Page29 「大学サッカーからの贈り物」 武藤寛

TOPチーム4年の武藤寛です。
普段からこうやって自分の今までを振り返って話すことはなかったので、この場を借りて自分のサッカー人生について振り返らせてください。とりあえず自分が書き残したいことを書いたので誰かの心に響く言葉があれば幸いです。少し長くなるかも知れませんが、最後まで読んでいってください。
大学サッカーの話の前にまずは中3の頃の話をさせてください。
中学の頃はフェルボール愛知というチームに所属していました。中学のころからあまり目立つようなプレーヤーではありませんでした。試合にはぼちぼち出させてもらっていたけどまわりにはサンフレユースやヴィッセルユースに進んだ子など、他にもめちゃくちゃ上手い子たちばかりで、僕が目立てるようなチームではありませんでした。中3になった時に次々と周りの子たちの進路が決まる中で僕はなかなか決まりませんでした。あまり誰にも言っていなかったと思いますが、中京大中京の練習にも参加したけど声はかからなかったです。そんななか、8月くらいに市船のセレクションに行かないかと監督に言われました。なかなか高校が決まっていないこの俺が全国有数の強豪校である市船のセレクションなどに行っていいのかとその時は思いましたが、挑戦はしてみたいと思いました。この事を両親に話すと猛反対されたのを覚えています。そもそもセレクションを受けに千葉に行くことにもお金がかかるし、たとえもし受かったとしても3年間試合に出れなくてもいいのか、と言われました。今思えば、両親の言うとおりだったと思います。それでも僕は行ってみたいと言い、セレクションに行かせてもらいました。
セレクションの結果は保留でした。おそらくですが、本当に取りたい選手が他にいて、その選手は他のチームからも声がかかっていたため断られた時の補欠だったんだと思います。保留ではあったものの少ししてから、セレクションの合格の連絡が来ました。これは行かない選択肢はないと思い、市船に入学することにしました。
次に高校の話をさせてください。
高校では、1年生の頃の夏合宿が1番に頭に浮かんできます。あんま言えないけど今までにこんなきつい体験はした事ないし、今後の人生の中でこれを超えるきつい事はないと言えるくらいきつかった事を覚えています。あと、僕のサッカー観に変化が生まれた出来事もありました。たしか2年生くらいでした。試合の後に当時の市船のコーチから、「セカンドボール拾えないなら、試合出す意味ないよ」と。とてもショックでした。おれはセカンドボールを回収するための選手だったのかと。そもそも、自分のことなのに自分の特徴を理解していませんでした。今思えば、サイズもない、技術もそこそこの選手が生き残っていくには何か特徴がないと、というメッセージだったんだと思います。そこから、セカンドボールに対する執着心が高くなったと思います。たとえば、ボール状況を見てボールがどこにこぼれそうかとか、競り合いになるときには、どっちの方が優位でどっちが勝ってどこにボールがこぼれそうかとか、セカンドボール一つに対して、プレー中にここまで考えるようになりました。いつしか自分の特徴がセカンドボールに対する反応になっていました。そこから何か吹っ切れたのか、少しずつプレーが良くなっていきました。
あと、今では複数ポジションをこなすことができることも高校の頃のおかげだと思います。高校3年ではボランチの起用もあったけど、サイドハーフやウィングバックでの起用も多くありました。特にここのポジションがやりたいとかはなく、正直どこで出てもいいとも思っていました。どこのポジションでもできていわゆるユーティリティープレーヤーというのは、悪く言ってしまえば、特に特徴のない選手かもしれないけど、よく言えばどのポジションでもできて、使いやすく汎用性の高い選手ともいえると思います。自分も中学のころから特に目立つようなプレーはできなかったけど、高校からどのポジションでもプレーできることも1つの特徴と捉えるようになったことで、チームにとっての自分の価値や自分のやるべきことがはっきりしてきたんじゃないかなと思います。またプレミアリーグや選手権というレベルの高い緊張感のある試合でほかのポジションを経験できたこともそれからの自信になったように感じます。高校3年ではおそらく、プレミアリーグや選手権などの公式戦全てにフル出場させてもらった気がします。中学の頃の自分では考えられないくらいの活躍をできました。市船に身を置いて3年間プレーできたことは自分にとって大きな財産であり、自信になりました。
