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#486〜「常に楽しい方へ」〜4年〜竹川友萌

女子

本日のブログは女子サッカー部所属

#18 竹川友萌(翔洋高校出身/4年)です。



お久しぶりです!ゆめです!


大学サッカー、ついに引退してしまいました。

自分が引退ブログを書く時がきてしまうなんて、4年間とっても早かったんだなと実感しています。

いつからのことを書こうか悩んでいたのですが、気づいたらサッカーを始めて16年ほど経っていたので、これまでのサッカー人生を振り返ってみようと思います。

文章を書いたりまとめたりすることが、苦手ですが、私なりに頑張りますので、温かい目で見ていただけると嬉しいです。




私がサッカーを始めたのは、5.6歳頃だったと思います。最初は、父も女の子にはサッカーをやらせる気は無かったみたいで、兄の試合を見に行っても、遊具で遊んだりして興味無しでした。誘われても「やらない!」の一点張りだったのですが、スポーツDEPOで見つけた可愛いサッカーボールに釣られて、気づいたら兄と同じサッカーチームに入って、抜け出せなくなっていました。ほんとに単純です。まさか、これからきつい練習が始まるとは全く頭になく、ボールを買って欲しいという気持ちだけで「サッカーやる〜!」とか呑気なこと言っていたと思います。兄の影響もありますが、たった一球で私のサッカー人生がスタートしました。

サッカーはずっと大好きだったんですけど、練習の最初の走りとか、怒られるのとかは本当に嫌で、うまくサボることを考えていたと思います。笑

でも、頭悪いので言われたことを全然理解できなくて怒られて、帰りの車でも家に帰っても怒られて。。。

「反省会」と言われてホワイトボードが出てきた時は寝れないんじゃないかといつも思っていました。

1人で楽しくボールを蹴ろうと思っていたのに、気づいたら特訓が始まっていることもよくありました。

すぐに何でもできるタイプではなかったので、ひたすら反復練習して、気づいたら外真っ暗。なんてことが日常で、当時は嫌々やってることもあって、サッカーに関してはどこの家よりも自分の家が1番厳しいんじゃないかと思っていました。今思うと、小学生時代に培ったものが、今のプレーに表れているのかなと思っています。

父を含め、周りの方々に感謝です^_^






中学では、学年関係なく楽しそうにサッカーをしている先輩たちを見て、ラブリッジ名古屋というチームに入りました。1年生の時は、勝ち負けよりも楽しく和気藹々とサッカーをする時間が楽しかったですが、2年、3年と学年が上がるにつれて競争が激しくなり、Aチームに入ることができても嬉しいという感情はあまり無く、競争に自分も参加しなければいけないことが正直嫌でした。サッカーしているのに競争が嫌っておかしいですよね。

でも、2.3年の頃には上手い後輩が続々と入ってきて、競争意識は少しずつ出てきていたのかなと思います。


私が中学で印象に残ってることは、2年生の時のU-15の県大会のことです。引き分けから延長、PKへともつれ込み、この試合を勝つことができれば東海大会にいける試合でした。先輩が全員決めて、相手も全員決めている中で、ラスト自分。視界が狭くなり、ぼーっとしてきて気づいたら枠外に蹴っていました。自分がすべてを台無しにしてしまった気がしてとても悔しかったのを今でも覚えています。

しかし、3年生の東海大会ではPKを2回蹴るチャンスがあり、どちらとも決めてPK克服と全国大会出場を掴むことができました。

全国を決めた瞬間の動画を時々見返すのですが、今でも大切な思い出です。

1年生の時から心配されていたような学年(?)だったと思いますが、楽しくて面白くて、しょうもないことでふざけて笑ってた記憶しかありません。何年振りか分かりませんが、今度みんなに会うのが楽しみです^_^






高校は県外しか見ていなかったです。

理由としては、中学までサッカーに対して鬼の叱られオンパレードだったので、とにかく家から出たかった。これが、正直な気持ちです。お父さん、お母さんすみません。

その結果、のびのびと楽しく過ごしていました。

ありがとうございます。



寮生活はとっっっても充実していました。

自主練習してグランドに残っていたら点呼の時間に遅れていたり、部屋の排水溝から水が漏れてプライベート中の監督を呼び出したり、誰かの誕生日のたびにコストコ大量買いしてくれる先生がいたり。他にも色んなことがありましたが、寮生活最高でした。


部活での戦績でいうと、3年間全国大会には一度も出ることができませんでした。

静岡県には、全国優勝候補もいるため、毎年県大会では大敗してしまい、突破することが非常に難しかったです。

その中でも、私が1年生の時のインハイと2年生の時の新人戦は県大会決勝まで進むことができたので、私たちなりに頑張った試合だったと思います。

3年生に上がると、突然FWからCBにポジション変更となりました。全くやったことのなかったポジションだったので、変更したばかりの時は、やる気がなくなってしまったり、不貞腐れたりして、楽しめていなかったと思います。今思うと、どうやってチームに貢献できるか、自分にできることは何か、個人としてもチームとしても強くなるために自分と向き合う時間をもっと作らなければいけなかったと思います。

