Page33 「山あり谷あり」西田達哉

皆さん、こんにちは
CU4年の西田達哉です。
18年間サッカー続けてきて、成功も失敗も含めて、包み隠さず伝えたいと思います。最後まで読んでくれたら幸いです。
初めに、僕がサッカーとともに歩んできた生い立ちについて話したいと思います。
3歳の頃、兄の影響でサッカーを始めました。
小学生の頃は町クラブに所属し、自分は地区で一番上手いと思っていました。しかし、大阪府トレセンに選ばれたものの、そこで大きな挫折を経験しました。
周りには現在プロで活躍している選手が多く、その中で自分との実力の差を感じました。
週の1回トレセンの練習に毎回行くことが嫌になり、辞めようとも思っていました。ですが、ひたむきに頑張っていたことでガンバ大阪ジュニアユースに声をかけてもらい、入団することができました。
日本代表にも多く輩出しているガンバジュニアユースに進めば自分も将来少しでも近づくことができると思い、ここで頑張ろうと決めました。
ですが、僕は3年間でサンライズリーグ(関西1部リーグ)に一度も試合に出場することが出来ませんでした。この頃はすぐに監督のせいにして、普段の練習や試合でもやる気がありませんでした。今思えば、自分の実力が足りていなかったからだと感じています。
そして、3年の夏の頃に当然のようにユースに昇格できないことを告げられました。この悔しさを生かすため、高校で全国大会に出場するために岡山県作陽高校に進学することに決めました。
入学当初は、朝から大量の食事をとり、毎日のように走る、地獄の日々でした。ですが、寮生活でみんなと常に一緒にいることで辛いことも忘れ、楽しい日々に変わっていきました。
高校2年の夏頃にはTOPに選ばれ、冬の選手権ではスタメンとして出場できました。美濃くんの2ゴールで全国大会に連れてってくれ、その時は非常に嬉しく、全国大会でも頑張ろうと思いました。ですが、全国で2試合イエローカード2枚、次の試合出場停止。チームも2回戦敗退と先輩方に迷惑しかかけていなかったです。
自分の年代になっても全国に行きたいと思っていましたが、一回も行けず悔しさしか残っていません。大学ではプロに行きたいと思い、中京大学に進学を決めました。ここが僕にとって人生の分岐点であったと思います。
大学では4年間のうちの半分は怪我をしていました。入学当初から怪我して復帰してもすぐ怪我をして、そこで自分の中で1年の終わりの頃にはプロに行くことを諦めてました。そこが同級生でプロに行った人との差なんだと思いました。
大学2.3年の時に大きな怪我があったことで、朝方まで遊んだり、お酒を飲んだり、そこから寝ずにリハビリに行ったりしてました。周りからはグラウンドに来てることに驚かれることもあり、自分はなんで愛知まで来てサッカーをしてるんだと思っていました。そこで大学3年でサッカーを辞めようと思っていました。けれど、スタッフや先輩方の話をしてもらい、最後の1年サッカーを続けようと思いました。でも自分は怪我をしていない時は必死にサッカーを頑張り、怪我をしたら遊ぶこんな極端な性格です。
そんな僕を4年次に副キャプテンに選んでくれた森本さんには感謝しています。最後の1年で全国大会にも行けたことは森本さんに少しは恩返しになったのではないかと思います。
サッカーを通して、多くの経験させてくれた両親には感謝しています。
社会人になってもCUのことは応援してます。また応援行きます。
ここまで閲覧していただき、ありがとうございました!
