘘になるが、大学サッカーをとてもいい形でゴールテープを切れた。この四年間で素晴らしい仲間に出会えたし、素晴らしい経験もできた。決して後悔があるわけでもない。だけど、あの時もう少し頑張っていたらその先はどうなっていただろうと思い返す場面が何か所かある。それは、膝のストレッチと同じようなマイナスな自分が勝ってしまった場面だと思う。
私は来年の春から社会人になる。社会人として生活していく中で何度も大きな壁にぶつかるだろう。その時はサッカー人生で培った忍耐力と適応力を最大限に発揮して乗り越えていきたい。
「サッカーにおいていろんなポジションができる選手は、裏を返したら自分はここだと誇れるポジションがないということかもしれない。」
ここで冒頭の言葉の登場だ。一見マイナスな言葉に聞こえるかもしれないが、私はプラスの意味として解釈してこれまで活用してきた。サッカーで自分の得意なポジションを見つけることももちろん良いことだが、私が最も伝えたいものはそこではない。これはあくまでも私の解釈に過ぎないが、最も伝えたいものとは、
「様々な壁にぶち当たった時に自分の中で一番効率よく吸収・対処できるものを理解しておく。」ということである。
「サッカーにおいていろんなポジションができる選手は、裏を返したら自分はここだと誇れるポジションがないということかもしれない。」という言葉全体の裏を返すと、一つのポジションを極めればそれがその人にとっての長所となる、ということにもなるのではないだろうか、と私は考えた。その答えは私が一番深くかかわってきたものであった。そう、仲間である。上記で何度も述べているが、私は壁に当たって自分自身が成長できる可能性がある場面において、一番効率よくその物事を吸収・対処できるものが「仲間」と関わるということだったのだ。人と話すこと、ひたすらボールを蹴ること、海に行って心を落ち着かせること、一人一人この答えは異なるものである。ただそれを自分で理解しておくことがとても大事であると私は強く思う。もちろんサッカーでいろんなポジションできる人を否定しているわけではない。サッカーではなく、自分自身の気持ちと向き合ったときに必要不可欠なものの答えである。ここまで読んでくれた後輩たちは、この先サッカーや就活などでいろんな壁に当たるだろう。その時に自分なりの成長するためのツールをしっかり理解しておくと物事が比較的スムーズに進んでいくと思う。だからこれからも、自分の可能性を信じて前に突き進んでほしい。
両親へ
まずは今まで、サッカー、人間性ともにここまで育ててくれてありがとう。どんな時も一番近くで見方でいてくれてありがとう。感謝してもしきれません。自慢の両親です。私のサッカー人生はお父さんお母さんの人生のなかでいい思い出になりましたか?少しは還元できていましたか?プラスにとらえてくれていると嬉しいです。これまでのサッカー人生でこれといった結果は残せなかったけど、とても貴重ないい経験させてもらいました。どの思い出も自分にとっての大切な宝物になりました。まだまだ未熟者ですがこれから社会人として一人前に成長していきたいと思います。だからこれからも一番そばで見守っていてください。よろしくお願いします。
