#487〜「やっぱりサッカーが好き」〜4年〜村生悠乃
本日のブログは女子サッカー部所属
#13 村生悠乃(三重高校出身/4年)です。
こんにちは。
村生悠乃です。
サッカーに出会って17年。
これまで私の生活の中心はサッカー。
全てのスケジュールにおいてサッカーが最優先。
そんな17年間を自分なりに振り返ってみたいと思います。
また、この場をお借りして、これまでサッカーを通じて出会うことができたすべての方々への感謝の気持ちを綴らせていただこうと思います。
拙い文章かもしれませんが最後まで読んでいただけると嬉しいです。
結構長いです。
引退試合を終えた日、やりきった。という気持ちと、これから何をしたらいいんだろう。という気持ちになりました。
そして、引退してからまだ2週間も経っていないですが、もうすでにボールを蹴りました。
本当にサッカーが好きなんだなって感じています。
本題に入ります。
父と兄は野球をやっていて、夕方についているテレビは野球かニュース。祖父母も野球好き。
そんな家系で育った私が、たまたま家のポストに入ってたチラシをきっかけに始めたサッカー。この1枚のチラシをきっかけに私のサッカー人生は始まりました。
そして、これまでサッカーとは無縁であった村生家にサッカーという新たなスポーツが追加された瞬間でした。
多分この時は誰も大学生になるまでサッカーを続けるなんて思っていなかったと思います。
そんな私は、幼稚園年中から公園サッカーを始め、小学2年生から本格的に、気づけば17年が経っていました。気づけば17年間もサッカーにのめり込んでいました。
小学生の頃はケアなんかしなくても元気で、柔軟性は皆無。だけど、大きな怪我は特になく、チームも掛け持ちで2部練は当たり前。
体力は無限だし、ただ一生懸命ボールを追いかけ、チームのみんなと勝利を目指してボールを蹴る時間が大好きでした。
小6で初めての全国大会出場。
この時の嬉しさは今後も忘れることはないと思います。
振り返ると、この経験がもっと上を目指したい、うまくなりたいと思えたきっかけだと思います。
全国大会に出たこともあり、周囲からはちやほやされて完全に浮かれていました。
中学に上がるタイミングでサッカーを辞めるという選択肢は自分の頭の中に一切なく、地元のクラブチームへ所属しました。
ここで待っていたのは上下関係という大きな壁。
これまで生意気で、上下関係など強く意識したことのない私はだいぶ苦しみました。何よりサッカー以外のところに気を配らないといけないことがとんでもないストレスだったと思います。
とはいっても、1年生からコンスタントに試合に出させていただいたこともありかなり調子に乗ってました。
そして、変わらずサッカーをすることが楽しくて生きがいでした。
どんなストレスもサッカーをしてれば忘れられて、それほどサッカーに夢中でした。
小学6年生に続き、中学1年生のときにも全国大会を経験することができました。
結果こそ負けましたが、ラスト10分ぐらいで出場し、得点も決めれて、私にとって忘れられない試合になりました。
そんな私は2年生の途中で急にDFにコンバート。
得点をとること=サッカーの楽しさだと考えていた私にとって、センターバックになることはそう簡単には受け入れられるわけもなく。
今までとは全く違ったプレーを求められることに言葉では言い表せないような複雑な気持ちを抱えながらサッカーをしていたことも覚えています。
ですが、とにかくどんなことも楽しむマインドを幼い時から母に備え付けられた私は私なりに楽しさを見つけながら楽しんでいました。
そして、その経験があったからこそ複数のポジションをある程度はこなすことができたんじゃないかと、今ではとても良い経験になったと思っています。
多分中学1年生までが私の全盛期です。
今思うとだいぶ尖ってました。
高校に上がるときには本当に悩みました。
多分今までの人生で一番悩んだかもしれません。いや、就職先を決めるのも同じくらい悩みました。
高校選択についてはたくさんの方々に相談したことを覚えています。
自分の中でもたくさん葛藤しました。
高校に入ってからは思うような結果が出ず、これまで順調なサッカー人生だったこともあり、初めてサッカーを辞めたいと真剣に悩んだことも今ではいい思い出です。
今まで一緒にサッカーをしていたライバルが全国大会で活躍している姿には正直悔しさしかありませんでした。活躍する友だちを見ては目を逸らして強がっていたことも今では懐かしい思い出です。
ですが、当時の担任の先生を筆頭とする周りの方々の素晴らしいサポートのおかげで、卒業時には、胸を張って、三重高を選んで良かったと思うことができました。
今言えるのは自分が選択したことは何も間違っていなかったです。
三重高校でしかできない素晴らしい経験をさせていただくことができました。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
