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#489〜「「わたしの人生、わたしの宝物」〜4年〜山田まりあ

女子

本日のブログは女子サッカー部所属

#30 山田まりあ(聖カピタニオ高校出身/4年)です。



14年間のサッカー人生が終了しました。

楽しかったこと、嬉しかったことはもちろん、悔しかったことも、辛かったことも、今思い返せばやっぱりかけがえのない思い出です。青春でした。

チーム競技だからこそ、数え切れないほどたくさんの感情をみんなと共有してきました。雨の日に室内で行われるきつすぎる階段ダッシュ、同期が先輩を呼び捨てしたため連帯責任として1試合丸ごとラントレーニング、遠征先に忘れてきたボールの数×グラウンド10周など、、。チームだからこそ経験できました、、。あくまでもこれらはわたしのサッカー人生のほんの一部に過ぎないですが、どんなこともとにかくみんなと共有できた瞬間は宝物です。

サッカーをやって良かった。心からそう思います。


少し長くはなりますが、14年間の青春を自分自身振り返り、ここに綴らせていただきます。最後まで読んでいただけると嬉しく思います。よろしくお願いします。


わたしがサッカーを始めたきっかけは、珍しいとは思いますが弟の影響です。当時はダンスやピアノに力を入れていましたが、運動が大好きでした。今のわたしからは想像できない人が多いと思いますが、背の順は1番後ろでガタイも良く、スポーツ向きでした。

母と、弟の練習を初めて覗きに行った際、わたしが「楽しそう。」とつぶやけばいつの間にか男子のサッカースクールに通っていました。

正直、本当に習い事程度であまり記憶がありません。唯一あるのは、行きの車内で流れるラジオの天気の歌です。ノリノリで歌っていました。小学校3年生から5年生半ばまでの話です。


 5年生半ばからは、ダンスもピアノも辞め、部活動もカラーガード部(ポンポン持って可愛くおどるやつ)からサッカー部に変更しました。

そのタイミングで、習い事の方も女子のサッカースクールに変更しました。

 練習は日曜日だけで少なくはありますが、その1回を楽しみに自主練も頑張っていました。試合では全ポジションを経験したと思います。キーパーも。ハーフタイムではよく、斜め45度上に手を挙げて返事をしていました(分かる人には分かるやつ)。

 小学生はとにかくサッカーを楽しんでやりました。


中学時代は名古屋のスクールに通いました。小学生の時に対戦して勝ったことのない同級生や先輩が大勢いるチームだったので緊張と不安でいっぱいだったのをよく覚えています。一気にこれまでとは環境が変わり、練習は週6、帰りの挨拶が終わった瞬間に全校で一番早く学校を飛び出して電車で名古屋に向かう日々でした。

 2年生からCBで試合に出させていただけるようになり、監督からは、「声で守備をしなさい。」と言われました。それからは、声で味方を動かすことを毎試合意識しました。声が小さいと怒鳴られ続けた試合は一生忘れないと思います。おかげで、守備において“声”がどれだけ重要なのかよく知ることができました。

 3年間で全国大会を4度経験し、U-18選手権で日テレ・メニーナに0-6で完敗したことはとても刺激になりました。


 中学でサッカーの楽しさをより体感し、迷うことなくサッカーを続けるために高校に入学しました。愛知で1位常連の学校でした。レベルの高い先輩たちばかりで、中学の時とは反対に、楽しみな気持ちが上回っていました。

 最初だけです。最初だけAチームの方で少し試合に出させていただきました。先輩方のレベルに付いていけてないことは実感していました。対人の場面で勝てない、そもそも体をぶつける守備が出来ない。思うようにいかないまま3年生になっていました。

 想像もしていなかったキャプテンに選ばれ、何で自分なのか訳も分からず戸惑いましたが、自分のことでいっぱいいっぱいにならないところが長所だとおっしゃってくださったので(多分感情を表に出すことが苦手なためにそう思われてたと考えられます。)、その長所がチームのためになればと思い、自分らしく頑張ろうと決心しました。しかし、キャプテンだからといって試合に出れるわけではありません。当時のわたしにとって一番大事なことはチームのことを考えることでしたが、自分自身のことでも悩み、正直家ではメンタルやられてました。

