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Page24 「地元のメッシ」 佐藤祥汰郎

ココロノオト~seazon4~


生まれ育った地元の小さな町では、僕は「メッシ」と呼ばれていた。
その町の中では一番サッカーが上手くて、有名だった。

ボールを持てば自然と人が集まり、試合では結果が出た。
努力すれば評価され、活躍すれば称えられる。
少なくとも、あの町では、自分は特別だった。

小学校では、父が代表を務める地元の少年団に入った。
そこでは、まさに清水町のメッシだった。
ドリブルが武器で、一つ上の学年に混ざっても主力。県大会にも出場し、得点数はいつもチームで一番だった。
サッカーをしていれば、自分が正しい場所にいると疑わなかった。

しかし、中学に進むと、その感覚は少しずつ崩れていく。
静岡市には「静岡市のメッシ」がいて、さらに上を見れば「静岡県のメッシ」と呼ばれる選手が当たり前のように存在していた。

全国優勝を果たすようなジュニアユースチームに加入した。
そこで初めて、自分が“地元のメッシ”でしかなかったことを思い知らされる。

地元の中学に通いながらの所属だったため、授業を早退し、電車で一時間かけて練習場へ向かう毎日。
宿題は電車の中でやり、帰宅は夜遅く。遅刻も増えた。
それでも試合に出られるなら耐えられたかもしれない。だが現実は、下の学年に落とされ、試合にも出られなかった。

チームは全国優勝を果たしたが、僕はピッチにすら立てず、帯同もできなかった。
そこで初めて、実力不足という現実を突きつけられた。

高校は清水東高校に進学した。
進学校でありながら全国優勝の経験もある強豪校。推薦で進学した分、期待も大きかったと思う。
しかし現実は、高校3年になるまでAチームでの公式戦出場は0分だった。

通学は片道1時間。朝は早く、夜は遅い。
勉強も思うようにできなかった。
ただ、同じ環境で結果を出している人はたくさんいた。結局、それは言い訳にしかならない。

それでも諦めず、筋トレを続けた。
高校3年生でようやくAチームに入り、インターハイでは得点王になった。
県大会決勝では、後にプロ選手を6人輩出する静岡学園相手に3−3。PK戦に持ち込み、自分も得点を挙げた。
勝てば全国という試合で負けた悔しさは、今でも夢に出てくる。

それでも、この時まではプロになれると信じて疑わなかった。

大学は中京大学に進学した。
ここから、人生が大きく変わっていく。

6チームのカテゴリー。ユース出身、強豪校出身が当たり前。
一番痛感したのは、プレースピードの差だった。
判断、身体の使い方、次のプレー。すべてが別次元だった。

練習参加も遅く、U20に残れるとは思っていなかったが、なんとか残れた。
1年目は試合に絡めなかったが、自主トレを重ね、生活面も整えていた。

2年目、CUのコーチにプレーを評価され、CUに昇格。
スタメンとして出場し、愛知県社会人選手権で優勝した。
本気でプロになれると思った。
地元のメッシだった頃の感覚が、少しだけ戻ってきた。

ただ、この年がサッカー人生を大きく変えた。
私生活の緩み。
飲み、睡眠不足、遅刻。
そこまでサッカーを愛し切れていなかったのかもしれない。

監督が森さんに代わり、人生で一番怒られ、一番迷惑をかけた。
そして、取り返しのつかない失敗をした。
嘘をついた。

練習前日の夜、朝までゼミで飲んでしまい、翌日は練習が終わるまで寝ていた。その時点で、自分はすでに2度の遅刻をしており、森さんからは「次に遅刻したらクビだ」とまで言われていた。

当然、この遅刻を正直に伝えれば終わりだと思った。
そこで自分は、チームメイトに協力してもらい、事実を偽った。
許されたわけではなく、見逃してもらっただけだった。

3年になり、CUには残れたものの、心は揺れていた。
プロになりたい気持ちと、このままでいいのかという迷い。
意識が、圧倒的に足りなかった。

MFからFWに転向し、試合に出られるようになった。
怪我は多かったが、サッカーは楽しかった。
全国大会にも出場し、得点も挙げた。

4年。就活という現実が現れた。
プロか、就職か。
どちらも全力でやると決めたが、現実を知った。
限界を知る前に、現実を知ってしまった。

最後の試合は、全国大会1回戦。
0−2で敗れた。
チャンスはあった。それでも決めきれなかった。

その瞬間、腑に落ちた。
これが自分のサッカー人生なのだと。

悔しさはあった。
でもこれはドラマではなく、現実だった。

サッカーはここで終わる。
これからは社会人として、新しいスタートを切る。

地元では、メッシだった。

プロサッカー選手を目指して、
自分の能力に目覚めたかった。

でも、限界を知る前に、
現実を知ってしまった。

夢を見ている途中で、
僕は目が覚めた。