Page13 「支え」 早川叶藍

こんにちは。中京大学U22Aの早川叶藍です。
9月21日の試合をもって、大学サッカー部を引退し、15年間続けてきたサッカーに区切りをつけることになりました。先輩たちが書いた引退ブログを読む側だったのがいつの間にか書く側に回って学生生活があっという間だったことを実感しています。この引退ブログを通して、私の15年間のサッカー人生を振り返り、当時の感情や支えてきてくれた人達への感謝や思いを綴りたいと思います。
私は小学校2年生の時に父がサッカーをやっていた影響で地元の弱小チームに入りサッカーを始めました。サッカーに出会った私はサッカーが楽しくて、上達することが楽しくて、練習がある土日以外の日も毎日家の庭でただひたすらにボール蹴っていました。学年が上がるにつれて、その練習の甲斐あって10番のユニフォームをもらったり、キャプテンを任されたりしました。ですが、試合にはあまり勝てず悔しい思いをすることが多く、もっとうまくなりたいという気持ちが強くなりました。
そのため、中学ではレベルの高いチームでやりたいという思いもあり車で片道40分ほどかかる少し離れたチームにセレクションを受けに行きぎりぎりで合格をもらうことができました。入ってからも大変で入った選手達の一番下からのスタートだったのでただ上を目指して食らいついていく毎日でした。ですが、地獄の砂浜ラントレーニングや監督から怒鳴られること、ボランチ→フォワード→サイドバックのポジションコンバートなどのどんなことがあっても負けずに、練習を欠かさなかったおかげでスタメンを勝ち取り一つ上の学年にも呼ばれるようになりました。本当に苦労や悔しい思いをすることも多かったけど、たくさんのことを学び、発見し、成長でき、サッカーの楽しさや面白さを知ることができたのでこのチームに行けて本当に良かったと思います。
高校では地元である愛知県代表として全国高校サッカー選手権に出場したいという思いが強く、中京大中京高校に進学しました。ここでの3年間は、サードチームからのスタートだったり、スタメン勝ち取ることができなかったり、インターハイ全国大会出場を決めた直後に膝の大きいけがで3か月近く離脱したり、選手権全国大会に出場できなかったり、悔しい思いをすることが多かったです。ですが、壁にぶつかる度、応援してくれる家族や友達、一緒に頑張ってくれる仲間に支えられて乗り超えることができました。
そして大学に入ってサッカー部に入りました。同じ高校の同期も半数以上は部活に入りませんでしたが私はサッカー部に入らない選択肢はなかったです。サッカーが好きだったのはもちろん、高校では悔しい思いをすることが多かったのでこのままじゃ終われないと思う気持ちが強かったからかもしれません。
大学1年目はU22Bからのスタートでした。正直悔しい気持ちもありましたが上位リーグに進めばU20とU22Aと試合ができる可能性があったのでその2つのチームを倒すことを目標に毎日の練習に取り組みました。開幕戦からスタメンで出場させてもらい多くの試合経験を得ることができました。結果的にU20にもU22Aにも負けてしまいましたが個人的にはやれることも多かったので自信をつけるシーズンになったと思います。そして、これから先も仲良くする同期や可愛がってくれる優しい先輩など多くの人と楽しくサッカーをすることができて充実したシーズンだったと思います。
大学2年目は1年目の最後の方に足首のけがをしてしまいCFCへの練習参加はできなかったのでU22Aへの練習参加をし、上がることができたのでU22A所属になりました。この年は、大学4年間の中で1番苦しい1年でした。ベンチには入るが試合にはほとんど出ることができず、サッカーに対するモチベーションが上がらなかった時期もありました。それでも、練習後もボールを蹴ろうといってくれ、ともに努力できる仲間がいたおかげで腐らずに頑張ることができました。1番苦しいシーズンでしたが精神的には一番成長できたシーズンなんじゃないかなと思います。
