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Page8 「努力の価値は挫折がつくる」 蟹江裕也

ココロノオト~seazon4~


皆さんお久しぶりです。初めましての方ははじめまして。

中京大学U22Bの蟹江裕也です。

これから僕にとって、最も熱中したサッカー人生について語ろうと思います。

拙く長い文章にはなりますが、読んでいただけたら嬉しいです。


僕のサッカーとの出会いは小学生だった。

当時イナズマイレブンというアニメが大好きで、よく友達と公園で必殺技を練習していた。

周りの友達はサッカー少年ばかりで、学校終わりや休みの日にはサッカーばかりしていた。

そんな中、友達から地域のサッカークラブに一緒に入らないかと誘われたが、僕は入らなかった。理由は監督に怒られるのが嫌だったからだ。

サッカーは遊びで始めたのがきっかけだ。

怒られるならやりたくないのが蟹江少年だった。


それから中学校に進学し、部活に入って真剣にサッカーを上手くなろうと志し始めた。

最初の僕のボジションはFWで、背番号は9番を付けていたのを覚えている。

だけど点が取れないのでポジション争いはいつも負けていた。

今思えば全く9番は似合っていなかった。

そしてここでサッカー人生におけるターニングポイントがあった。

中学2年生の冬、練習中に足を剥離骨折した。

長いリハビリをしている間、僕のポジションは奪われ、復帰後はチームに戻れず、悔しい日々だった。

そこで監督から呼び出され、「GKをやってみないか?」と言われた。

その時僕は嫌な気持ちは無く、むしろすんなり受け入れた。

理由としては、友達と公園でサッカーをする時にジャンケンに負けてGKとしてプレイをする際、シュートを止めた時の皆からの賞賛が嬉しかったからだ。

急に始まったGKというポジションはとても難しく、自分のミスで失点はよくあることだった。

ただ、楽しいという気持ちがあったのは間違いなかった。

そして中学生最後の夏の大会。

結果からいうと東海大会ベスト8まで行った。

凄さを伝えるために説明すると、市内大会で優勝し、地区大会で優勝し、県大会で優勝し、東海大会に出場した。

実は僕、愛知県で1番になったことがあるんです!

当時の僕はこの県で1番強くて上手いGKだと思っていた。


そして高校に進学してからも部活に所属し、日々サッカーをしていた。

入ってすぐ、先輩のGKとのポジション争いに勝って試合に出続けていた。

しかし、中学とはレベルが全く違く、ボコボコにされまくって毎日挫折の日々だった。

僕はプロを目指していなかったので、遊び半分だったのを覚えている。

当時僕の高校にはGKコーチがおらず、フィールドの選手と一緒にポゼッションの練習をしたりしていて、GKコーチがいたらもっと上手く、もっと本気でサッカーに取り組めていたんだろうなと今でも思う。

結局高校では3年間なんの結果も残せず、もうサッカーは辞めようと思っていた。


しかし、高校最後の春休みに、一緒に中京への進学が決まっていた啓佑と大黒が、大学でもサッカーを続けると言っていて、僕はその時みんなが入るなら入ろうという甘い気持ちで中京大学サッカー部に入部した。

