Page11 「もっと」 大黒弘佑生

こんにちは、22Bの大黒弘佑生です。
まず思うことは小学校1年生から始めたサッカーがよくここまで続いたなと思う。振り返ると辞めるタイミングは何度もあった。小学生の時はサッカーを適当にしていたし、特に高校生の時は一度、サッカー部から離れていた。当時からのチームメイトである啓佑おかげでサッカー部に戻ることが出来た。それがあったからこそ、ここまでサッカーを続けてこられたと思う。とても感謝しています。
4年間を振り返ってみて、一番思うことはもっと上手くなりたかったなととても思う。県大会すら出場したことがない高校から中京大学サッカー部に入部し、初めはボールを止める事すらできなかった。一番下のカテゴリーであったが、周囲とレベルの差を感じ、自分のせいでボールを取られたり、決定機を何度も外したり悔しくてたまらなかった。もっと上手くなりたいとずっと思っていた。毎日自主練習に取り組み少しずつ、成長を実感し最近調子良いなと思ったら、そのたびに怪我をしていた。自分が一番下手だったにも関わらず怪我を何度も経験し、とても虚しい気持ちを何度も経験してきた。入部当初に比べたら確実に成長はしたが、4年間を通じてほとんど公式戦に出場することができなかった。家族には怪我している自分では試合で活躍する自分を見せたかったなって思う。
今までレベルの高い環境でサッカーをしたことがなかったので1年生の時は芝生でサッカーできることや今までのサッカー人生と比べレベルの高い環境でサッカーができることがうれしかった。当時の22B はサークルのような雰囲気で毎日サッカーをしていたが自分にとってはみんなとても上手くて憧れだった。
2年生になりトミさんが見てくださって、春休みは毎日走り、急に雰囲気が変わりすぎてとてもきつかった。練習いくたびに4つ角にコーンが置かれ今日も走りかと思うと練習に行くことが憂鬱だった。だけど、毎日真剣にサッカーをできる環境に変わり常に120%でサッカーをし、充実感に溢れていた。しかし、この年は復帰した日にまた怪我をするという何とももどかしい経験をし、その瞬間は少し泣きそうになったことを覚えている。
大学1,2年生と公式戦に出場するという目標を果たせず、今年こそはと意気込んで臨み、
3年生になり初めて公式戦に出場することができ、努力が報われ大学サッカーで一番嬉しい瞬間であった。自身の成長を実感し毎日調子良くプレーをすることができ、この時の自分が自分史上一番上手くサッカーをしていたと思う。
しかし、その試合で相手の足を蹴り自爆し、また怪我をしてしまった。やっとここまで来たのにまた怪我をしたのは正直とても辛かった。
復帰してからはまた下手な自分に戻っており、「あーまたか」と何度も思った。毎試合スタンドで応援していて悔しい気持ちでいっぱいであった。
自身の最後の年となる4年生では過去の3年間に比べ、一番自主練習に取り組んでいた。
特に大きな怪我をすることはなかったが、捻挫をし、またサッカーができない日々が続いた。復帰してからも足首に痛みがありシュートやロングキック、切り返しなど、できないプレーが沢山あった。今までだったら、また離脱してリハビリしていたが、最後だからできる限りプレーしたかった。常に全力でプレーできないもどかしさを抱えていた。
サッカー人生の最後くらい、自身が納得できるプレーをして引退したかったと思う。正直3年生の時に怪我した時から一度も調子良いなって思うプレーをすることができなかった。上手くなりたいと思う反面、もう限界だなと思う自分がいた。そんなことを思いプレーしていたから自身の100%を出すことが出来なかったと思う。
自分はFW だから1点で良いからI リーグで点を取りたかった。点を取ることはできなかったが、よく後輩たちがシュートを褒めてくれて4年間何も残すことができなかったが、一つぐらいは自分の自信の持てるプレーを持つことができたことが4年間の努力の証だと思う。
後輩たちには最後までサッカーを続けて欲しいなって思う。引退するまで向上心持ち続けて最後まで上を目指して頑張って欲しい。怪我で苦しい思いをしている選手は沢山いると思うけど、ネガティブになりすぎず、乗り越えていってほしいなって思っています。
引退試合が同じ大学である22A とPK 戦までもつれるとてもいい試合をでき、最高な引退試合をすることができとっても幸せな気持ちでいっぱいだ。
4年間を通して22B でサッカーをすることができとてもよかった。周りのメンバーに恵まれとても楽しい時間を過ごすことができた。本当にありがとうございました。