こんな感じで話してますが、実は高校の時点で大学に進んでもサッカーはやらないと考えていました。読んでいる人たちの前で言うのもおかしいですが大学サッカーにあまり魅力を感じなかったからです。高校サッカーには選手権があり年末年始にテレビ中継もあって、日本中の人たちが注目する大会がありますが、大学には地上波でやるような大会はありません。また高校の頃の勝手なイメージですが、大学ではバイトや遊び、就活などの次にサッカーがあって、本気でサッカーに取り組んでいる人はほんの一部だと思っていました。一応、関東や関西の大学からの推薦の話もありましたが全て断ってしまっていました。しかし、夏頃からやっぱりサッカーをやりたいと思うようになりました。そこで、進学を考えたのが中京大学でした。中京ならサッカーをやりながら卒業すれば、言い方が悪いかもしれないけどある程度の東海圏の企業に就職できそうと考えていたからです。8月か9月と遅い時期に中京大学の練習に参加しました。そこで覚えているのが当時丸岡高校で、入学してから仲良くした、るのとこうしろうが一緒に練習参加していたことです。練習参加の時期が遅いこともあり、スポーツ推薦枠が残り少なく、3人でその枠を争う形になりました。結果としてスポーツ推薦枠は、るのに取られる結果となりました。それから他の大学に練習参加することも考えましたが、時期も時期だったので公募推薦という入試方法で中京大学の現代社会学部を受験することにして、無事合格でき、入学することができました。
大学での最初の練習は新一年生全員でしたのを覚えています。そこからプレーを見てカテゴリーを振り分けられる感じでした。もちろんやるからには上のカテゴリーでやりたいと思っていましたし、その自信も多少はありました。しかし、現実はそんなには甘くなく、大学サッカーの始まりはトップチームではなくU20という主に1年生で構成されたチームでした。U20結成からまもなくして、リーグ戦が開幕しました。僕はベンチ外で、また次の試合もベンチ外としばらくベンチ外が続いて、出れたとしても数分というのがその時の僕の立ち位置でした。自分のプライドをズタズタにされて、それがすごく悔しかったんだと思います。その中でも1番悔しかったのが、アウェイの岐阜協立大学とのリーグ戦に行った時のことです。自分たちの前の試合に主審と副審を出さないといけないという決まりがあって、主審は新田バモスでおなじみの新田ゆうせいでその副審に僕が任命されました。そのあたりから自分のサッカーへのやる気に再びスイッチが入った気がします。とにかく練習に全力で取り組み、ものすごく吉井さんにアピールした記憶があります。そこから出場機会は少しずつ増えていき、夏休みの頃にはスタートで使ってもらえるようになりました。また、夏休み中にはトップチームに怪我人が多かったこともあり、トップチームの練習に参加させてもらえるようになりました。そこから、トップチームに関わることが増えて、冬のインカレ前には東海リーグに初めて出場させてもらうことができました。そして、僕にとって大学サッカーで1番の転機が訪れます。インカレの初戦にスタートで出させてもらうことになったのです。東海リーグでのスタートも経験していないのに、正直なところ自分でいいのかという気持ちがありました。けど、緊張はほぼしていなかったと思います。初戦の福岡大では PK戦までもつれこみ、決めれば勝ちの場面で自分が枠外に外してしまいましたが、周りの助けもあってなんとか勝つことができました。次は筑波大学とのベスト8をかけた試合でした。その試合もPK戦の末勝つことができ、準々決勝に進むことができました。準々決勝では新潟医療にPK戦の末負けてしまいましたが、僕にとってとても価値のある楽しい大会でした。また、全国の強豪相手にも通用すると自分の可能性を感じることのできた大会になりました。そして何よりもu20のみんなには感謝しかありません。毎日の練習やそのあとのオフザピッチの時間がめっちゃ楽しくて、なかなかうまくいかない時期もあったけど、大学でもサッカーを続けられたのはu20のおかげだと思います。こんなこと言うのはおかしいと思うけど、はじめのカテゴリーがu20でほんとによかったです。