そんな僕はもちろん、大学のトップレベルの環境に着いていくことなど出来ず、カテゴリーは1番下でずっとベンチ外だった。

練習でもミスをしまくって、先輩や監督に怒られる日々。

周りより特質して上手いプレイもないし、下手くそすぎて練習でアピールも出来ないしで、本当に苦痛だった。

何度も辞めたいと思ったし、練習もサボりたいと思ったけど、GKコーチのテツさんのおかげで続けられたと思う。

無名高のキーパーで基礎も出来ない僕に対してマンツーマンで教えてくれたり、声をかけてくれたり、分かりやすく何がダメだったのかを教えてくれたりと、間違いなく恩人だ。

そこで大学1年生の僕は、「何も出来ないし下手くそなんだからせめて辞めないで続けてみよう。」と決めた。その決断は間違っていなかった。

そして、忘れもしない僕のターニングポイント。

2024年6月30日、Iリーグ前期第11節東海学園大学戦。

当時3年生の僕は、一個下のキーパーにポジション争いに負けていて、ベンチから見守っていた。しかし、彼のプレイが不調で、途中交代で僕が出場した。

突然のことで緊張なんかしている暇もなく、試合に入ると、よく止めたな。と思うほどのセーブを繰り返し、ものすごい活躍をできた。

そこからコンスタントに試合に出させてもらい、やっぱり辞めなくて良かった。と感じた。


そして月日は流れ、引退試合の日。相手はなんとU22A。練習で戦っても負けてばかりで、ひとつ上のカテゴリーとは思えないくらい強大な相手。

しかし、最後の試合なんだから絶対に勝ちたいと意気込んだ。

アップから大盛り上がりの中京グラウンド。

見に来てくれる親御さんや友人、先輩、後輩、同期などがスタンドいっぱいに広がっていて、数々の試合をしてきた中で1番見られる試合になった。

試合内容としては、とても白熱して拮抗していた。

2-2のまま延長までもつれ込むも決着つかずPK戦へ。

ここで止めてヒーローになるんだと思った矢先、ポストに跳ね返ったボールが僕の後頭部に当たり、前代未聞の脳震盪。しかもゴールは決められた。

改めて考えるとどういう確率でPKで脳震盪になるんだと思うし、あの時は完全に記憶が飛んでいたけど、今思うと恥ずかしい。

そして、結果的には惜しくも敗れ、敗戦となった。

しかし、あんなドラマみたいな試合はなかなかないと思う。

観客のみんなの心を動かす試合だったと思うし、支えてくれた人への恩を見せることが出来た最高の試合だった。

最後のプレイがあの試合だったと思うと、結果は関係なく、いい幕切れだった。


ここからは、お世話になった人への感謝をしたいと思う。

まずは後輩へ、

とにかく部活がしんどいって人が大半だと思うし、楽しくない、休むと怒られるから行っているという人が多いと思う。

僕もそうだったから気持ちがよく分かる。

試合に出れないなら練習をしている意味が無いとか考えるかもしれないけど、僕から言いたいのは、先を見据えてサッカーをしてほしい。

今本当に辞めてもいいのか。

そりゃ今辞めたら楽しくて毎日遊べる最高の大学ライフを過ごすことができるかもしれない。

でも、辞めたあとにサッカー以上に何かに打ち込めるか。

少なくとも大学サッカーを4年間続けた先輩はみんな続けてよかったと思ってるだろうし、その先輩たちはみんな挫折を経験していると思う。

辞めたその先どう動いていって、結果こうなるんだという考えができていないなら、それは一時の感情だから、しっかりと考えてほしい。

僕は、みんなに辞めないで最後まで走り続けてほしい。

最後の僕らの試合を見て、どう思うかはそれぞれだが、あんな試合が出来ると思うとワクワクすると思う。

毎日学校ですれ違えば挨拶をしてくれた君たちが、腐らず真っ直ぐな人生を送っていってくれることを信じているよ。

本当にありがとうみんな!また会おう。

同期へ、

まずはみんな、本当にお疲れ様でした。

僕たちは4年間共にやってきた戦友です。

毎日きつい練習もみんなでやれたから続けられたし、最高の思い出もたくさんできて、最高の大学生活でした。

たくさん迷惑かけたと思うけど、みんなの熱量に感化されて成長できました。

部活が終わっても、僕らは友達であり一緒に戦う仲だと思うので、社会人でも支え合っていきましょう。

みんなと会えなくなるのは寂しいし、今でもまたサッカーしたいと思うから、またどこかで集まる機会を作って遊びましょう。

今後もお互い刺激し合えるような関係でいられるよう願ってます。

みんな本当にありがとう!また会いましょう!


スタッフ陣へ、

毎日本当にお世話になりました。

何も無かった自分に何かをもたらしてくれたのは確実にスタッフ陣のみなさんのおかげです。

ここまで大きく成長させてくれて、本当にありがとうございました。

トミさん、1年生の頃から見てくれていて、何も出来なくてだめだめな僕を最後まで支えてくれてありがとうございました。

トミさんがチームに喝を入れてくれるおかげで僕たちは前を向き続けて戦うことが出来ました。

最後の御殿場遠征で全試合出場するとはおもってなかったので、とっても疲れましたとだけお伝えしたいです笑

またお話する機会があれば、よろしくお願いします。

お世話になりました。

テツさん、とにかく本当にお世話になりました。

テツさんが居たから続けてこれました。

一つだけ、僕が覚えているテツさんからの怒られエピソードを話させてください。

覚えているか分かりませんが、僕が1年生の頃、朝の練習に寝坊して遅れて参加しようとしました。

しかし、テツさんからは「今日はグローブいらんよ。その辺走っといて。」

とだけ言われ、ただただ走るだけの日がありました。

あの日の怖さは僕が思うテツさんの1番の怖さでした。笑

未だに反省しています。寝坊には気をつけます。

練習中も練習後も、試合の時もダメだったところや良かったところを教えてくださり、人生で初めてのGKコーチがテツさんで本当に良かったです。

テツさんの気さくな性格はゴールキーパーの皆が助けられていると思います。

そんな中でも時にはしっかりと叱ってくれるからこそ、サッカーだけでなく人間としても強くしてくれるんだと思います。

引退試合の時最後に撮った写真、大切にします。

4年間お世話になりました。

また会う機会があればよろしくお願いします。

かなと、3年間ゴールキーパーとして強くしてくれてありがとう。

最初は学生コーチが来ると聞いて、どんな感じか分からず戸惑いましたが、かなともどうやら手探りでやっているようで、一緒に頑張っていく仲間だと思って練習をしていました。

毎日の練習で誰よりも声掛けをしていて、疲れて動けない大きい人たちを必死に動かそうと頑張っていたね。

俺たちはそれに感化されて強くなれたよ。

俺の失点で試合に負けた時、俺よりもかなとの方が落ち込んでいた時をよく見たよ。

自分のコーチ力が足りなかったと責任を感じていたと思うんだけど、多分かなとのコーチ力が無かったらもっとだめだめのプレイをしていると思う。

だから気負いすぎずにね。

学生コーチっていう立場だから、キーパー陣との関係性がとても難しいと思う。叱りたいときがあっても出来ないことがあると思う。

だけど気にせず叱っていいと思う。みんな絶対理解してくれるから。

あと1年しかないけど、やり切ったと思えるように最後まで頑張ってね!

毎日本当にお世話になりました!ありがとう。


以上で終わろうと思います。

最後に、本当に多くのみなさんに支えられてこの4年間続けてこられたと思います。

大学サッカーをする中で出会った人たちが最高の宝物です。

4年間お世話になりました。

またいつか会いましょう。

ありがとうございました!