Page7 「コツコツが楽しむコツ」 岡勇太

僕の心の音、ボールを蹴る音、ぶつかり合う音、芝生の音、ホイッスルの音、全部が僕のサッカー人生で当たり前にあった音。大学サッカー部引退、サッカー人生の終止符この何気ない音がこれからはなくなってしまう。僕は、寂しいと感じる。当たり前にしてきたことが突然なくなることは、かけがえのないものがなくなるということだから。
こんにちは、申し遅れました。中京大学U22A所属の岡勇太です。この引退ブログを機に
大学サッカーでの僕の心の音について書き記していきたいと思います。少しでも読んでいただけたら幸いです。
僕にとって大学サッカーは、生ビールのようなものだ。生ビールは初めて飲んだ時、とても苦くて何回も飲む練習をすることで飲めるようになれた。サッカーも一緒だった、最初はたくさんの悔しい思いもしてきたけど練習することで乗り越えてきた。そして、仲間たちと過ごした時間が僕の中では、鮮明と記憶に残っている。
そんな僕の大学サッカー、一年生の頃は、試合に出られず悔しい思いをたくさんしてきた。それでも、諦めずに朝早く起きてフィットに行き、お昼の時間にグラウンドでボールを蹴る、サッカー一筋で生活をしてきた。
2年生、CUに所属させてもらうことができた。しかし、そこでも、当時4年生の小川陣くんという名古屋グランパスの時の先輩からスタメンを奪えず、試合には出られなかった、それでもこの2年間、がむしゃらに練習を続けてきた。正直、きつかった、サッカーを続けていく意味がわからなくなるほど悩んだ。それでも、この1年間はサッカーが上手な選手とできて、自分のスキルアップに大きく繋がったし、毎日の練習がとにかく楽しかった。試合には、出れていないのに、自分が、周りの選手に引っ張られるような感覚は、負けず嫌いな私の心に火をつけてくれた。そして、私はサッカーが大好きであると自覚しました。
3年生、CFCで初めて公式戦に出場することができた。その試合は、自分のミスから失点してしまい悔しい結果で終わってしまった。そして、再び、僕は試合に出られなくなってしまった。この大学3年目は、本当に苦しかった、公式戦、練習試合は全く出られず、自分のプレーに自信を持てずにいた時期で、完全に今までのサッカー人生のどん底に落ちていた。そんな時、僕は仲間に救われた。高校から同所属チームの大重優斗と中学からの横井文太には特に救われたと思っている。他にもcfcの同期はみんな僕に前向きに接してくれてとても感謝しています。ありがとう。ぶんたは中学から一緒にプレーをしてきて自分の良きライバルでもあるからこそ彼の存在はとても大きかった。しげは、今でもよく遊んでるくらい仲が良くて彼はよく僕といろんなところにいってくれる。僕の、落ち込んだ時には景色のいいところに一緒に行って頑張る元気をくれた。ありがとう。こんな仲間がいたからこそ、僕は再び、試合に出ることができた。引退試合では天才のミノくんとコテくんにぜったい勝利を飾って引退して欲しいという思いを強く持ち臨んだ。そして、チームは勝利することができ、僕はゴールを守り切り1-0で勝ち切ることができた。本当に三年生の時は、チームに迷惑をかけることが多かったけどcfcのみんなにありがとうとここで伝えさせていただきます。
そして四年生は、とにかくサッカーが楽しかった、一年生の頃のチームに戻り試合にも出場できて、森本良コーチのもとでプレーすることができた。森さんは、名古屋グランパスの大先輩で競技サッカー人生最後で森さんのもとでプレーできたことは、なにかの運命だと僕は思う。サッカーはやっぱり、どこかで人と人を繋ぐ架け橋のようなものであると感じました。サッカーで、できた関係性は一生、僕にとっての財産だ。どんな苦しい時でも、仲間は変わらずそばにいてそれはどこにいても、自分を支えてくれる存在である。四年生で引退という言葉が身に沁みて感じてきた時期に私は集合に遅刻してしまい、試合に出られなくなってしまった。自分らしいといえば、自分らしいが、とても悔しかった。それでも、こんなどうしようもない自分を信じて引退試合でピッチに立たせてくれた森さん本当にありがとうございます。結果で応えることはできたが内容は散々なものでした(笑)それでも自分の記憶に残るナイスゲームになったことは間違いありません。
こんな僕だったけど、GKコーチのかなとくん、最後まで厳しい指導ありがとう。僕とダニは出来の悪いキーパーだったけどかなとが褒めてくれるとほんの少しだけちょっとだけ頑張ることができたのは事実です。これからは、かなとに厳しいことも嬉しいことも言われないのが寂しいけど、これからもGKチームには、あなたが必要です、期待しています。
僕の大学サッカーは、つらい、苦しい時間も多くありましたが、それをたくさんの練習と仲間と共に乗り越えていくことで、楽しい時間も確かに存在していた。全部が自分の中の記憶として濁りのない音だ。これから、それぞれのステージへ歩みを進めていくが、ここまで同じ夢を求めて進んできたことを僕は誇りに思い、どんな困難にも必死にくらいつき、忍耐力を持って精進していきます。
そして最後になりましたが、ここまで13年間僕のサッカー人生に文句も言わず、支えてくれたお母さん、お父さん本当にありがとう。サッカーで恩返しすることは叶わなかったけど、僕はこれからの社会人として誰よりも胸を張ってもらえるような存在になることを目指してがんばっていきたいと思うからこれからも、見守っていてください。そして、22年間僕のわがままに付き合ってくれてありがとう。
僕の大学4年間で奏できてたメロディーは、幻聴ではなく、確かに、心の音として残りそれは、小さく雑音のようなものだったかもしれないが仲間の音、過ごした時間のハーモニーによりなににも負けない一つの音になると思う。
大学4年間なんて、あっという間に終わるだからこそ一つ一つの行動を大切にしなければいけない。後悔のない選択なんてない、だから楽しい時間こそ後輩のみんなには大切にしてほしい。