それからの大学2年と3年を振り返ると、偉大な先輩たちの背中があったことが自分にとって大きかったと思います。大舞台に立った時の心強さがとてもあって、のびのびプレーすることができました。今大学4年になってその偉大さを痛感しています。大学3年には最も印象に残った2つの試合がありました。まずは、天皇杯のジェフ千葉との試合です。僕はこの試合を誰よりも楽しみにしていた自信があります。なぜかというと高校の頃にフクダ電子アリーナの舞台に一度も立てていないからです。フクダ電子アリーナは千葉県で高校サッカーをやっていれば誰もが憧れるスタジアムで、何回もピッチに立つチャンスはありました。高校1年の選手権全国大会ではラージメンバーには入ったもののベンチ外。2年の選手権千葉県決勝と全国大会ではけが。3年の選手権決勝ではそもそも会場が違いました。大学サッカーでやっとあのピッチに立てると思った矢先にジェフ戦の週の火曜日の練習で内側靱帯をけがしてしまい試合には出られませんでした。負傷した直後に練習を抜けてトレーナールームでアイシングをしながら号泣したのを覚えています。そのため、天皇杯の当日は観客席から応援をすることになりました。あの舞台で躍動するチームメイトを見ているとすごくうらやましくて、この舞台に立ちたかったなという気持ちがこみあげてきて、試合中にもかかわらず何度も泣きそうになっていました。結果は負けてしまい残念な結果だったけど、ジェフ相手に最後まで堂々とプレーしている仲間の姿は心動かされるものがありました。
もう1試合はインカレプレーオフの東海大学との試合です。試合は延長戦にもつれ込む接戦で、相手は一人少ないけどなかなか得点が取れず、1点が遠い状況でした。そんななか同点ゴールを決めたのはまえかんくんでした。1年生のころからu20で一緒だったまえかんくん、ケガとかでなかなかサッカーがうまくいかない時期もあったと思います。そのインカレもりょうたにスタメンを取られて途中からの出場でした。そんなまえかんくんが誰もが点が欲しいなか途中出場で劇的ゴールを決めた、とても感動しました。これから先のサッカー人生の中でもおそらくここまで心動かされる試合には出会えないと思います。先輩の偉大さを感じました。
そして、自分たちが4年生になり、大きな背中を見せる番がやってきました。しかし、今年の自分たち4年生は、頼り甲斐がなく、自分たちが見てきた先輩の背中とは少し違う4年生だったと思います。結果も思うように出ず、はっきり言って後輩たちに何も残せませんでした。インカレプレーオフでもチームを勝たせることができなくて情けない気持ちでいっぱいです。そんななか1年間ついてきてくれた後輩たちには感謝しかありません。本当にありがとう。
大学生活を振り返ると長いようで短かった大学4年間でした。そして、とても人に恵まれたと思います。たくさんの同期や先輩、後輩、スタッフと出会うことができ、もともと中京大学に進学するつもりじゃなかったからこそ、とても運が良かったと感じます。結果として関東の大学ではなく中京大学に進学したけれど後悔なんかしてないし、むしろ良かったと思います。今後プロサッカー選手を目指す人や就職を考えている人もいると思います。東海リーグだからとか周りの環境などは言い訳になりません。そんなこと言っても何も変わらないし、自分の価値を勝手に下げてしまうだけです。結局は自分自身です。残りの大学生活で中京大学に来て良かったと思えるように大学サッカー人生を過ごして欲しいと思います。
とにかく大学サッカー最高でした!!