ありがとうございました。
サッカーが好きという一心で1番サッカーと向き合った3年間だったと思います。練習終わってからみんなと夜遅くまでボールを蹴る時間が大好きでした。
そして、中京大学入学。
高校入学時から大学についてはなんとなく決めていました。
1年目、当時の学生コーチの稲田くんの影響で、入学してから1ヶ月もしないうちに本格的にウエイトをするようになり、多い時には週に5日フィットに通いました。フィットに行くことがいつのまにかルーティンになって、行かないと気持ちが悪くなるような、そんな変な感覚に陥りました。
常に沸騰してるぐらい熱く、ごく稀に優しく向き合っていただいたこと、本当に感謝しています。
「フィット行って練習で100%の力が出ないのは意味ない。」的なことを言う割にフィットに行けば「悠乃が求めているのは今日のパフォーマンス?もっと先でしょ。」的なことを言いながら想像を超えてくるメニューが用意されていたことも良い思い出です。
筋肉痛を求め、筋肉痛を喜べるようになったのは紛れもなく稲田くんとあずさんのおかげです。
ありがとうございました。
1.2年はとにかくがむしゃらに。オフの日もボールを蹴ってフィットに行って。そんな毎日を過ごしました。試合に出られないことが多く、もちろん悔しかったけど、それ以上にサッカーが好きだという一心で、あっという間に2年が過ぎたと思います。
この時はまだ自分がサッカーを辞める未来なんて見えていなかったと思います。
友だちからも「悠乃はグラウンドで生涯を終えそう」なんて言われたこともあるぐらいサッカーが自分の全てでした。
3年生でインカレを経験させてもらって、久しぶりの全国大会は本当に楽しくて、サッカーやっててよかったって心のそこから思いました。
自分自身特に何もできなくて大敗して、楽しかったけど絶対また来年もここでサッカーしたいという気持ちが一層強くなりました。
そして迎えた最終学年。
めちゃくちゃ弱音を吐いたと思います。
自身のこれまでのサッカーに対する熱量とのギャップに違和感を覚えたことも何度もありました。
何回も書いてるかもしれませんが、これまでサッカーが大好きで、自分の生活の軸はサッカーで、それが苦痛に感じたことは一度もありませんでした。
だけど、遊んでいる友だちを羨ましく思ったり、本気で辞めたいって思ったことも何度もありました。話を聞いてくれた友だち、先輩方には本当に感謝しています。
日常生活全てがコンディションに影響することが面白くもあり、正直とんでもないストレスに感じたこともありました。同じケアをしたはずなのになんでこんなに差が出るのだろうと真剣に悩んだこともたくさんありました。これまでどんだけやっても物足りなかったサッカーから、距離を置きたいと思うことも何度もありました。
だけど、練習に行けば自然と笑顔になってて一生懸命サッカーをして、家に帰ったら嫌なことなんて全部忘れてました。
みんなと同じ目標に向かって全力でサッカーをする時間が本当に好きでした。
終わってみればあっという間だったし、本当にないものねだりだなと思います。
特に、いくみとかのんには助けられました。
深い話をするわけでもなく、意味の無い、わけのわからない会話をする時間が幸せでした。
正直、ここまで仲良くなるとは想像もしてなかったけど、いくつになってもずっと変わらない関係でいたいなって思ってます。
普段は絶対に言わないけど本当に感謝してます。
この歳になっても必死にボールを追いかけて勝利を目指して、みんなと同じ目標に向かって頑張れる環境で生活できたことを自慢に思います。同じ目標を持つ仲間と過ごす時間は幸せでした。
また、この4年間で初めて試合に出られないこともたくさん経験しました。試合に絡めない時期ほど他人に矢印が向いてしまうこともありました。ですが、そんな時ほど自分と向き合う時間を作ったり、友だちに電話をして現実逃避をしてみたり。自分と向き合うことが増えたことで自己分析も少しはできるようになったんじゃないかなとも思っています。
個人的にこれといった結果を残すことはできなかったですが、引退試合で現役最後のプレーをシュートで終われたことは良かったかなと思います。
欲を言えばもちろん決め切りたかったです。
私のサッカー人生は本当に仲間や指導者に恵まれました。支えられました。
今遊ぶ友だちも大半がサッカーで繋がっています。
サッカーしてなかったらここまで仲良くなることもなかったと思うとサッカーしていて良かったなって心の底から思います。
サッカーが繋いでくれた人との縁は私の最大の財産です。
実家に帰れば時間を忘れて、友だちと一緒にボールを蹴って、そんな時間が幸せだなって思います。
そして、これまでたくさんの指導者の方々に支えていただきました。この場を借りて感謝を申し上げます。
