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Page26 「歩み」 東下茅広

ココロノオト~seazon4~


こんにちは。TOPチームの東下茅広です。

とうとう引退ブログを書く立場になり、時の流れの速さに驚きます。今年でサッカー選手を引退したので、この場をお借りして、これまでのことを振り返っていこうと思います。拙くてまとまりのない文章になりましたが、最後まで見ていただけると幸いです。

 

自分がサッカーを始めたのは小学校の入学前だったような気がします。当時、兄がサッカーをしていたこともあり自分も自然とサッカーをするようになっていました。

その時の自分は身体が弱くて、すぐに体調を崩し入院と退院を繰り返してばかりで手のかかる幼少期でした。しかし、サッカーを始めてからは病院に行く回数も格段に減り少しずつ身体が丈夫になっていきました。小学校に入ってからは本格的にサッカーをするようになり、学校の休み時間や放課後の公園でも毎日ボールを蹴っていたような気がします。

当時ヴィッセル神戸の試合を見に行った時にGK徳重選手のセーブを見てただ単純にキーパーってかっこいいなと思い、小学4年生あたりから地区大会が始まるのをきっかけにGKをするようになりました。シュートを止めて仲間に「ナイスキー」って褒めてもらえるのが嬉しくて、GKの魅力にハマっていきました。

 

中学校は、トレセンの時からご縁のあったGKコーチがいたチームに所属することを決めました。GKの初歩的な技術や考え方など様々なことを教えていただきました。兵庫県の各地からいろんな選手が集まったチームで曲者が多く、多くの仲間と出会いたくさんの刺激をもらい成長できたと思います。中でも同ポジションに人がいて、みんなでバチバチに競いつつもどこかでお互いを尊重しているGKファミリー特有の雰囲気を味わうことができてGKをやっていてよかったなと思いました。

 

高校は、運良く静岡学園のスカウトの方にお声をかけていただきました。ですが、当時静学に行くためには学業での成績が足りず、サッカーに行くまでのバスの中や、オフの日の放課後に友達に教えてもらいながら、必死で勉強したのを覚えています。合格の通知が来たときはとても嬉しかったです。

高校に入ってからの初日の練習では、1学年90人近い大所帯にも衝撃を受けましたが、それよりも一人一人の技術の高さに驚き、入る高校を間違えたなと本気で思いました。自分が誰よりも下手で毎日GKコーチには怒られてばかりでうまくなりたいと強く思いました。高校1年時には、先輩が全国優勝という快挙を挙げ、自分もこのピッチで試合に出たいと思い、より一層練習に打ちこみました。しかし、3年間でなかなか出場機会に恵まれることはありませんでした。ですが、今振り返ってみるとこの3年間が自分のサッカー人生において最も成長できたと実感したし、最後に厳しかったGKコーチに「うまくなったな」褒めてもらえた時は泣きそうになるほど嬉しかったです。

 

静学OBの海野さんとのご縁もあり中京大学に進学することになりました。

海野さんにお声がけをいただき中京に来たのに自分が入学したころには海野さんではなくテツさんに代わっていました。そんなイレギュラーもありながら始まった大学生活の最初の練習で四つ角にコーンが置かれているのを見てGKは走らないと思っていたら、テツさんが「キーパーも一緒ね」と一言。

震えました。

この外周のことはもう思い出したくもないのでここに書くのは伏せます。察してください。

そんな感じで始まったこともあり、「大学でも試合に出られないな」なんて思っていたらU20のIリーグでは開幕からスタメンで使ってくださり、ほとんどの試合に出場することができました。夏頃には、せら君とゆう君が同時にコロナにかかり自分がTOPチームで試合に出ることになりました。終始緊張しながら試合に出ていました。この試合はかんちゃんが直接フリーキックを決めてくれてそこで緊張がほぐれました。かんちゃんありがとう。このときは頼もしかったよ。9月に入ってからも2試合TOPチームで試合に出していただきました。ですが、静産、東学で計5失点。どちらも勝つことができず悔しい思いをしました。

