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Page10 「これからは、これからも」 堀田皐太

ココロノオト~seazon4~


サッカーを続けて16年。私のサッカー人生は楽しい2割、苦しい8割だったように感じる。なぜかと考えた大学4年生。私はひとつの結論に辿り着いた。

 

「自分にベクトルが向いていない!?」

 

こんにちは。U22Bの堀田皐太です。

学生時代のサッカー人生を振り返るには良い機会であるため少し振り返りたい。

 

私は、父の影響でサッカーを始めた。そこから私の人生はサッカー中心の生活になった。

 

小学生のころは、愛知県内では有名であろうクラブチームに。サッカーで悔しい思いをした最初の場所であり、サッカーを一番大好きになれた場所である。忘れたいことの方が多いが、私の心の中に深く残っている。遠いところでの試合や遠征が多い中、何度も送り迎えをしてくれた両親と祖父、ついてきてくれた弟には感謝してもしきれない。

 

中学生のころは、クラブチームを諦め、部活動に入部。1学年上の先輩たちとプレーすることができ、楽しい思いをたくさんすることができた。中学校の部活動だけのトレセンにも入ることができ、良い思いをすることの方が多かった。また、恩師に出会い一生忘れられない言葉をかけてもらった。

 

高校生のころは、初めはBチーム。しかし、上手くいかずにどんどんカテゴリーを落としていった。やらかすこともあった。土木の仕事もした。このまま終わると思っていたが、3年生のころにはAチームに上がった。下のカテゴリーで指導してくれた先生のおかげである。ありがとうございました。Aチームでは試合に出たり出なかったり。楽しかった試合と言えば、北陸遠征の試合すべて。満足できるプレーが沢山できた。

 

インターハイで負けたときには泣いた。負けた後のロッカールームで、今でもたまにお世話になっている接骨院のトレーナーから、「泣くほどやったのか」というような言葉をかけられた。そこから、私は満足いくプレーが毎試合できるように準備をした。

 

選手権愛知県予選で負けたときには泣かなかった。楽しかったから。満足して高校生活最後のトーナメントを終えられたような気がする。

 

そして、大学生のころは見ての通りだ。4年間U22B。試合に出場できるようになったのは、4年生のころだけ。4年生のころは、試合に出場したいがために教育実習中でも定時で家に帰りダッシュでグラウンドに向かうほど試合に出場することに対して貪欲になることができた。今考えるとすごく馬鹿なことをしているなとあきれるほどだ。

 

振り返ることに疲れた。

 

思い出の試合だけ、振り返ることにする。

思い出の試合は、4年生のころに行った御殿場遠征だ。まさか早稲田大学や大阪体育大学と戦えるなんて思わなかった。結果はボロボロだったが、自身の手ごたえはかなりあった。中京大学体育会サッカー部で良かったと感じる一番の瞬間であった。4日間ずっと試合で身体は重かったが、試合になればとにかく楽しかった。脚が攣るなんてなかった。1日2試合も余裕だった。

 

脚が壊れた。肉離れだった。

 

初めて怪我をしたけど、予兆はずっと感じていた。アドレナリンで何とかごまかしていた。3日目、ベンチスタートだった時に冨さんに言われたひとこと

「こうたは今日無いよ。」

さすがに驚いた。怪我がばれたのか、悪いことをしたのか。この2択が頭によぎった。

2試合目の時に「いけます」と伝えて試合に出た。やっぱり楽しかった。けど、左足でボールを蹴る時には激痛が走った。

4日目、試合に出た。ゴールを決めた。すぐに交代した。冨さんに褒められるのかと期待した。ベンチに戻って冨さんに

「怪我しているなら試合に出るな。伝えろ。」

さすがに驚いた。三須が言ったのか。しかし、ゴールを決めて最後の遠征を締めくくることができたため、とても満足であった。

 

あとひとつは、引退試合のU22Aとの試合だ。U22Bのころの先輩方が試合に見に来てくれていた。優しい先輩だなと感じた。試合中、ボールに触れる機会は少なかった。

ハーフタイムでベンチに戻る時にスタンドから私の名前を呼ぶ声が聞こえた。誰かと思って呼ぶ声の方を見るとそこには、青ユニを来たりん君が大学時代から身体を大きくした状態で座っていた。衝撃だった。一番来ないと思っていた先輩がまさか観に来てくれるとは思わなかったからだ。とてもうれしかった。よりこの試合が楽しくなってきた。