最後に特にお世話になった人たちにお礼を言わせてください。
まずは後輩たちへ
1年間俺たちについてきてくれてありがとう。人懐っこいやつが多くて、元気いっぱいで、自分たちが元気をもらえました。
今年1年は、全国大会や天皇杯という大舞台で勝ちきれないという課題が出たと思うけど、そういった大舞台で勝ち切るためには、吉井さんやトミさんも言っていたけど、思い切ったプレーが必要になってくると思う。今年はどちらかと言うと控えめなプレーをする選手や大舞台で萎縮してしまう選手が多くて、そういった時に誰か1人の思い切ったプレーがチームに勇気や自信を与えると思うし、チャンスを生みゴールにつながると思う。次に大事だと思うのはメンタルで、僕が1年生でインカレに出た時は、緊張というよりも自分のプレー、中京のサッカーを観客席の人たちに見せつけたいというわくわくした気持ちが強かった気がして、そういったメンタルがさっき言った思い切ったプレーにつながると思う。あと、そういった全国大会とかの大舞台ではどうしても緊張していたり、自分がいいプレーをするだったり、自分にプレーの意識が向いてしまうと思う。自分がいいプレーをすることもアピールする上では大事だと思うけど、まずはチームに必要なことをやることが大事だと思う。個人競技ではなくチーム競技である以上は、チームの価値を上げることで同時に自分の価値も上がってくると思うから、そこは大事にして欲しいです。あと、今の環境を当たり前と思わないで欲しいです。自分たちがサッカーをできているのは大人スタッフ、学生スタッフ、家族、他にもたくさんの人の支えがあるからということは忘れないで欲しいです。どうしても自分のプレーがうまくいかない時とかは、自分に矢印が向きがちだけど、そういった時こそ、支えてくれている人たちへの感謝の気持ちを思い出してプレーして欲しいです。自分の言葉を聞いて少しでも意識してもらえたらうれしいです。来年こそは日本一のチームになってください!ずっと応援しています!
家族へ
お父さんお母さん
小さい頃から世話が焼けたと思うけど、成長を見守ってくれてありがとう。中学の頃は、学校が終わる時間に学校まで迎えにきてくれてそのまま春日井まで送ってくれたり、高校から家族のもとを離れる決断に最初は反対だったけど、高校から大学まで応援し続けてくれたり、何不自由なくサッカーができたのは2人のおかげです。精神的にも金銭的にも負担をかけたと思うけど、これからは2人を支えていけるような選手になります。
2人のお兄ちゃんにも感謝しかありません。2人がサッカーをやっていたからサッカーと出会えて、こうやってサッカーを職業にしていけると思います。俺のサッカーの応援もしてくれてありがとう。これからは結果で恩返しできるように頑張ります。
スタッフの方々へ
吉井さん
U20の頃から本当にお世話になりました。プレーヤーではないけど、サッカーに対する情熱やチームをよくしようとする気持ちが一番熱いと感じました。それだから、自分も大学サッカーに対する情熱を持てたと思います。1年生から4年生まで自分を育ててくれたおかげで大きく成長できました。なかなか結果は残せませんでしたが、僕を10番で使い続けてくれてありがとうございました。
トミさん
1年生のインカレから僕を起用してくれてありがとうございました。東海選抜でも1年生の頃からメンバーに選んでいただき、トミさんの指導がなかったら今の自分はないと思います。また、愛媛に特別指定で行く際にも行ってこいと背中を押してくださりありがとうございました。
てつさん
よく舐めたことをしていたと思いますが、その絡みにも乗ってくださりありがとうございました。いい意味ですごい近い距離間で関わってくれたので、楽しかったです。やかびもいなくなって、てつさんいじる人いなくなっちゃうからさみしくなるとは思いますが、あとは後輩に任せます。
トレーナーの方々
はじめに加藤さん、よく股関節痛くなって歩けなくなっても次の日には歩けるようにしてくれる加藤さんは本当にすごいです。あと、遠征の時のケアルームで喋るのも密かな楽しみでした。本当にお世話になりました。
つぎにゆきと、しゅんくん、ごっさん、須藤、この4人には本当にお世話になりました。オフの日に呼び出してもグラウンドまで来てくれて、マッサージとかもしてくれる。そんな人なかなかいないと思います。
特にゆきとくんは自分に合った補強メニューを作ってくれたり、自分の課題に一緒に取り組んだりしてくれました。本当に感謝しています。ありがとう。
同期へ
ほんとガキみたいなやつらもいれば、ゴツいくせにちいかわ集めてるやつもいれば、マイペースすぎて迷惑なやつもいれば、目キマってるやつもいれば、口臭いやつもいれば、途中でサッカー部辞めちゃうやつもいれば、ボール座ってたら怒ってくるやつもいれば、ほんとキャラの濃い仲間に囲まれて毎日が本当に楽しかったです。
また、集まりましょう!就職組はちゃんとユニフォーム買ってね
長くなりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました!
これからの武藤寛の応援もよろしくお願いします!