U20は個性的なメンバーが多くてグランドに来るのが楽しかったです。なかでも、圭真とは自主練も筋トレも一緒にしてこいつの意識の高さのおかげでいい刺激を毎日もらっていました。新人戦が終わったころには屋嘉比とかずまとひろしとともにTOPチームに上げてもらってインカレにも帯同させてもらいました。そこで1年ながらフル出場していた、ひろし。試合終盤に出て湧かせてくれたかずま、緊張のかけらもない屋嘉比はかっこよかったです。

高校性の時の自分とは比べ物にならないほどたくさんの試合に出してもらって充実した1年でした。

 

2年目。この年で印象に残っているのは2つ。和歌山遠征とタムの原付です。

まず和歌山では、ガミに愛のある(?)イジリかイジメかわからない扱いを受けました。いじられるキャラでもなかったのに執拗にいじられました。そのおかげでチームに馴染めましたが、決していい思い出ではありません。ありがとうね、ガミ。

ちなみに陽太はガチでひいていました。(笑)

部屋に戻っても、大部屋でそうた君や静学の先輩でもある藤井さんのお達しでコントをやらされることになりました。しかも、入学して間もない、話したこともないおりさんと。謎にノリノリだったおりさんのおかげでこの危機を脱することができました。おりさん、この時の俺らよく頑張ったよ。

そして、もう一つのタムの原付。バイト帰りに交差点で単独でスリップして泡を吹いていたというタムのおかげで、解放されたと思っていたU20とTOPとの2部練が再開することになりました。

タム、無事でよかったね。この時期はしんどかったわ。(笑)

後輩のケガや事故もありTOPとU20を行き来していましたが、TOPでもあまり試合に絡めていなかったのでU20で試合に出られたのはすごくありがたかったです。後輩が多くいる中で自分が馴染めるかは不安でしたが、ここでも圭真の存在と本来ならTOPチームにいたはずのかずまの存在は大きかったです。ほんとはもっとサッカーのこと書こうと思ってけど、この2つの出来事が強烈すぎたので割愛させていただきます。

3年目。シーズンが始まる前にテツさんと1対1で面談がありました。

「ちひろはCUでプレイしてもらう」

雷に打たれたような衝撃でした。

当然のようにTOPチームでプレイすると思っていたのでこの言葉はずっしりと重かったです。そんな絶望の中、面談後たまたまグランドにいたガミにこのことを話すと笑いながら「よかったやん」と。

この時に自分は腸が煮えくり返るという言葉の意味を理解しました。

TOPチームにもう一度、戻ることを目標にCUで頑張ることを決めました。CUでの最初の戦いは愛知選手権でした。ここで負けてしまうと全社へ出場できなくなるので重要な戦いでした。印象深いのは、いろいろあった2回戦の知多クレスク戦。まずは、アップ中に相佐GKコーチのミスキックが越さんの頭に直撃する事件がありました。試合が始まると立ち上がり早々に格下の相手に先制され、追う展開に。前半のうちに追いついたものの、その後、点が取れずに1対1のまま終わるかと思っていましたが、後半22分、アベちゃんがペナルティエリア内の相手との競り合いでファールを与えていまい、PKの判定へ。そのジャッチに田中魁人がブチギレて暴言でイエローカード。その後も怒りは収まらず、再度審判に対して「赤出すんやったら出せや」 

PKに集中したかったのに魁人の態度にひやひやして全然集中できませんでした。逆にそれのおかげで変に気負うことなく止められたのかもしれません。試合はそのまま同点で終わり、PK戦へ。

相手に1本目を決められ、CUの一番手の越さん。たっぷり時間をかけて蹴ったボールはポストに弾かれました。2本目はお互い決め、誤審の3本目。クロスバーにあったボールは地面にバウンドした後に、外に出ました。そのバウンドした時にボールは間違いなくゴールラインを割っていました。しかし、副審がぼけていてボールの行方を追っておらず、ノーゴール判定に。首の皮1枚つながりました。その後自分が4本目を止め、なんとか勝つことができました。危うく、9月のリーグ戦をもってCUの戦いが終わるところでした。その後のリーグ戦績は松島大貴が書いていたので割愛します。

夏の東海選手権でもトラブルはありました。途中交代で入ってきた健之介が出場からわずか2分で2枚のイエローカードで退場。試合は一気に劣勢になりました。 また、試合中のカメラ撮影を担当していた牧野が熱中症で帰宅。