 

観に来てくださった先輩方ありがとうございました。

 

後半途中で交代した。不満はあったけど、満足していた。4年間よく辞めずに続けてこられたなと自身を褒めたい。

ベンチに下がる時にスタンドからまた声が聞こえてきた。りん君だった。声をかけてもらえてとても嬉しかった。大学サッカーを満足した状態で締めくくることができた。

 

試合後、泣くことはなかった。思う存分やり切ったから。満足していたから。

 

 

私は、電車の中では愚痴ばっかり。ベンチ外のときには負け予想ばっかり。筋トレやマラソンなど何かに逃げてばっかり。

レッドブルマラソンでは走りすぎて、帰りに誰もいなくなっていたこと忘れません。

振り返ると、何をするにも他責だったように感じる。嫌なことがあったとき、ミスをしたとき、試合に出られないとき。常に他責にしていた気がする。

 

「自分にベクトルが向いていない」

 

たどりついた結論。理解していたけど、理解したくなかった。

もっと早く心を入れ替えることができていれば、もっと早くから自主練をしていれば、もっと早く、もっと早く。

他責にすることは、自身にとってとても楽である。私は楽な方に逃げ続けていた。それでは成長しないことを理解することができた。だから私は、これからの人生絶対に他責にしない。常に自身に目を向けて成長していく。このことを意識して生活していくことにする。

 

とても楽しかった学生生活でのサッカー。もちろん社会人でも続けていくつもりだ。

 

 

最後に

父へ

サッカーの道を教えてくれてありがとうございました。サッカーとは私の生活になくてはならないものへとなりました。

小学生の頃は、送り迎えや一緒にサッカーをしてくれてありがとうございました。

長生きして、仕事頑張ってください。

 

母へ

送り迎えありがとうございました。不甲斐ない姿を見せることが多かったけど、最終学年のころには何とか試合に出場しているところを見せることができて良かったです。

大学2年生、4年生のころの遠征では誕生日の日にゴールを決めることができて、なにかパワーがあったのかなと感じています。報告するたびに恩返しが少しは出来たのではないかと感じます。Iリーグでのゴールも直接見せることができて良かったです。

長生きして、健康でいてください。

 

弟へ

これからも自分のやりたいことに全力で取り組んでください。

期待しています。

 

○○へ

いつもありがとうございます。

送り迎えをたくさんしてくれて、私のわがままにイライラすることがたくさんあったかもしれないけれど、なんだかんだ支えてくれてとても頼りになりました。

これからもよろしくお願いします。

 

同期へ

学生生活最後の部活動をこのメンバーで過ごすことができてとても楽しかったです。

社会人になってもたまには集まってご飯でも食べに行きたいです。

誘ってください。

 

トレーナーへ

私にとって一生縁のない人たちだと思っていましたが、最後の最後にお世話になってしまいとても悔しいです。わがまま言って無理にやって怪我が長引き、今でも走るだけで違和感を覚えるようになりました。とても悔しいです。

ですが、最後の最後には楽しくサッカーができました。ありがとうございました。

 

後輩へ

がんばれ。

 

いつの日かの私へ

社会人になって何年目になっているか分かりません。このブログを見返しているのかも分かりません。が記念になるため書き残しておきます。

22歳までの私はサッカー中心の人生だったが、今もサッカーをプレー、観戦するだけでも良いです。関わり続けていますか。関わり続けてくれているだけで私はとても嬉しいです。

仕事はどうですか。順調ですか。目標は叶え続けていますか。引き締まった身体をしていますか。マラソンしていますか。結婚していますか。親孝行はしていますか。

気になることが沢山あります。それだけ社会人の生活にワクワクしています。たまには息抜きをして、人生を謳歌してください。

最後に、自身の選択を後悔することなく正解にしていってください。今まで過ごしてきた22年間の選択に間違いはないです。やれることはやってきています。だから、私なら乗り越えていけます。

とても期待しています。元気でいてね。これからもがんばろうね。

 

堀田皐太より