 色々ありましたが、試合にも出させていただけるようになり、最後の全国大会ではベスト8までもう一歩という結果で、悔いなく笑って終えることができました。


 わたしにサッカーは向いてなかったと思うようになり、泣きながら辞めたいと母親に伝えたことをよく覚えています。それでも引退した今、サッカーやって心から良かったと思えている自分がいるのは、中京だったから。そう思います。辞めると言っていたわたしを、最後まで誘い続けてくれたまちるさん、本当にありがとうございます。

 ブログでもよく書いていましたが、対人で負けない選手になりたいと思いとにかくチャレンジしました。でもやっぱりこの選手に絶対に負けたくない、抜かれないという強い気持ちで挑むことが一番対人に現れるなと思っています。わたしも少しは感情をプレーで表現できるようになったのかもしれません。

 そして、わたしの深刻な問題であったビルドアップ。チームにはたくさん迷惑をかけました。シュートのようなパス、パスのようなトラップなどチャンスをピンチにしてしまったり、無駄な場面が多々あったりと、チームの勢いを止めてしまっていました。

 わたしには最後まで特別な長所も無く、中途半端な選手でしたが、それでもサッカーができる喜びと、この最高の仲間と勝ちたい。この気持ちだけは絶対に忘れず、最後まで自分らしくやり切りました。4年間で悩む時間の方が長かったかもしれませんが、毎日練習に行くのが楽しみで、みんなと練習する時間が楽しくて逃げずにここまで来れたこと、みんなにはとても感謝しています。


 直前だったけど快く受け入れてくださった、大家さん。少し頼りない選手だったと思いますが、わたしには十分すぎる機会をくださり本当にありがとうございました。中京に入って、素敵な仲間たちに出会えたのは大家さんのおかげだと思っています。


 中京に必要不可欠だった、山下くん。トレーニングの面はもちろん、山下くんの真剣な中に出る面白さが、チームの雰囲気をとても良くてくれていたと思います。素晴らしいメニューをありがとうございました。これからまた違う場所でも頑張ってください。


 居る人全員が背中を押してもらえるような応援をしてくださった、由杜くん。最後の1年だけでしたが、たくさん指導してくださりありがとうございました。由杜くんのメニューもっとやりたかったです。これからも頑張ってください、応援しています。


 セットプレーの練習の時にゴール裏から的確な声を出してくださっていた、智くん。あまり深く関わることは無かったですが、ありがとうございました。練習前にキーパーの子たちと楽しくアップしているところが印象的でした。


 先輩方へ。一緒にサッカーができて楽しかったです。やっぱり、先輩方の背中は頼もしくてかっこよかったです。本当にありがとうございました。


 後輩へ。中学と高校で一緒にプレーした子たちが、たくさん入って来てくれて、また一緒にできて勝手に嬉しかったよ。

 後輩大好きだから、くだらないことでよく話かけてばっかりだったけど、その時間がとてもとても楽しかったです。

 みんななら、もっと強くなれるって確信してるから全員で気持ち1つに頑張ってください。そして、さらに後輩が入ってくるけど人見知り発揮せずにたくさん話かけてあげてね。今まで本当にありがとう。


 同期へ。4年間ありがとう。まよとりえもありがとう。入学式の時初めて顔合わせて、誰この人ってなったと思うけど、すぐに仲良くなれました。個性的な人ばかりで、本当にこの4年間楽しかったです。これから別々の道に進むけど、お互いに頑張りましょう、応援しています。


 そして最後に両親へ。ここまでサッカーを続けさせてくれたこと、本当にありがとう。練習試合も、試合もほぼ全部見に来てくれたね。キャプテンなのに試合に出てないとか、次の試合では自分だけ代えられてるとか、恥ずかしい想いをさせてごめんね。ままは気持ちをぶつけてくれて、ぱぱは何も言わず見守ってくれてありがとう。あんまり自分の気持ちは話さなかったけど、サッカーやってて良かったよ、楽しかった。


 長くなりましたが、読んでくださりありがとうございました。

 14年間のサッカー人生で出会えた全ての方々に、感謝しています。これからの人生は人を笑顔にできるように頑張ります。また、サッカーを通して学んだことを生かして自分らしく進んでいきたいと思います。


 初めて書いたサッカーノートを見返すと、リフティング記録3回と書いてありました。今は何回できるかな。