本当にありがとうございました。
そして、家族へのメッセージを。
お母さん
感謝の気持ちは既に直接伝えたのでこの場では最低限にします。
17年サッカーを見てきたはずなのに、未だにルールは曖昧で、スタンドでは多分誰よりも話している。プレー中に大きな笑い声が聞こえたことも何度もあります。
日本代表戦をテレビで見ていた時に、同じゴールシーンのリプレイで3回同じ喜びをした時には本当に頭を抱えました。
今まで、サッカーを続けて欲しいとか、プレーについて何かを求められた記憶もありません。
ただ点をとった時には誰よりも喜んでくれました。
礼儀と挨拶、楽しんでればなんでもいいと何度言われたことか。おかげさまでこの3つは自分の中の軸になっていると思います。
そして、誰よりもポジティブでなんでも楽しめるお母さんを尊敬しています。
今後、家庭を持つことができれば、お母さんみたいなお母さんになりたいと強く思っています。
どんな時も1番近くで支えてくれてお母さんがいなければ絶対にこんなにサッカーに打ち込むことはできませんでした。この場では伝えきれないほど感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとう。
お父さん
小学生の時スパイクを忘れた私に今すぐ帰ってこい。サッカーする資格なし。と言われたことが一番記憶に残っています。スパイクの手入れや用具の大切さやサッカーと向き合う心構えみたいなことを教えてくれました。
覚えてるかわからないけど、あのとき本気で怒ってくれてありがとう。あの日からこれまで以上にサッカーと真剣に向き合う覚悟ができました。
そして、これからは、なぜかお父さんと同じ道を歩むことになりました。
正直に言うと、お父さんみたいになりたいと意識した記憶は全くないです。
でも、どこかで意識していたのかもしれません。どこかでかっこいいと思っていたのかもしれません。
新しい道だけど自分なりに頑張ってみるのでアドバイスはほどほどに、あまり距離を詰め過ぎずに応援してくれるとありがたいです。
私がしたいと言ったことを何一つ反対せずたくさんの経験をさせてくれた両親にはすごく感謝しています。
一人娘で2人が思い描いてた女の子とはかけ離れたかもしれないけど、2人の元に生まれてこれた私は人間界1のラッキーガールだと思っています。
圭汰
公園で一緒にサッカーをして、たまに野球もして、喧嘩して帰る。今では喧嘩もいい思い出です。
足が速くて運動神経が抜群で羨ましく思うことも何回もありました。また一緒にボール蹴ろう。社会情勢に詳しくて社会性のある本当に頼れる弟です。
お兄ちゃん
競技は違ったけど特に最後の1年はほとんどの試合を見に来てくれてありがとう。
自分の友だちともすぐ仲良くなって誰とでも平等に話せてスーパーポジティブ。話し出すと止まらないのは困るけど、お兄ちゃんとサッカーの話をする時間がすごく好きでした。またサッカーでも野球でもしよう。
みんなの理解がなければこんなに素敵なサッカーLifeを送ることはできませんでした。
本当にありがとう!
こんな個性豊かな家庭で育った私はきっとこれから起こるどんなことも乗り越えていけます。
そして、誰よりも私の活躍を喜んでくれたおじいちゃん。(通称 グランパ)
ストレッチやプレーについてインターネットで調べて印刷して大量の用紙をくれました。
毎回帰る度にする握手はとんでもないパワーに変わっていました。私の名前を勝手に調べて、すぐ人に自慢する。恥ずかしかったけど、嬉しかった。いつも私の活躍楽しみにしてくれて本当にありがとう。スーパー努力家なグランパの姿は私の原動力の一つでした。
これからは一旦サッカーから離れるけど、天国にいるグランパがまた自慢したくなるような活躍ができるように頑張ります。
大学生になってからでも、試合をみにきてくれた友だち、連絡をくれた友だち。本当に私は友だちに恵まれているなと心の底から感じています。
みんな、本当にありがとう。
これからもいっぱい遊ぼう。
そして、先輩方には本当にお世話になりました。これまでのブログで名前を出したので名前は出さないですけど、生意気な私をたくさんご飯に連れてってくれて、社会人になっても遊んでくれて感謝しかないです。
これからもどうぞよろしくです。
サッカーが好きという気持ちだけでここまで続けられました。
中学校、高校、大学と進学をするタイミングでサッカーを辞めるという選択肢はなかったので、これからサッカーがない生活が自分の中でも初めての感覚ですが、好きなことを、やりたいことを見つけて楽しみたいと思います!
またいつの日かどんな形か分からないけどサッカーに関わりたいなとも思っています。やっぱりサッカーが好きみたいです。
長くなりましたが、一言でまとめると幸せすぎるサッカーLifeでした。
これからの中京大学女子サッカー部の更なる活躍を楽しみにしています。
応援しています!