いろいろありましたが、全社に出られてほんとによかったです。

全社での戦いはほんとに悔しい結果で終わりました。珍しく祥太郎が点を決めて、リードした状態でしたが、前半の終了目前で相手のミドルシュートを伊藤楓太が顔面ブロックでしのぎましたが、それがハンドの判定となりPKへ。一度は止めましたが、こぼれ球を決められ同点に追いつかれました。決められた直後に伊藤楓太が一言。

「審判、〇ねよ」

ピピーッ!  イエローカード。

当たり前です。

むしろ、イエローで済んでよかったです。

そのあとの「審判に言ってないよ!」と抗議。

しらこすぎです。

PK戦の末、初戦敗退に終わりました。

自分自身、このシーズンはケガで離脱することなく全試合フル出場することができたし、初めて全国の舞台も経験できて、大きな自信になりました。

その後、目標であったTOPチームに戻れた時は安心したし、わずかな時間ではありましたが、当時の4年生とサッカーができて嬉しかったです。TOPに戻ったときに「おかえり」と押くんに言われたときは、ふいに涙が出そうになりました。

 

ラスト4年目。

覚悟をもって挑んだ大学ラストシーズン。自分がシーズン前に思い描いていたような結果を残せず、今までのサッカー人生の中で一番しんどい1年でした。

始まってすぐにあった台湾遠征。これはもはやただの旅行。楽しかった。いい思い出です。

その後の和歌山遠征は、過去1ぐらいきつかったけど、あきととともに励まし合いながら乗り越えることができました。

そして、スプリングカップ初日。ここからという時期に脳震盪での離脱。

身体は元気なのにプレイができないという不思議な時間でした。この時期に思いがけず自分の将来と向き合う時間が出来て、就活を通して多くの大人と話したことでサッカーをする未来よりも就職する未来の方が自分にとって幸せになれると考え、就活に励みました。脳震盪から復帰して、コンディションも戻ってきたところにターンオーバーで自分にもチャンスが与えられました。南山戦、今季初のホームゲームイベントを福井主務が企画してくれました。たくさんの来場者の中での試合は特別感があり絶対に無失点で勝つと相当気合を入れて臨みました。結果的にチームは1対0で勝ちましたが、その試合で右膝の骨挫傷を負い、自分が離脱をすると控えGKが不在になるというチーム事情により離脱もできなくて痛みを抱えたまま、プレイをしていました。この試合以降、またベンチを温める日々が続き、中断期間の練習中に右膝の内側側副靭帯のⅡ度損傷をして、再び離脱。今までほとんどケガをしてこなかった自分にとって初めての経験でした。ケガの辛さやしんどさをラストシーズンに思い知りました。2か月のリハビリを経て、復帰したもののグランドに大重の姿はなくてさみしかったです。そこからなかなか試合に絡めず、武器のキックも思うように発揮できず、ただただやるせなさを感じていました。自分のコンディションにばかりに目がいき、4年生なのにチームのことに目をやる余裕がなくて同期には負担をかけてしまったなと思います。特に健一は慣れないキャプテンという役職でチームを引っ張っていたところを支えないといけなかったのに逆に自分が負担をかけてしまい、申し訳なかったなと思います。最後の試合にも出場はできませんでしたが、途中で投げ出すことなくこの辛いシーズンを乗り超えることができたのは、間違いなく同期のおかげです。練習後に飯行ってそれぞれ愚痴を言い合う時間。あれがなければ、やめていたかもしれません。この先、つらいことがあってバット入ったらまたなか卯に集合しましょう。

 

長くなりましたが、ここまで見ていただきありがとうございました。

 

最後に両親へ

ここまで何不自由なく育ててくれて本当にありがとう。ほんとはプロサッカー選手になってたくさん稼いで新しい車買ってあげたり、家のリフォームしてあげたり。こんな形で恩返しをしたかったけど、それはできなかったからこれから働いて少しずつ還元していくね。遠いグランドへの送迎や、朝早くに起きて作ってくれたおにぎり。ありがとう。どんな時でも背中を押してくれたことに何度も救われました。そのおかげで俺はとことん自分の好きなサッカーを好きなだけやりきったと思えるほど、堪能することができました。常に俺の最大の味方であり続け、非凡な才能の開花を誰よりも信じてくれて、最大限の応援してくれて、ありがとう!