自分自身、情けなく高校3年間が終わってしまいました。






大学では、もうしんどいことはしたくないと、サッカーは続けずに、専門学校などを考えていたのですが、家族に「今しかサッカーはできないよ」と、言われて中京大学で続けることにしました。

押しに弱いです。気づいたら納得していました。


1年目。高3の名残りからなのか、今では考えられないCBスタメン。自分自身は、黒歴史だと思っています。守備が上手い訳でもなく、ビルドアップが上手い訳でもなく、正直なぜ使っていただけるのか全くわからない中、とりあえず半年ほど頑張りましたが、大量失点。あ、ほんとに向いてないんだなと思うくらい清々しい失点数。楽しさを見出せてないと感じて、FWをやりたいと伝えたところ、少しずつやらしてもらえるようになり、1年の1月頃に正式にFWとなりました。

FWになったのは良いものの、全然点の決めれないFWで2年目、3年目では数えれるくらいしか決めれていなかったと思います。大事なところでしっかり決めきるFW陣がいてくれたおかげで、負けたくない一心でなんとか頑張ってこれました。


3年目にして、念願のインカレ出場。

自分自身は試合に出させてもらってるにも関わらず、インカレ予選で何一つ結果を残すことができませんでした。いつまでもFWの役割を全うできない不甲斐ない自分が嫌になりましたが、全国の舞台ではとにかく楽しむことだけを考えて挑みました。

楽しんでプレーできたおかげか、初戦で1点を決めることができました。ようやくチームに何か貢献できたのかなと思い、嬉しさと同時に大きな安堵を感じた忘れられない瞬間です。

2回戦の山梨学院ではボコボコにされましたが、それも含めて全国の舞台は本当に楽しくて、また戻ってきたくなる最高な場所でした。


4年目。全国の舞台を味わってしまったので、自分達の年でも絶対に行きたい!と、一応気合いは入っていた矢先に、前十字靭帯断裂。。。。

悔しくて泣くとかは全く無かったのですが、膝の怪我とは無縁だと思っていたので、自分でもなるんだなと、誰でもいつでも起こり得る怪我なんだなと実感しました。


人生初の長いリハビリは、意外とあっという間でした。

歩くので精一杯で早く走りたい時期、ランメニュー解禁されて嬉しい時期、ランニングの時間長くて音楽聴きながら走りたいと思う時期、走りのスピードが上がって徐々に嫌になってくる時期、ボール蹴れるようになったのに中々ゲームに参加できない時期、体力トレーニングばかりで嫌な気持ちを押し殺してとにかく走る時期。

みんなと一緒にサッカーができないこの1年は、気持ちの浮き沈みもありましたが、みんなが日頃の練習から頑張っている姿を見て、私もリハビリを頑張ることができました。

応援団の団員として、声でみんなの力になれるように頑張ってきましたが、試合中の私の声にみんなが反応してくれる瞬間は正直ファンみたいな気持ちになりました。きゅんポイントです。




そして、トレーナー、スタッフの方々には本当に沢山お世話になりました。きついリハビリもトレーナーさん達が鼓舞してくれるおかげで、手を抜かずにやり切ることができました。なんとか引退試合に間に合うことができたのは、トレーナーさん達の支えがあったからだと思います。本当にありがとうございました。




両親へ

これまで、どんな場所でもほとんどの試合を見にきてくれて皆勤賞だったのに、最後の1年は2人の趣味に近い私の試合観戦ができなくなってすみません。これを機に、新しい趣味作ってください。

来年からは、朝早く起きることもなくなりますので、しっかり睡眠とってください。

サッカー人生あとどれくらい続くか分かりませんが、もう少し頑張ってみます。




同期のみんなへ

4年間ありがとう!!!!!

明るい髪色はダメっていう暗黙の了解を1年目から余裕で破る学年。個性豊かで楽しかったです。

それぞれの道での活躍を応援しています☆




後輩へ

ほんとに先輩らしい先輩ではなかったけど、仲良くしてくれてありがとう!仲良くしてくれただけで嬉しいです。

来年こそは、インカレにいけることを楽しみにしています。





私はこれまで、人生の選択をする時には、常に楽しい方を選択して生きてきました。ほとんど自分の直感です。言語化するのは基本苦手なので、理由を聞かれると薄っぺらいことしか言うことはできませんが、どの選択も後悔は無く、自分にとって良い選択をしてきたと思っています。その結果、これまでのサッカー人生は常に楽しかったです。


これからも、特に根拠のない自分の直感を信じて、選択したことを良いものにしていけるよう、楽しく頑張っていきたいと思います。




気づいたら長々と語ってしまいましたが、最後まで読んでいただき本当にありがとうございました。

これからも、躍進を止めない中京大学体育会女子サッカー部への変わらぬ応援をよろしくお願いいたします!