大学3年目は引き続きU22A所属でした。ここではなぜか副キャプテンを任されました。私はキャプテンキャラではないですが真面目で3年の中にキャプテンができそうな人がいないからという理由で任命されたと思っています。副キャプテンを任された中で迎えた3年目のシーズンは、前半はスタメンで試合に出ていましたが中盤からは調子が上がらずスタメンで試合に出られないことが多くなり、プレイヤーとしても副キャプテンとしても力不足を実感した1年でした。私の中では、4年生がいる中で副キャプテンをやらせともらうことは少し難しい部分もありました。当時は副キャプテンなんだからしっかりやらないとみたいな無駄に重くとらえてしまっていてサッカーを楽しみ、プレーに集中するということを忘れていたので、今になって考えてみれば副キャプテンという役職をあまり重荷に考えすぎなくてもよかったなと思っています。
大学サッカー最後の4年目もU22A所属で、そのまま副キャプテンの役割も継続させていただきました。最高学年で副キャプテンという名の通りチームの先頭に立って引っ張っていく立場になりました。Iリーグ優勝、全国大会出場をチームの目標として掲げ、シーズンがスタートしました。試合結果的には、最終節まで全国大会出場争いをしていましたが勝たないといけないときに勝ちきれなかったり、逆に厳しいゲームものにしたり、良くも悪くもU22Aらしい展開だったと思います。このシーズンを通して、副キャプテンとして視野を広く持ち、チームを引っ張ることの難しさや求められる結果を出していくことへの努力など様々なことを学び、成長することができました。まだまだ頼りない副キャプテンだったと思いますが一緒に戦ってくれたみんなほんとにありがとうございました。全国大会に望みをつなぐことができたU20戦など記憶に残る試合はたくさんありましたが特に引退試合であるU22Bとのダービーは心に残る一戦でした。試合展開は点を取られて取り返して2-2になりその後延長、PK戦までもつれ込む激闘で私自身アシストし、PKも決めることができ、最終的には勝利することができたので本当に楽しい試合でした。多くの方がスタンドに駆けつけてくれ、鳴りやまない応援の中、敵味方関係なくお互いを称え合い、PK戦では全員で肩を組み、スポーツ良いところが前面に出た最高の試合だったと思います。ここまで恵まれた環境で大学サッカーを引退することができて本当に幸せです。
日々の練習や試合で時には厳しく、時には褒めてくれ、サッカープレーヤーとして、人として大きく成長させていただいた監督やスタッフの皆様本当にありがとうございました。
個性が強く、自由でふざけることが多いが試合になると全力で必死に戦う同期達、なめていてかわいくないやつも多いが必死に上級生に食らいついてくる後輩達、この仲間たちと一緒にこの1年サッカーをすることができて楽しかったです。本当にありがとうございました。
また、こんなに貴重な経験をさせてくれた中京大学サッカー部、本当にありがとうございました。
15年間のサッカー人生を振り返ってみるとほんとに密度が濃く、充実していたと思います。こんなに充実したサッカー人生を送れたのは紛れもなく支えてくれる家族がいたからです。なので、最後に今まで私を支えてくれた家族に感謝を伝えたいです。
弟へ
いつもは口にしませんが自分がやりたいことを突き通す姿や芯の強さには憧れています。小さいころから一緒にサッカーを始めて常に自分のライバルであり刺激をもらっていました。本当にありがとう。これからも自分の決めた道をまっすぐ突き進んでください。お互い違うステージで頑張りましょう。
お父さんへ
15年間何不自由なくサッカーをさせてくれてありがとう。仕事で大変なのに朝練の時や夜の練習で遅くなった時始発や終電がなくても嫌な顔一つせず隣の駅まで送迎してくれてほんとに感謝してる。試合や練習前のお父さんの頑張ってという言葉に何度も支えられてきました。本当にありがとう。
お母さんへ
15年間何不自由なくサッカーをさせてくれありがとう。お母さんは私のサッカー人生に一番向き合ってくれた人だと思います。練習や試合を見たときにはアドバイスをくれ、自分に甘い私を叱ってくれ、そのおかげでここまで上を目指してサッカーをやってくることができました。また、朝早く起きてお弁当を作ってくれて、栄養の取れた夜ご飯を用意してくれて、全てが私の支えになっていました。本当にありがとう。
息子の夢ややりたいことを本気で応援してくれた2人に本当に感謝しかありません。全国大会に連れてって活躍している姿を見せたかったけどできなくてごめんなさい。それでも2人のおかげで本当に良い経験ができました。サッカーをやってきてよかったと言い切れます。2人とも支えてくれて本当にありがとう。
この15年間サッカーを通して出会った皆様本当にありがとうございました。
