Page23 「サッカー」 甲斐大嗣

U22A所属だった見た目はおじさん、中身もおじさん「おじさん」こと、甲斐大嗣です。
このブログでは、引退という節目にあたり、無難に自分のサッカー人生を振り返ろうと思います。
私がサッカーを始めた理由は、正直よく覚えていません。友達の影響だったのか、兄の影響だったのか。気がつけばサッカーをしていました。
小学2年生でサッカースクールに入り、5年生で町クラブへ。中学・高校では部活動としてサッカーを続け、気づけば大学生になってもサッカーをしていました。
サッカーを辞めるタイミングは、これまで何度もありました。それでも大学までサッカーをしていました。私はサッカーに侵されていました。
高校2年生のとき、前十字靭帯断裂という大きな怪我を経験しました。手術をして、約1年間のリハビリ。サッカーから長く離れる時間が続きましたが、「まだサッカーがしたい」という気持ちは消えず、大学でも続けることを選びました。
大学4年間、私は中京大学の5軍であるU22Aで過ごしました。
毎年、U22Aは最高のカテゴリーです。個性豊かな選手が集まり、中途半端で他責志向な選手が集まりがちな、一見すると最悪のチームです。それでも、私はこのチームが大好きです。
1年生のとき、数回の練習を経てU22Aに配属されました。1年生中心のU20には入れず、1〜4年生が混ざるU22Aへ。上級生がいる中で活躍できることはなく、1年間試合に出ることはありませんでした。
他のカテゴリーでは同級生が活躍していて、U22Aにもすでに結果を出している同級生がいました。表には出しませんでしたが、焦りや劣等感は想像以上に大きかったです。
2年生になると、少しずつ試合に絡めるようになり、スタメンやフル出場の機会もありました。調子が上向いてきた矢先、前十字靭帯を損傷し、2度目の手術をすることになりました。
入学当初は「再断裂したらサッカーをやめよう」と考えていました。しかし、実際は辞めていませんでした。サッカーに侵されていたからです。
4年生になると、就職活動や教育実習でサッカーに集中できないことは分かっていました。だからこそ3年生の1年間は、思いきりサッカーに打ち込もうと思っていました。
しかし、3年生のシーズンは怪我の影響で一度も試合に出ることなく終わりました。それでも、練習終わりに先輩がご飯や温泉に誘ってくれ、サッカーができない悔しさを忘れられるほど、楽しい1年でした。こういったところに、U22Aの良さがあると思っています。
4年生になってからは、できる限りサッカーを優先しました。それでも就活や教育実習で練習にいけないことがあり、見た目だけでなく体も「おじさん」になっていました。
技術も体力もないおじさんは、試合に出るために必死でした。4年生になっても試合に出られないこともありました。もちろん悔しさはありましたが、試合に出なくても楽しいと思えました。これがチームスポーツの良さであり、U22Aの選手だったからこそ感じられたことだと思います。
学生最後の試合では、フル出場することができました。足は攣っていて、正直あまり走れていませんでした。それでも交代せずに使ってくれた森さんには、本当に感謝しています。
サッカー人生を締めくくる試合で、長くピッチに立てたことは、本当に幸せでした。
私がしてきたサッカーは、最高のスポーツでした。
チームスポーツは、良くも悪くも人に頼ることができます。一人ではどうにもならない場面があり、誰かに助けられ、また誰かを支えることもある。そんな関係性の中でサッカーを続けることができたのは、これまで一緒にサッカーをしてきた人たちがいたからだと思います。
小学校から大学まで、同じピッチに立ち、同じ時間を過ごしてきたすべての人に感謝しています。
先輩にはプレーだけでなく、姿勢や考え方までたくさん学ばせてもらいました。後輩とは多くの時間を共有し、時には支えられ、時には刺激をもらいました。
結果として、たくさんの出会いがあり、そのすべてが今の自分をつくってくれた、かけがえのない思い出です。
そして今の自分があるのは、これまで指導してくださった方々の教えがあったからです。プレーだけでなく、人として大切なことも多く学ばせていただきました。本当にありがとうございました。
最後に、家族への感謝です。2度の手術の際も、たくさんサポートしてくれてありがとうございました。試合を見に来てくれたこと、送り迎え、ご飯の用意、用具の購入など、数えきれないほどの支えがありました。そのおかげで、サッカーを続けることができました。
本当にありがとうございました。
