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Page18 「唯一無二」 松島大貴

ココロノオト~seazon4~


CU4年生 松島大貴です。

少し長いですが読んでもらえると喜びます。

特に俺と仲の良い後輩は読むと少し得することがあるかも?

 

題名にある「唯一無二」。これは1個目の題名が却下され仕方なくつけた飾りの題名です。

しかし私は私にしかできない唯一無二のことがあったからこそ、この中京大学サッカー部に馴染めたと思っています。それが何かというと真の題名であった…

 

「まつしまんままんまん」。僕の事を知らない人、または下級生は何を言ってんだこいつはと思うかもしれません。他のみんなの引退ブログの題名がどれもかっこよくて自分も題名を何にしようか迷いました。みんなの様なかっこいいやつが良かったけど僕がそんなかっこいい題名にしたら確実に馬鹿にされるのと、中京大学サッカー部に馴染めたのは確実に「まつしまんままんまん」のおかげなので全員に伝わらなくても、中京大学サッカー部松島大貴を象徴するこの言葉にしたいと思っていました。

そんな僕の大学サッカーを振り返りたいと思います。

 

大学1年生

僕らの学年はコロナの関係で全員が同じ日に練習がスタートしました。初めはU20からでありがたいことにすぐTOPに上げてもらうことが出来ました。しかし僕以外の4人の同期は数週間前に既にTOPに上がっていて既に馴染んでいる感じがあり、とても緊張しながら練習に行ったことを覚えています。そして初めての練習では緊張しすぎて身体が全く動きませんでした。そして周りのレベルも段違いで本当にこのカテゴリーでやっていけるのかとても不安になりました。しかし毎日の練習後には吉井さんが何人か集めてボール回しをやっていて自分もそれに混ぜてもらい少しずつ先輩に認知してもらいチームに馴染めるようになりました。それとなんといっても私はTOPチームにこそ上げてもらいましたが決してサッカーが上手い選手ではありません。そんな自分がTOPチームに馴染めたのは題名にもある「唯一無二」の存在になれて自分のキャラ、役割を確立できたからだと思っています。初めは新入生紹介の動画で少しちょけただけでしたがある日、それが先輩の眼に止まり、TOPチームで緊張して静かだった自分に「お前本当はそういうキャラじゃないやろ」とばれてしまい、そこからは先輩の誕生日が来るたびに私が締めを任されたり、チームが連敗して雰囲気が悪い時にグループLINEでチームを盛り上げるためにちょけの写真を送ったりとチームの盛り上げ係を担っていました。勿論サッカーでチームに貢献することが1番良いに決まっていますが、このような形でチームに馴染む、貢献するのも私は大事だと思っています。この年のTOPチームの先輩、同期は何をしても笑ってくれたり、盛り上がってくれたりしていたので非常にやりやすかったです。それとなんといっても私の十八番ともなった「まつしまんままんまん」。一見、知らない人がこの言葉を聞くと下ネタか?とも思われるかもしれません笑

しかしチームが優勝してトロフィーを掲げる時はこの瞬間が一番盛り上がると言っても過言ではないくらいみんな盛り上がってくれていてとても幸せでした。

だいぶ脱線しましたがサッカーの話に戻すとTOPチームデビュー戦となった総理大臣杯に繋がる東海トーナメント南山戦、この試合はPK戦までいってしまい荒井と深津、自分の3人のせいで一回戦で負けてしまうとドキドキしていました。そこから同じポジションでずっと試合に出ていた先輩が退部し、リーグ戦でもチャンスが回ってきました。しかし結果は6戦3勝3敗、上位対決は全敗ととても悔しい結果となりました。そこからは怪我をしていた先輩が戻ってくると自分はベンチにすら入れない日々が続き、インカレもメンバー入りできずにシーズンが終わってしまいました。とても悔しい思いをしましたが多田さん、さとる君がいつも面倒を見てくれて毎日の練習後には3人で自主練を楽しくできていて、トミさんや吉井さんには練習後の方が声出してるやんとよく言われていました。この年は今まで足をつることなどほとんどなかったのに毎試合決まって60分になると足をつることから「60分まつし」というあだ名がつきました。あとあとみんなに聞くと僕が足をつったら60分だと分かることから助かっていた選手もいるとかいないとか。この年の思い出はたくさんありますが、1つあげるとしたらやっぱり深津がパスコンで赤コーンに当てまくってトミさんに朝からブチ切れられたことっすね笑

 

大学2年生

この年はまさかのシーズンオフ中に遊びのサッカーで足首の靭帯を損傷してしまうというなんとも馬鹿なことをやってしまいリハビリからのスタートとなってしまいました。ここで多田さんから僕へと受け継がれたかのように誰がどう見てもそんなんでサッカーできるんかよっていう足首サポーターをしながらのサッカー生活となりました。しかしこの年は総理大臣杯で個人的にサッカー人生初となる全国の試合に出場するということを経験出来ました。今でもその試合で覚えてるのは、足がつっていたけど後半ラストに前の寛がボールを持ったので全力でオーバーラップしたけど使われなくてそのまま寛がシュートした時に俺の事を見て大爆笑しているしゅん君の姿がとても印象的でした。しかしこの年もインカレでは帯同するもベンチ外とまた悔しい思いをすることとなってしまいました。

 

大学3年生

この年からCUとなり開幕2連敗となるもそこから5連勝無失点、後期は2勝5敗で4位となりました。大学サッカーではこの年が1番試合に出ることができ、とても楽しかったイメージがあります。しかしシーズンが終わる直前の練習で怪我をしてしまいました。

 

