Page25 「サッカーノート」 中島惇希
こんにちは。CU4年の中島惇希です。
時間が過ぎるのは早いもので気づいたら4年生になっていて、約16年間のサッカー人生もあっという間に終わってしまいました。今まで自分の人生を振り返ることはあまりしてこなかったので、この引退ブログを通して自身のサッカー人生を最後のサッカーノートとして振り返っていこうと思います。拙い文章ですが、最後まで読んで頂けたら嬉しいです。
サッカーを始めたきっかけはイナズマイレブンというアニメにハマったことだった。アニメの主人公に憧れてオレンジ色のバンダナを頭に巻いていた時期もあった。そして、幼稚園に芝生の広場があったこともあり、友達とボールを蹴っているうちにサッカーが好きになっていた。最初は軽い気持ちで友達とフットサルを習いに行き、そこでサッカーチームを紹介された。そのフォルトゥナというチームで約8年間練習に励んだ。そして、小学3年生の時に人生最大の転機が訪れる。チームに専属のGKがいなかったため、普段は順番でGKをしていた。しかし、とある練習試合でGKをした時、コーチに「身長が高いからGKやってみないか」と提案される。ちょうどGKというポジションに楽しさを感じていたので迷わず承諾した。それが本格的なGKの始まりだった。
GKは自分1人しか居なかったため、すぐBチームからAチームに昇格し、スタメンで試合に出れてとても嬉しかった。しかし、そんな思いも最初だけだった。慣れないポジション、技術の無さ、周りのレベルの高さなど環境が大きく変わったことで全然上手くいかなかった。練習や試合でミスをし、監督に怒鳴られる。そして自信を無くし、またミスをする。そんな繰り返しだった。そして、怒られたくなくて練習を本気でやるようになる。当時は、めちゃくちゃ嫌だったけど今思えば、この経験が成長に繋がっていたのだと感じることができる。フォルトゥナに所属していた8年間が22年間の中で1番怒られた期間だったと思う。正直、練習行きたくない時やサボったりした時もあったけど、サッカーを嫌いになることはなかった。それどころか小学校高学年、中学辺りになるとプロサッカー選手を本気で目指すようになる。チームとしては、県内で1.2位など上位を争っていたが関東大会の壁が厚く全国に出ることが出来なかった。
そして、高校は清水エスパルスユースに行く。自分でもなんで入れたのか未だにわからない。県トレでの活動や中体連タウンクラブキャンプなどを見てくれていたらしいが、よく自分に声を掛けたなと思う。エスパルスに入って最初の頃はとにかく周りのレベルが高くてついて行くのが精一杯だった。1年次はAチームに関わることはできず、Bチームでとにかく練習を送る日々だった。最初の1年はGKコーチがブラジル人コーチということもあり、フィジカルトレーニングが中心でめちゃくちゃきつかったのを覚えている。学校に行き、帰ってきてすぐに練習に行き、帰ってきてご飯と風呂を済ませたら倒れるように寝るそんな毎日だった。2年次にやっとベンチ入りすることができた。しかし、先輩の壁は厚く、スタメンで出ることは出来なかった。この年はコロナの影響もあり、練習や試合を出来ない期間もありなかなか難しい年だった。いつもバスで40分くらいの練習場に自転車で行っていたのを思い出す。そして、高校ラストの3年次にやっとスタメンで試合に出ることが出来た。同級生にもう1人GKがいて、その同級生とスタメンを争い、順番に試合に出た時期もあり悔しい思いもあった。しかし、それよりも試合に出れたことが嬉しかった。結果はプレミアリーグEAST2位、クラブユースベスト16とどちらも優勝することは出来なかったが、非常に貴重な経験を積ませてもらった。先輩、後輩、同級生が何人もプロになるようなチームでサッカーができてとても幸せだった。
そして、中京大学。大学での4年間は波のある4年間だったと思う。