大学4年生

最終学年となったこの年では昨年の怪我がまだ少し続いており、リハビリスタートとなり、ようやく復帰できたと思ったらクロスシュートの練習で安部ちゃんからのクロスの勢いに足首が完全にもってかれ、再発して復帰3日目でまたリハビリとなりました。今年もなかなか試合に出られない中で5月19日から3週間の教育実習が始まりチームを離れました。しかしこの教育実習が私の人生の大きな転機となりました。初めは3週間毎日朝から夜まで活動すること、新たな環境に飛び込むことに不安しかありませんでした。しかしいざ始まってみると、辛い、苦しいという感情は全く出てこず、むしろ私の頭の中は「楽しすぎる」「終わりたくない」ということしかありませんでした。そして3週間はあっという間に過ぎ、最終日が来ました。22年間の人生で寂しさで泣いたのは記憶にほぼないですが教育実習の最終日では自分でも引くほど泣いていました。この引退ブログを書いている今でも生徒から貰った寄せ書きや動画を毎日のように見たりしています。22年間生きてきた中で教育実習の3週間が1番有意義で楽しかったです。休み時間になると常に俺の事を探して違うクラスなのに教育実習生の控室まで必ず付いてくる生徒だったり、掃除の時間に掃除場所まで付いていかないと拗ねて掃除場所に行かないと言い出す生徒だったり、トイレの前で必ず待ち伏せしている生徒だったり、普段は全く喋りかけてこないくせに給食の時間に私の教室来て!と言ってくる生徒だったり、教育実習最終日には担当クラスの生徒とのお別れや教室の掃除、教頭先生への挨拶などで部活に行くのが遅くなってしまうと激怒りしていた生徒だったり、泣きすぎて部活を早退し、陸上部を見ていた私の事を終わるまで駐輪場で待ち伏せしていた生徒だったり、俺絶対泣かんから!と言いながら数分後には自転車に乗りながら大号泣している生徒だったり、生徒指導の先生にそろそろ帰りなよと言われてもしゃがみこんで大号泣してなかなか帰れない生徒に私が付けていた腕時計をあげたり、と本当に思い返せばキリがないほど楽しい思い出しかありません。全国の教育実習生の中でも自分が1番幸せで楽しんでいたと自信を持って言えます。

そしてまたチームに戻り、あっという間に全社の日になりました。しかし最後の大会で自分は青森でベンチ外となってしまい、チームも1回戦敗退となってしまいました。その時は負けた、そして引退という寂しさよりもベンチ外という自分への不甲斐なさでいっぱいでした。

 

大学生活をしっかり振り返ったのは引退ブログを書いている今が初めてでしたが思い返すとまだここにも書けていないことも含めたくさんの思い出がありました。1、2年の時はガミと家系➡家系➡二郎➡家系と何日連続でラーメン食べに行ってるんやっていうくらい外食をしたり、遠征先のホテルやお互いの家で何もかかってないのに死ぬほどスマブラで盛り上がったり、スマブラで2対1で貫太をいじめて貫太が怒って帰ったり、ゆきと君とガミと3人で飲みに行ってカラオケに行くと確実に2人は寝て俺が1人で数時間歌っていたりと、思い返してもガミとの思い出ばっかりやし、俺が楽しいと思うときには必ずお前がおったわ(笑)。自分がCUにいってからは練習時間が全く違ってご飯に行くことも遊びに行く回数も圧倒的に減って、ガミには怒られてるけど、お前も大学サッカー引退したらずっと言ってる朝から晩までオールで飲んでカラオケ行く計画と卒業旅行に行く計画実行しましょう!

 

いま改めて振り返ると、指導者の方々や同期、先輩、後輩、本当に周りの環境に恵まれてたと思います。本当に感謝してもしきれません。

 

後輩のみんな、ご飯行く行く詐欺してごめん。

この引退ブログ見て、連絡してきた後輩はご飯連れていきます!

 

 

そして最後に両親へ。

今までの22年間の人生、そして17年間のサッカー人生で何不自由なくここまで育ててくれてありがとう!実際に面と向かって感謝の言葉を言うのは恥ずかしいからここで書きます。

【お父さん】

お父さんはよくお母さんがいない時に「うちは裕福でもないし大貴には良い思い全然させてあげれてないけど大貴らしく頑張れ」と言ってきます。けど今思い返しても、自分が小5の時にサンフレファンになったら三重から広島まで2回も連れてってくれたり、旅行にもたくさん連れてってくれたり、ゲームセンターでメダルゲームやドラゴンボールヒーローズを何回もやらせてくれたり、欲しいものをたくさん買ってくれたりと十分すぎるくらい良い思いしかしてこなかったよ。

【お母さん】

年中の時にお兄ちゃんのサッカーについて行って楽しくてサッカーを始めたけどそこからサッカー、フットサル、陸上、塾、そろばん、ピアノ、バスケ、学童と、自分がやりたいと言ったものは必ずやらせてくれて、とても多くの習い事の送迎を文句ひとつ言わずに毎日やり続けてくれたり、高校から県外の自分が帰省するとなったら布団をセットしてくれたり、ジュースやお菓子、そして自分の好きな料理を必ず用意してくれて本当にありがとう。

今でも何歳の時かは忘れたけど、日帰り旅行だと思って帰りの車で寝ていたらサプライズで宿の予約をしてくれていてしゅんと2人で大喜びしたことを覚えてるよ笑

 

サッカーの試合も昔から毎試合のように見に来てくれてて、周りからはまた大貴の親、見に来てるやん。って言われてたよ。笑

普段は恥ずかしくて言えないけど、そんな親バカな2人が大好きです。

2人の子供で本当に良かったと心から思っています。

これからもたくさん迷惑かけると思うけど松島家の末っ子として自慢できる息子になれるように頑張ります!

 

以上、松島大貴の引退ブログでした!