入部前は最初から活躍して、TOPチームに関わりたいと思っていた。しかし、その思いはすぐに終わってしまう。5月辺りまでU20に所属していたが、そこで試合に出れず欠員が出たCFCに移籍することになった。そのことを伝えられた時はそこでなら試合に出れるという嬉しさとU20では試合に出れなかったという悔しさもあり、なんとも言えない気持ちだった。しかし、その気持ちはすぐに前向きな気持ちに変わった。それはCFCの先輩たちのおかげだ。正直、CFCは上から3番目のカテゴリーであまりレベルは高くないと思っていたが、全然そんな事はなかった。一人ひとりの技術もあるし、サッカーに対する意識も高かった。そして、チームに1年生が1人である私に対しても優しく声を掛けてくれる温かい人間性もあり、それにとても助けられた。CFCに入ってからはこのチームに貢献したいととにかく頑張った。その頑張りと先輩たちの力のおかげで全社に出場することが出来た。しかし、1回戦で負けてしまい先輩たちにも申し訳なかった。さらにリーグも1部から2部に落としてしまい、不甲斐ない結果に終わってしまった。
2年次もCFCに所属した。去年落としてしまったこのチームをまた1部に上げようと意気込んでいたが、それは叶わなかった。選手権も愛知予選で負けてしまい、なかなか上手くいかなかった。チームだけでなく個人としてもミスが多かったり、試合に出れない時期もあったりで全体的に上手くいかないシーズンだった。昨シーズン試合に出ていた分、試合に出れない時期は全然集中することが出来なかった。
3年次にはCUに上がるが、試合に出場することが出来なかった。このシーズンが1番モチベーションを保つのが難しかった。1年を通して全く公式戦に出ないということがサッカーをしてきて初めてだったからだ。何のために練習してるんだろうと思うこともあったし、手を抜いて練習をしてしまうこともあった。今思えば、哲さんに心配されるほどだったから相当やる気が無いように見えたんだと思う。
そして大学ラストシーズン。ラストもCUでプレーした。ラストシーズンは試合に出て活躍する時もあれば、試合に出てミスする時もあれば、試合に出れない時もあるという複雑なシーズンだった。まず、愛知選手権では、優勝は出来なかったが準決勝のPK戦を自分のセーブで勝てたことが記憶に残っている。リーグ戦ではチームがなかなか上手くいかず、雰囲気が悪い期間が長かった。自分自身もチームを勝たせるということができなかったし、後輩が試合に出るということも多くあり不甲斐なかった。でもこのチームでサッカーができてよかった。正直悔いが無いかと言われたらそうではないが、しっかり最後までやりきれたと思う。この大学4年間は今までのサッカー人生でモチベーションを保つのが1番難しく、だからこそ自分と向き合うことが出来たと感じる。
小さい頃からの夢だったプロサッカー選手にはなれなかったですが、約16年間でサッカーから学んだことは必ず自分の財産であると信じています。時には努力を怠ったり、やる気が無かったりした時もありましたが、全力でサッカーと向き合ってきました。その過程で多くの人との関わり。継続力、忍耐力などの能力を培うこと。目標を達成した時の達成感など多くのことを得ることが出来ました。これから社会人となり、今までとは別の様々な困難があると思いますが、根本は今までのサッカーと一緒だと思っています。なので、今まで培ってきたことを活かし、きつかった練習を思い出しながら社会に出ても頑張っていきたいと思います。
最後に両親へ
まず16年間支えてくれてありがとう。なんの不自由もなく自分の好きなことをしてこれたのは両親のおかげです。練習や試合の送迎、試合の応援、日々の生活のサポートなど本当に感謝しています。進路選択の時にも自分の意思を尊重してくれ、後押ししてくれました。今まで大変な思いや迷惑をいっぱい掛けてしまったけど、文句1つ言わずに支えてきてくれてありがとう。その支えがあったからここまで頑張ってこれました。16年間もサッカーを続けさせてくれてありがとう。両親から多くのものを貰ってばかりなのでこれからの人生で恩返ししていきたいと思います。
サッカーを通じて多くの人と出会い、助けられました。関わってくれた全ての方に感謝しています。
拙い文章でしたが、最後まで読んでくれた方ありがとうございました。
